去人たち開発ブログ

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推定殺本

この世で一番素晴らしい本は何か。


ある人はゲーテ、ドストエーフスキーやヘミングウェイの書籍をあげるかもしれないし、ハイデガーをあげるかもしれない。フロイド、ラカンをあげる人をいるかもしれない。般若心経や聖書をあげる人がいるかもしれない。夏目漱石夢野久作江戸川乱歩、川端、三島、安部、をあげる人もいるかもしれない。この際、生きていてもいい、大江、綿谷、筒井、村上、奈須きのこ竜騎士水野良上遠野浩平、荒巻義男、香山リカ大槻ケンヂ、鶴見、町沢、石田、片山…もうこの際、どんな作家の本でもよい。


この世で一番すばらしい本。
わたしは、ずっと昔にこれだろう、というのを考えついた。
文学理論も、思想、哲学もなんもしらない、昔に、これが一番すばらしい本に違いないと思っていたことがある。
でも、その当時考えたことが、なんだか今になってなお現実的な色彩を帯びて、この世で一番素晴らしい本だと思えてきた。


わたしが考えいた、この世で一番素晴らしい本。
死ぬまでに読み終えることが出来ない本
である。
朝から晩まで必死になっていくらよんでも、死ぬまでに読み終えることのできない本。
これが一番すばらしい本ではないだろうか。
一人の作家が書いた一兆頁の本、これが現実的かといえばノーである。そんな本はありえない。


世界で一番素晴らしい本の仮定は、わたしのごく個人的な体験にすぎない。
わたしの「読み」は結局なにも生み出さなかった。
「読み」にゴールがあるのだという考えは荒唐無稽だ。それはこう言い換えてもいい。「読み」に目的があるという考えは荒唐無稽だ。
一冊を読み、次を読んで、止揚、転回して、それは無意識に沈積する。そのテクストは次のテスクトで、転回、止揚される。でも、その次のテクストでも同様のことがおこなわれる。
繰り返し。
まるで誰かに脅されているかのように、次々を本を読みつづける。その先に終着点がないのだとしても読み続ける。
人類の99%が素晴らしい本だと賞賛した本でも、1%ぐらいはその本を被告として確定された絞首刑のための裁判が演劇的に行われている。読了された本のアリバイは、完全に否定されているからだ。そこに「異議あり!」の余地はない。


この問題は非常に興味深い。
ミステリー小説のアリバイ。その本は完結しているが、ストーリー上トリックは判明していない。でも、その本をさして極刑を申し渡すことは可能だ。


では、ここで素晴らしい本にもう一つの可能性を提示できる。
誰にも知られずに書かれ、誰にも知られないように読まれた本。


完全犯罪としての、著作。
こういった考え方自体は自暴自棄ととれるかもしれないし、短絡思考、飛躍と受け止められるだろうことも予期している。


最後まで読み切ることができなかった著作は、どんな読み手をも最後までとらえ続け、どんな否定も、その読まれていない部分を根拠に有罪を延期し続けることができる。
しかし読み手もそういった本を希求しているのではないか。誰かに読まれ、誰かが検事となり、物証を片手に著作に求刑する、また誰かは弁護人となり、それを弁護する。またある人は傍聴席でその行く先を見守る。著作はただ黙ってその中で黙秘続ける。そして皆がそういった茶番は疲弊するだけと薄々感づいている。本当はただ、その著作を一生事情聴取していたいのではないか。


ある人間の日記。
その本は終始、ある一人の人間が生きている姿を書いただけの日記形式の小説。
その小説は、毎日欠かさず、何をしたか、誰と会ったか、どんな話をしたか。子細書きつづってある。
その本は三十万日分書いてあった。


だいたいこれぐらいが臨界点だろう。
でも、これだって、人が死ぬまでに読めるまで本である。著作者が死ぬまでに書ける作品は通常、誰かが死ぬまでに読める著作だ。
もう何歳かもわからない著作の中のある一人の人間は