去人たち開発ブログ

同人サークルK2Ceeが去人たち開発についての記事を掲載してきます!

本気でゲームを作るとき。そして。

宣伝を気にしてから、結構他の同人作家のサイトを見て回っているのだけど、ほとんどの面で感心させられる。


本気でゲーム作っているんだなあ...



誤解されないように言っておくべきなんだろうけど、私だって、本気でゲームを作っている。だけど、本気というのはどこまでのことをいうのだ?



本気でゲームを作りたいと思って、表現に自信がなければ「表現」とはなんだろうと思い、それを調査する。それの行き着く場所は、今のところだいたいの相場が決まっている。つまり「何も表現できない」ところに行き着いてしまう。



それでは、わたしはそこに行き着いただろうか?

もし、わたしがそう聞かれたらなんと答えようか? 「もし」、わたしがそう聞かれたらなんと答えようか?

(・∀・)ニヤニヤ


韜晦も認められない、さらにすり替えも許されない、としたら、黙秘するしかない。



わたしは、表現について考えていないと居直ることはできる。そしてその態度はテクストを生産しなければならない者にとってそれほど悪辣な態度とも思えない。

でも、わたしは他参照した手前、その居直りは即座に「否認」だと思われてしまうだろう。わたしはその否認を認めるが、否認し続けることは、探究していく上で排除する。



わたしは、思考・嗜好・試行・指向し続ける態度こそが、今の同人作家の瞠目する点だと思う。

シコウという言葉に集約しようとするご都合主義の言葉遊びもここではわたしには現快楽的である。

「オタク」という言葉があるために、シコウしなければならいのは不本意だとこのさい言ってもいい。一方、「オタク」というものがなければ、わたしはシコウする可能性を奪われていたことも認める。わたしが「オタク」になれなかったことを認めながら、その「オタク」の定義すらないという状況を憂けく。


わたしはジェンダーの問題―このジェンダーという単語自体に上層からの圧力を感じるが―を放り出してきた。

わたしは性的に抑圧しなければならないことが多すぎた。

汎性欲論はその堅牢性がわたしにとって魅力なのではない。わたしと汎性欲論は超近傍で無限に隔たっている。図式化すると、それは虚数空間のような嘔吐を催す。

ゼロ個の性について、語るのは易い。だが、まずわたしは二個の性について始めるべきだと実感している。n個の性などお笑いぐさだ。ましてやゼロ個の性など。



HTMLの文字コード指定メタタグを、それ以前にどのエンコードで読んだらいいのかの指示はその文書にはない!!!



この問題系の中から脱しようとしている。

存在と解釈のこと? 何世紀の人?

それは結構な議論だ。でもHTMLは文字コードを指定するメタタグを何の文字コードで読むかは指定していない。HTMLは有史以来存在したものではない。わたしは、常にこの膨大な情報を提供するインターネットで復号化失敗の可能性の中にいる。

わたしは、有史以来ずっと継続しているものではないのだ。



では、どのようにして、この平面に散らばったコミュニティーを渡り歩くのだろう。しかも、その平面のx軸とy軸は常に直交しているとは限らない。