去人たち開発ブログ

同人サークルK2Ceeが去人たち開発についての記事を掲載してきます!

メンバーが、足りない。

kowasuhito2005-10-12

昨日、にちのさん(id:nitino:20051010)とお話ししていて、あーだ、こーだと物作りについて語っていたのだけど、問題は去人が時間との戦いという、ありきたりだけど、一番過酷な状況になっていることがあらためてわかった。

この絵はあくまでも自分自身をインスパイアさせるものだけなので、あまり本気にしないでください。
でも、メンバーは足りていないような気がする。
システムパーツを担当してくれる人をなんとかしたいと思っている。

この街の広告は結構面白くて、見ていてあきない。
東氏もいっているように、キティちゃんが指に包帯を巻いて、
「指をはさまれるよ」
というステッカーにだって、考えるところは多くあるように思える。
あれ、本当に左右で色まで違うからちょっとこの入れ込みようは異常だ。

わたしなんかは、やっぱり近代資本主義の悪徳といったニーチェあたりを引き合いにだして、ゆとり教育をさらに痛烈に批判したいところではあるのだけれど、そういうことは日記でやってもあんまり面白くない。
ヘーゲルパスカルデカルトプラトンショーペンハウアーの時代になんとなく郷愁を感じるあたりが、わたしは時代錯誤なのだと思う。
「神は死んだ」
という命題は、原文をわかりやすく訳してあるけど、その手法は面白いし、目的はないという考えも硬直した二項対立から大局にたつ意味でも気が楽になるところがある。
まあ、緊張関係は維持しないといけないだろうけど、ほんと面白い。


わたしは現場で働く人間だからよく分かるのだけれど、
「時計を手にして考える」し、「沈思して考えることは呵責」となるのだ。
だから、沈思して考える時間が与えられるプロジェクトを幸運だと思う。(与えられた時間で、ベストを尽くす、ことは現場において何よりも重要なことに異論はない)
わたしが、たとえば再帰プログラムでの解法が全くわからず沈思しているとする。
これが普通のエンジニアであれば五分で解答できるとする。
解答は、すでに試されて実証されている可能性の中にあるとして、それに対する解答を長考するとき、そこには問題がある。
・基礎知識として知っているべきなのに知っていない
・論理的結合ができず応用力がない
いずれにしても、「近代社会の悪徳」であり、これでは社会において優遇されない。
これに間違いはないし、原則的にこれをもって現実的な反論をすべきではない。
すべきことをしておらず、できるべきことができていない、という基本的な問題のフェーズだ。
でも、ここでコンスタンティブな言明としてこの事態に「腰を抜かす」必要はないし、唖然とする必要はない。、「腰を抜かす」のは、パフォーマティブな相においてになるんではないだろうか。


わたしたちが、プログラミング言語を使っているときに、こんなこともわからいのか、と呆れることはあるけれど、それを責めるときのコンテクストが重要になる。
わたしたちはこうやって言語を連ねてそれらしいことを布置するけれど
「読み書きができない人がいる」
ということで、腰を抜かしたり唖然とすることもあるかもしれない。
発展途上国識字率の低さは、非難すべきものではない、ということは知っているけれど、わたしたちの現実では、基本的数値計算が出来なかったり、行列変換ができないということで、腰を抜かして唖然として、非難することができる。
往々にして、後者のようなことは「できない側に問題」があるのは分かる。もしくは、理由はともあれ、結果によって判断される。それが平等ということなのだ。
平等は、ある視点を除いては不平等にならざるをえない。わたしたちが、理性のもとに判断する価値基準の中で優劣を判断しなければならない。
多くの人間を戦死させた作戦は劣り、より少ない人間をより効率的に殺した作戦は優れている。そこにどのような個人史をもった兵卒が死んだかはあまり問題ではない。「確率」の問題になっても優劣は、同様の結論に達する。
ではわたしたちが、読み書きできない、発展途上国の人間と比較されたとき、読み書きできないという「結果」で読み書きできない人間に腰を抜かし唖然とし、非難していいのだろうか。