禁煙
禁煙できない意志力が弱いkow@suhitoである。
禁煙できるゆとりを持たせる。
たばことライターは常にもっている。
吸いたければいつだって吸えるんだから。それでちょこっとはやめられる。
去人を作るときもそうだった。
イヤになったら止めよう。
自分はいつでも、それを止められる、のだと思っていた。
それができなくなると、胸部に圧迫感を感じ始める。
やめてやる! こんな一銭にもならない、むしろ金ばっかり無駄にでていく開発やめてやる!
何度も何度も思ったことである。
これはもう殆ど八つ当たりである。去人に対する八つ当たりである。
でも、もし、この開発をやめるとすれば、それは積極的、ポジティブにしなければならない。
多くの人が街にでたり、テレビを過ごし、のんびりを過ごす休日を復活させ、そしてただ業務に全力を尽くし、技術を向上させ偉くなる。
そのことに従事するのだから、他のことはやっていられない。
なんか、こういっていても卑屈さが伝わってくるのだけれど、わたしはやっぱり、その会社で阻害された代償として去人を作っているのなら、抑圧の解消方法を全く持って間違っていると思う。
会社に対する不満とかそういうのって、それは現場で直に当該プロジェクトのしかるべき人にいうことであって、それを黙ってこんな卑屈な去人開発をすべきではないと思う。
もちろん、そういったネガティブな部分だけではないし、D言語やマルティメディアを扱うプログラミングは業務とはちがうし、面白いと思っている。これは本当である。
自分の考える創作を行える、という点では残念ながら去人はそうではない。
去人は所詮、創作なんてよべる類の作品ではないし、目的も主張もない。
あるいは、あの未完のシナリオに対して、もっともっといいシナリオを熱望している。@liceと話し合い、どうやったらもっともっとまだまだ、前人未踏の面白い作品ができるのか、ずっと話し続けていたかったのである。
その話題提供の作品でしかなかったし、知識不足や、若さのためにあのような作品ができあがったと思っている。だから、あんなのはまだまだ納得がいかない。
そこで、その納得がいかないものを作っている。
だから、この去人の開発は、あざとい不満感がある。
本当は、このあたりが分相応なのだろうと思っていたところが、納得できなくなってくる。
論理性や、物語の亀裂の部分があちこちにみられるし、キッチンノベル的な断絶が各所にみられる。
わたしは本当は、あれ以上のものを作れない、という現実から目を背けて、想像の中のもっといいものと戯れているだけなのかもしれない。だからこそ、「あざとい不満感」に満たされているのではないか。
でも、どうみたってあの作品の継ぎ接ぎやほつれは、誰がみても興ざめだし、作為性とか無意識の発露とかですまされるな高尚さもない。
でも、こんなことをいうのも、結局は去人以外をつくれないかもしれないという恐怖かもしれない。
わたしは去人以外のプロジェクトの進行をみながら、少しずつ期待と自信をつけた。でも、結局、去人はいまだ、完成せず...
禁煙、喫煙の繰り返しで、いずれは禁煙できるはずはない。
最後には決定的にやり込める必要がある。