去人たち開発ブログ

同人サークルK2Ceeが去人たち開発についての記事を掲載してきます!

テヅカ・イズ・デッド

テヅカ・イズ・デッド、もちろん、キャラ/キャラクターについて言及していく、とかおもったら大間違いである。

あたし自身、少々そのへんの議論に疲労感があるためだ。今は、そのあたりの堅苦しいことに関しては何も発言していく予定はない。

 

日本アニメーター・演出協会(JAniCA)が先月発足したのは記憶に新しいことと思う。発起人一覧には錚錚たる名が連なる。

そこに今敏が入っているのはちょっと以外だったが、業界内の評価はどうあれ、そういったアニメ界の旗手の名が挙がっているのは結構な事だと思う。

 

アニメーターの給料は彼らの仕事を冒涜している。

それは手塚のせいだ、といったのは宮崎駿である。

1話50万で鉄腕アトムを作った手塚のせいで、アニメは安く作らなくてはならなくなった。ダンピング行為の結果である、というのが宮崎駿がそういう根拠となっている。

 

わたしは手塚がやっていたことも何となく想像できるし、宮崎がいうことももっともだと思う。

わたし自身、熱意や情熱をもとに去人たちを作ってきたけど、それはそれで素敵なことだと思う。でも、テヅカがそういったことをしたことがいいかどうかは判断できない。

 

たしかにそれまで2コマ割だったものを鉄腕アトムで3コマ割になってしまったとか聞くとまさにそのテヅカイズムは現代にも継承されている。鉄腕アトム作画崩壊やストーリー崩壊などはかなり、まぶしっ次第である。後半はかなり止めが増えていたというが、今でもシリーズ後半の止めは顕著である。

 

テヅカの亡霊はまだ漂っている。テヅカはいまだ……

テヅカからの脱却はJAniCAにはかなり重い課題であろう。質の低下、垂れ流し、公共波ジャック級のアニメがこれだけ粗製濫造される中で、アニメーターは貧困と闘い、それを尻目に甘い蜜を吸っている伏魔殿の闇との対決である。

なんなら、いっそ、アニメーターがアニメーターのアニメを作っちゃえばいいのである。

 

んな、安直な――

 

なるほど、仰るとおりである。

しかし今敏細田守はパプリカと時をかける少女をアニメ化したんだから、この際、七瀬三部作を無視したことは許容するので(だだのファン心理やんか!)アニメーター版の「大いなる助走」をやったらいいじゃないか。

「アニメーターがアニメーターのアニメ」を作る危険性は明らかで、感情的、私怨ととられる事である。もちろん、これはやっちゃあいけない。それはもっとも悪いシナリオのうちの一つである。

大いなる助走の成功は徹底的に諧謔的だったことである。あれが、自然主義的リアリズムで書かれていたら、まったく興ざめである。

であるからアニメーター版「大いなる助走」は全く見てみたい。

作画マニアが、作画崩壊だとか、×××アニメーターの動画は神だとかいう「そのレベル」を作品内に落とし込むことによって企図されるリアリズム、現実とのアニメのリンク、アニメーターもそしてその視聴者も無防備にする状況、そんなんを巻き込んだひと味違ったアニメができるんじゃないかと思う。

もし、そんなアニメができるとしたら、その作中のなかでどんなアニメが展開されるのか、またどんなアニメが展開されるべきか、なんて考えちゃうとたまらなく好奇心がそそられる。

 

そしてそういった試行によって(誰もそんなこと考えちゃいないんだろうけど)テヅカを無害化した後、その遺伝子の中から新海誠に対して真摯なアンサーを誰かが提示するんじゃないか――なんていうとオイディプスまで引っ張り出されそうで肩がこりそうですけど。