去人たち開発ブログ

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ファンタジー小説としての平野啓一郎

綿矢リサとか阿部とかそんなのも読んでみても、やっぱり平野啓一郎


なんで、わたし自身、平野啓一郎読むのかわからんかったのだが、オタクを引き寄せる力があるみたいだ。
三島由紀夫とのアナロジーがあって、その説明には納得できなかったけど、やっぱり、三島も大好きだ。
澁澤龍彦全集と、三島由紀夫全集のどちらかがもらえるとなったら、どちらを貰うか小一時間は悩むと思う。
澁澤龍彦は若干大げさにいえば、夭逝。三島由紀夫は夭逝したくてもできんかった作家である。
澁澤龍彦にしていえば、すでにあいちゃんをIMに先駆けてゲットした有望な作家であった。


平野啓一郎日蝕が出たとき、ファンタジーなんて言葉は浮かんでこなくて辞書と向かい合っていた。名詞がわからん…
それが面白かった。
わたし、辞書が大好きで国語の時間に三省堂の赤い国語辞書を読了したのだ。先生に、全部のページをくしゃくしゃにすると開きやすいといわれて、全部のページを一度くしゃくしゃにしてから読んだ。…確かに開きやすい。でも、1パーミリでも頭に入っている単語があれば良いほどみたいだった。


ファンタジー小説の盛栄が、象徴界の衰弱とかそんなこといわれてもわたしは一向に危機感なんか感じないのだけど、日蝕にはちょっと危機感を感じたりしたのだ。
京大とか東大なんて、わたしなんかは、天才かキチガイの紙一重のヤツらだとおもっている(もちろん、誤解。1パーミリの余地を残して全くの持って誤解であるのは分かる)。
まず、ああいった作品が衒気であったとしても、そういった衒気を衒気的にやれる作家を見なくなったこと。内容はなくても、やたらわけのわらんことを書く作家を見なくなった。そういうことをしてみても、後ろ指指されて終わりだからっていうのだけじゃなく、そういうことをやろうとしてもできないんじゃないか、っていう気配を感じている。
ポストモダンも驚異であって、衒いなのかどうかを判別することも難しくなってきたのもあるかとおもう。
作家を指さして「異議あり!」と唱えるのも難しいのかなぁ。
わたしは物表象なんか、ニヤニヤして鑑賞する方だから、象形文字をなぞるように小説を鑑賞することもある。開いたページにCRLFでもLFでもいいが、それがないと、うれしくなってしまう。
分裂病患者の自由連想テストと似ているところもあると思ったりして、わたしそろそろ分裂になんやないかと、わくわくしている(<わくわくしてんの?


じゃあ、お前、辞書読んでりゃええんやないの? 日蝕読む必要なんじゃないの?
ふむ。いいアドヴァイスだ。それいただきだ。
原則的に、言葉は言葉によって説明されるという無限円環の楽しみは辞書の中からはじまる
。これを敷衍していきりなり、テクストには意味がない、なんては、さすがにもういわないけど、なかばそれならいいな、と思ってもいた。


夜の霧を読んで、ハイデガーのほうがなんぼかええやないか、って思ったり、渚にてをよんで、It's 現実界!と叫ぶぐらいが、わたしにはあっている。
良くも悪くも同時代のヘタレアンダーフリーソフト作家なんだなぁ。