kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

音楽の純粋な力

機械的なアルゴリズムで商品を紹介される amazon のおすすめ商品が好きで定期的に眺めている。
おすすめ商品を試してみたくていくつかのアーティストを聞いてみた。
あたしは歌唱力とか音楽性とかまったくわからず、自分が心地良い音楽だけをひたすら聞く。
音楽はあたしの活動力の一部だった。だから、ひたすらに自分の心地の良い音楽を探してそれを聞いていた。
売上枚数の関係で露出した曲はすぐに聞いて、自分の好みかどうかはすぐにわかるのだけど、問題はメディアに取り上げられないが自分の好みの音楽を探すことの難しさだ。
昔は無限のような時間があったから、探すという行為と音楽との出会いののなかに喜びがあった。だが、現在は網羅された情報がインターネット上に必ずあって、探すという作業はなくなり、フィルタリング作業に変わってしまった。
ゴールは一緒で心地の良い音楽と出会うためなのに、そしてフィルタリングという比較的効率的な手段を手に入れたのになぜ、こんなに楽しくないのだろうか。

なぜ、音楽で心が震えなくなったか?

音楽は変わっていない。あたしが変わったのだ。
この立場で考えると考えることは膨大上に、直感的にも正しそうに思えて、「ああ、考えるのやめちまえ」となるのがあまりよろしくない。
自分の感覚器官に同じ信号を突っ込んでも同じ反応が得られないのは、再現環境の変化か機能の変容(経年劣化)かもしれない。

VOCALOID は電気羊の夢を見るか?

いま、2014 の現状をみても、もはや人間の主体性とは何をさすのか曖昧になってきた。もちろん、実存を持ち出せば便利なハンマーのようにいつでも期待できる意味を表現できる。だけれども、残念ながら、そんなハンマーだって今となってはリニア式ハンマーでほとんど実在しないのだ。
人間活動がモデル化され、予測され、操作されるとき、すべてはデータによって管理されているのだから、主体性などない。生物物理的な限界をこえた情報量を扱おうという以上、生命という1つの個体を超えた割合が増えていく。それがある一定以上を超えたときに何がおこるのか? そう……!



というわけで、当初の目標は達成しつつあるので
ブログを書く量を減らしていきましょうね。