Hello! And good-bye KYOJINTACHI (2)
もちろん、わたしが偏屈な人間であることを否定しない。
しかしながら偏屈なゲームをつくらねばならないと、まるでだれかから命令されたと思いこんだということに意見を差し挟まれることを拒否する。
だが、その拒否がフェードアウトしていこうとしていこうとしていることを一概に排除しない。
ゲームをつくる?
バカらしい。
表現する?
いまさら、なにを表現するって!
正義がある。
いつの時代の人間だい?
悲しい。
一体、なにがどのようにして悲しいというんだ!
苦しい。
一体、なにがどのようにして苦しいというんだ!
死にたい。
一体、なにがどのようにして死にたいというんだ!
絶望。
一体、ここにどんな絶望があるというんだ!
キチガイぶって何かしよう。
キチガイしかいないっていうのになにを!
じゃあ、それらを捏造しよう。
なにを早まった!
じゃあ、何を創ろう?
創る? 全く、馬鹿馬鹿しい。リテイク。リテイク。バカバカしい作品を捏造できなきゃ、創ることなんてできない。
去人たちの初期に考えていた数年がたったこれだけに集約されてしまう。物事は至極単純だ。至極単純だといいきることができない創作にこそ問題がある。
それは<あえて>いってるんだよね。
馬鹿馬鹿しい。
世界と自分しかない創作において<あえて>何をいうというのだろうか。
(つづく)