去人たち開発ブログ

同人サークルK2Ceeが去人たち開発についての記事を掲載してきます!

多くの企業が、論理的独創的挑戦的にノベルゲームを作っている。
わたしはそれを感心してみているし、えらく納得させられるときがある。

<こんなにも考えなければノベルゲームは成立しない>


月に何百という美少女ゲームが排出される。
それでも、中層、下層のゲームは売り上げ数千でなんとか、自転車操業を行っているのだと思う。
あるいは、自転車操業を続けるために、際限ない規定されたゲームを作らなければならない状態に陥っている企業も少なくないはずである。


Sonyの高付加価値戦略は誰だってやれればやりたいと思うのだ。
でもsonyですらそれは、頓挫しようとしている。
一般消費者からは、sonyは……と否定的なニュアンスで言われがちだ。
ベータとVHSの戦いの弔い合戦なのか、デファクトスタンダードの取り込みには消極的である。
美少女ゲームだって、高付加価値で高く売ればいいのだけど、これだけ回転の速い業界だとネームバリューすら、早いスパンで更新される。必死だなぁ。

同人で作ることで去人はこういったシガラミから脱することができたことは嬉しいことである。フリーだし、付加価値についてはノーマークでよろしい。ただ、自分が作りたいモノをつくればいい。
もちろん、ユーザを仮定すると、自分のやりたいようにやれるわけはない。
自分がUNIXユーザで、GUIの効率の悪さにうんざりしているからといっても、ユーザはUNIXなんてさわらない。一連の処理をシェルであっというまにやれるのに〜と、したり顔で嘲笑するような輩もいるがユーザは単純な作業を、連続して繰り返すことには耐えられるが、往々にして意味不明の行為を譬え一度だとしても行うことの方に多くのストレスを感じる。


去人を次の正式リリースでクローズするために、これまでの期間に書かれた残稿の整理、校正作業のなかで、分からないことがある。
一体、このテクストはどっから沸いて来たのだろう。
なぜ、これほどまでにテクストを排斥しようとしているのか。
去人はちょうど、日蝕がでたころに書かれたものなんだけど、あれだって素晴らしい作品だったし、空白の使用だって<まだ許容される>ということを分かっていたはずである。
全てを空白にすることはできなかったのだろうか。
自己言明自己言明の繰り返しは裏返せば、自己と自己のテクストのへの不信である。それに真っ向からスタイルを変えることなく挑戦する姿は、若さである。解決なんてしようとしていない、ただ、めくらめっぽう殴りつけて、打ち倒そうとしている。


大江の個人的な体験を思い出して、それが良作であると思えるあいだ、わたしは精神的に若いと思っている。
肉体はくたびれた。でもだいじょうぶ。わたしはまだ、−精神的には−わかい。