kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

ゲーム製作のこと

ゲームを作ることはkow@suhitoのライフワークだ。
終世のライフワークにするつもりは、今のところない。
今のところ、欠くことのできないライフワークではある。

1999年ぐらいか、そこいら。
IM*1yaneSDKにであってプログラミングの本当のあり方について考えるようになる。
C/C++の文法がやっと理解できるようになったばかりだったから、もう右も左も分からない土地に一人で放り出された気分だった。
2,3週間ソースをみながら、デバッグトレースするのである。
こう動いて、こう動いて、こう動いて...
もちろん、VCしかしらないころのこと、デバッグトレースはあたりまえでと考えているわけである。
ソースコードを追いかけて分かったことは、まだ自分が未熟すぎるということ。


シナリオ。
あれはどー、これはどー、などと酒を飲みながら冗談を言いながら作っていた。
去人に間テクストなんちゃらっていう仰々しいタームは全く縁遠いもので、あるとすれば、接木されたテクストの隙間と隙間を満たす酒である。
若い時分、酒なんていくら飲んでもなんともなかったけれども、年をとると人生はシラフでやっていかなければならないことがわかってくる。


フリーゲーム
金にならないことを、そんなに必死になってやることなのか。
合間合間、暇なとき、そんな開発だったけれども、結局、絵をお願いしたり、音楽をお願いしたりするようになると、工数を見積もったり、スケジュールを切ったりする。
こういう状態も予期できぬほど、のほほんとしていたわけだ。
フリーやったら甘えや無責任はある程度、堪忍してもらえるかなー
って、思っていたんだなあ。
むしろ、そういった統括責任って会社の現場で実感し始めたことで、それが分かったのも最近なんやろうなあ。

*1:やねうらお氏。やねうらお先生。未だにこの呼び方はしっくりとこない。ドストエーフスキーはやっぱり、ドストエーフスキー先生でもなければドストエーフスキー氏でもない。死んでいるかどうかというのも問題でなくて、小泉は小泉先生とも小泉氏とも呼んだりしない。ネットの中での距離感と自身の思考内固有名詞との距離感が漠然とした中で、どこまで相手に敬意を表した形で呼んだらいいのか、今のところ分からない。わたしは、ここでやねうらお先生を「IM」という形で(実際に存在しているであろうという程度の)実存性を抽象化し自分の違和感を表現上の違和感みたいな、そういう雰囲気に変換してみようと思う。