デコヒレーンス
量子コンピュータはこの問題があってこまっているのだ。
シュレディンガーの猫君も頭を悩ませているようだ。
量子コンピュータが実現すると暗号化が無意味になったりほんと、パラダイム変換が起こる。まあわたしが生きている内には関係なさそうだ。
DBを検索する処理コンピュータのアルゴリズムが発見された!
なんて記事をみると、うーん、量子的SQLが発行できるようになったらそら楽しいやろうなと思うのだけど、そもそもどんなアルゴリズムなんや?
実は、わたし、社内のJAVA技能試験をうけたんだ。
こんなん、別になんもせんとも大丈夫やなーとおもって、すんなり受けた。
それがこのありさま。
53/90点。
あ、あれ?
ま、まあ、パッケージがどれに属するかとか、JAVAの基本コマンドがわからんとか、EJBがなんとかは、きにせんかったしなぁ。Web層だけで考えてたらこうなってしまうのだなぁ。
クラスタリングしているサーバーがどんな仕組みで障害が起こったときに切り替えられるか、なんて考えもしない。これってプログラミングだけできればいいやー!っていうのとはやっぱり違うし、こういう知識が「売れる知識」となるのやろう。
でも、53点て。。。
それで、実技もあったんだが、これもこてんぱんにしてやられた。
equalsとかcompとか。
あれ、EffectiveJavaをよんでたから、けっこうこうせなかん、どうせなあかんってことをindex的に読了して覚えて追ったんだけど、実際どないすんだっけかー、ってことで...
HashTableにぶっこむクラスになるってことだったので、hashCodeを求めるのは、だいたいうまくいったような気がするんだが、どんなときにequalsがtureになってならないんやっけか、とかとか。
そもそも、コーディングの時間が結構すくないので、これは考えられても、最後まで答えられるかわからないというものであった。
解答したソースはJUnitで通過したものぶんだけ点数となります。
とのことだった。
これ考えると結構、おもろくて、
「実装はいかであれ、通過させるためだけのギミックもありえる」
とか考えた。
設問に対して採点するJUnitのテストケースを想定し、それを通過するような、偽のコードを作る。。。
ブラックボックスにおける反応テストだから、中身の処理は問わない。仕様に対して正当となる唯一のテストケースなんてつくれん。booleanの戻り値のメソッドが、もしランダムで真偽を返すとしたら、間違って成功することもあるんやなか!
なんか、もう面倒になってそんな想像をしていた。
ところで53点、一緒にうけたメンバーの中では普通というか、良かったみたい。
これって、どういうことなんだろう。
これを、わたしは人よりマシ!といって喜ぶのか、井戸の中の蛙同士の背比べと考えるべきか。まちがいなく、後者だ。
なんていうか、SEというロールになると、プログラミング術だけじゃなくて、環境うんぬん、J2EE仕様うんぬんもわかってないといけない。情報処理検定のあの広範な知識もばかにしてきたけど、あれも単純に笑い飛ばすこともできないなあと思ったわけで、未熟、勉強。
ところで、JUnitでいっぺんにテストケースを実行するデザパタってなんでしょうか。
いつもてすとすいーとでやってるんですが、あれってなんのデザインパターンになるんでしょう。invokeしてメソッドのテストばしばしやっているんやろうし。Iteratorか、Visitorか、Intarpriterか。Iteratorぱたーんと答えてしまったわたし。だめだなぁ。デザパタは結構面白くよんで、傍線もいっぱいだったのに。。。 読んだ、でも理解できていない、応用として把握していない、こういうケースって多いので、こういうのもこれから自己管理やね!
デコヒレーンス。
これの話なんだけど、これって意外とテクストにもいえることじゃないのか、とそっちのステージで考えてみたりした。
バルト風にいうと創作の場、としての読まれかたのことかなあ?
テクストの本来の意味としての、多種多様な捉え方。
アウシュビッツ−ガス室の考え方。
たとえば、経験的としたときに、アウシュビッツ−ガス室の事実はないわけで、それをみたものは生きていない。不可能なものの経験とかいろいろ、深く議論されてはいることなんだろうけど、読まれること、批評されることによって、そのテクスト自体の状態が変わってしまう、というのはあると思う。
とくに、テクストは公開的なもので、作者から離れたところから情報を発信しているから、本来の意図なんてもはや、どこにあるかもわからないわけで、作者がいなくとも、捕らえられるという状況になったとき、テクストはもはや観察されることでどんどんと、ありもしないものを追加されたりするんでないだろうか。
発信と着信のディレイの問題と考えるとややこしくなるけど、作品に物理的空間を占める余地なんてはじめからなかったのかな、と思う。