kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

作られるとき

わたしは、気が短い。そしてまわりが見えていない。
なんや、そんなことで腹たてんでもええんやないの? とかいっても、まあ、生まれも育ちも卑俗だからして、それは仕方ないのだろうと思っている。
しかし、これはこれで自分自身楽しんでいるのでいいとしよう。


去人たちなんか、作ってるわたしがいうのもなんだが、ゲームに限らず何かを開発するとき、その機能について意見を出し合う。
これはこっちのほうがええんでないの? というレベルのものだ。
でも、それぞれの意見の中で自分の意見が他の意見より優れていると主張しなければならないとき、どないするか、ということがある。
わたしは、「こっちのほうが受けれられそう」とか「こっちのほうが売れる」とか聞くと、なんだか、つまらなくなる。
しかも、そういう意見は強力で、反論するにも、そうそう太刀打ちできない。
それで、理念もなく採用した機能を誰が真剣に保守するんだろうか。
でも、理念がないといしても、「いっていることは正しい」のである。

それはそれでいい。
でも誰かが、理念を負わなくてはならないんじゃないだろうか。そうでないと、そのシステム自体が衰弊するだけだ。
無難な構造の繰り返しや、どこかでみたことがある面白さをみると、とくにそう思う。バリエーションの差異でしかなくなっている。
マーケティングなんかでは、挑戦的なものよりも、実績のある過去の例証を重視する。
過去のものより、良い売り上げになるかもしれないが、全く売れないかもしれない。
だとしれば、漸次の機能洗練によって、その目標に近づくようする。

なるほど、でもあたしゃ、やっぱりまどろっこしいことをしている時間がない。