kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

SEO

Webコンテンツの検索エンジン最適化がある。

去人のページを作っていたときは、W3Cに準拠してればええんやね、とかそんなのりだった。JavaScriptもかかんし、何も考えなくとも、最適化されているような気がする。

でも、この日記を書くようになって、これ最適化しようもどうにもならんから、コンテンツ勝負と言うことになる。
Googleのランクで5以上をとれる逸材になりたいと思っていた。

でも、ちょっと去人が一人歩きしているので、ひっそりとやりたい気持ちになって、今のところだれも訪れない日記サイトである。
"去人"で検索すると結構ひっかかるのだが、中文には勝てない。造語ではなく、本来のテクストには太刀打ちできない。

同人作家たち宣伝戦略を阿漕な戦法だと考えているのかどうかはわからないのだけれど、魅せるという同人活動においては、基本的な戦略にとどまっている。
宣伝方法に斬新さを!

作ることが最大の目的だし、あとは作品が結果に繋がるのがいい。

そうなのだろうけど、その一直線な考え方にはどちらかというと共感を覚えるのだけれど、宣伝においてセンセーショナル!ってのがやっぱりあるといいなと思う。
実力を実力以上に見せる、というのは相手を騙すということになるはしないかと思うだろうし、わたしだって、そういう騙すのはいかんと思う。
でも、逆に挑戦するなら、いちかばちかみたいな、若さみたいのがあってもいいと思う。

ホンダが、CVCCを作ったときに、本田宗一郎はまだできていないのを、実用化した!って大見得きって、結局それはもう、いちかばちか、倒産か存続かの窮地でそれを断行したのだ。まだできていなくても、できる、ぜったいにできる、っていう若さみたいの上で、まだ実現していないけど、嘘ではない実現する作品として、作品の宣伝みたいのはやっぱり衝撃的!ということになると思う。

普段、わたしたちは専ら消費者として作品に接しているし、新聞広告を見るときも、その大仰な言い回しに少しうんざりして興ざめしている。でも、そんな大げさな言い回しがセンセーショナルな宣伝なわけではなくて、宣伝という今までの準拠枠を研究し、その枠から一歩はみ出すような、宣伝としての創作活動も、やってみるかちはあるし、それになによりそれが成功したら多くの人が手に取ってくれて、多くの批判と批評と賛同を手に入れることができ、それは次になにかやろう!ってときにとっても、重要な資料となるのではないかと、わたし思うわけです。

去人もそういう宣伝については、極めて消極的だったけど、これからがんばっていこうかな、と思うわけである。