kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

在るモノ<>眼に写るモノ

ウィトゲンシュタインが言っている。

あるモノを前にしたとき、その最も重要なところは、それが単純で身近なものであるがゆえにめにつかない(いつも目の前にあるから、それに気づかないのである)。一番探求しなければならないところは、まったく見過ごされている。

ほとんどの人が首をひねるようなことである。
これは誰だってわかっているし、あるいは使い古された命題だから。なんでいまさらウィトゲンシュタインがこんなことをいったのか…
身近なものほど、わからない。そして、なくなったときにやっと分かる。

でも、それはわたし自身、強く実感しているし、その視野に近い故に見えなくなっている部分に注意を払うように心がけるようになった。

自意識、常識、あって当然のものと思いこんでいるもの、これによって多くの失敗をしてきた。
多くの人は信じられないだろうけど、去人のβを2002年あたりに公開したとき、システム的には、それほど問題ないかな、と半ば本心に思っていたのだ。
自分の技術の低さの中で、なんとか動いている、というもの。
これでいいだろう。
初心者プログラマの目で、その視野からそのシステムを鳥瞰したときに、それはそれなりに満足できるという結果だったという、信じられないような本当の話である。

ユーザという視点が欠落し、既存の製品のレベルをみればどのくらいまずいかよくわかっていいはずである。少なくとも、その程度の感覚はわたしにだってあったと思う。でも、その視点がすっぽり欠落していた。


わたしたちが普段、知覚しているにもかかわらず、認識はしていないもの。
そう、単純なこと。
個人レベルで認知できないもの、社会が認識できていないもの。
コウモリのレーダーよりも敏感なセンスで察知するよう、日夜警戒するのである。
これは難しい。
そこには何もない。だが、見えないものがある。それを見ろ。