去人たち開発ブログ

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あにめひょうろん

「萌え」について、考えてみようとしたら、ちょっと広範すぎてわたしには㍉だった。

しかたないのでおさらいに、参考テクストを紐解いていた。
東浩紀斎藤環

ちょっと、並記すると斎藤環がすごいこと書いているようにみえるが、斎藤環サブカルチャー受けする、大衆向けな感じだ。既存のところから、ある観点を提供している、ってな具合である。
そんなわけで、このまえやっぱりスゴイ表紙の新しい本を見かけたけど読んでない。
「萌え」を創作する現場においては、これは!っていうインスパイアをもたらしはしない。

東浩紀は読めば読むほどぞくぞくしてくる。
「気取り屋」とか「スノッブ」とか、そういう類でないのは周知のとおりであるが、何を差し置いてもテクストを読み解くおもしろさ(あるいは誤読の可能性)を再認させてくれる。その読み解き方自体が、もう物語として面白い。
探究的に読むわけではない、わたしにとっては、
デリダの犯行の痕跡を辿り、推理し、真実を解き明かす探偵」
のようだ。
まあ、この手のものは、A=B、B=C、A=C...の繋がりに苦労するが、これは読み手個々人がどれだけ日常的に論理的思考をしているかというのもあるし、抽象的・代数的な思考ができるかにもある。これは、わたし個人の問題であるし、わたしの思考では小学校一年生のときに教えて貰ったように、1+1は、絵に描かれたリンゴがあって、それが二つあるので2なのである。わたしが数学がまったくできなくなったのはこの壁が大きいだろうなあ。虚数についての嘔吐感がある人って、わたしだけなんだろうか…、これはけっこういるはずだと思っている。そして、一番強烈な嘔吐感は、無から有が生じる虚数空間であって、それで宇宙ができて、その中ではリンゴができて、リンゴ1個とリンゴ1個は2個ということになる。こんなんだから、東浩紀を思想として読めていないんだが…
星のこえなんかも、目と耳の間の空間的に考えると、ふむふむ、と思う。
届かないかもしれないメッセージについて、あれこれ郵便的システム大系で考える。


そんなこんなで「萌え」を構造的に作っていくのは、一筋縄ではいかないとわかっているわけなんだけれども、とりあえず、逆説的に「萌え」の観点を固めて行くにはフェミニズムからも推し進めなくてはならないかな、とも思っている。
さらには萌えが、現代社会的に特異な欲求なのか。もし、そうなのだとしたら、何が抑圧されて、何が置き換えられあるいは圧縮されているのか。それはそれ以前どのように解消されていたのか。虚構のメイドの扱いに、日本家政婦協会はずっと黙っているのか。フロイドが女性が女性になるために、男性よりも一段階多い過程を必要とするといった理論は、社会的通年によって上書きされてしまうのか。



あ、岡田はどうしたんだろう。