kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

僕たちの失敗

わたしは、すぐ失敗する。
致命的な失敗が多い。犯罪に近い失敗をしてきた。


一番最初に去人を公開して、まず一週間でサイト閉鎖した。
もう5年も昔だから、そろそろ時効になるといいなとは思っている。
わたしは、ゲームを作りたいのだから、それ以外なにも考えていなかった。
もう有効なものは、それが触法だろうがなんだろうが、気に止めなかった。
まさに、愚直だったと言える。


大概の人間は失敗すると、ひどく落ち込むものである。
後悔する。
わたしなんかは、周囲の人から考えすぎなんやん? といわれるぐらい神経質だったから、その手の致命的な失敗をすると、一ヶ月はぐったりしていた。


失敗は、使い古された言葉が言うように、それを回顧することで重要な自己分析の足がかりとなる。失敗は成功の母である。失敗を怖れるな。
その手の言葉は、挑戦していこうとする技術者として、わたしも強く推したい言葉ではあるけど、失敗したときに本当にそういう気持ちで立ち向かおうとする力を、それらの匿名の命題たちは、与えてくれない。それらは、無人格だし、開発者という血の通った人間が自己への関連づけを通して自己を奮い立たせる力を必ずしも与えてくれない。
わたしたちは、めくらやつんぼのそれのように、鋭い感覚を無意識にしまい込んでいる。失語症の患者は、我々にとって感動的な演説に対して大笑いしたりする。衒気的な振る舞い、不全行為か。失語症の患者が、言葉を理解せずとも、治療者の韻律や口調で、相手の心象を理解する鋭い感覚を持っている。意味を理解できないのに、怒ったり悲しんだりする。わたしたちも、それが自我に押さえつけられているとはいえ、その原型となる感覚は稼働してる。だから、表層において奮い立たせる言葉であっても、パロール的な所有関係によって、多くの挫折を味わい、虚偽を見抜いてしまっている。

では、どうやって、そこからはい上がり、自分のやりたいことを達成するのだろう。
誰でも失敗するんだから。
という慰めは、なるほど、と思うと同時に、誰でも失敗するかと言って、自分は一度だって失敗したくないんだ、という葛藤を生む。
物事の良い面だけ見ていると、必ず足をすくわれる。


致命的な失敗の連続であった去人はどうやってここまで来て、これからどうやっていくのか。
(続く)