kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

サイエンス・フィクションが面白い

ゼロ・グラビティをみてみた。
宇宙でピンチになって助かるはずということが分かっている映画で、とはいいつつも、もしかしたら助からない、「そして誰も居なくなった」パターンもありかもしれない、などどみる映画のジャンルである。
物語は準拠枠にまさに準拠しているのだから、ピンチになればタイミング良くヒーローが現れてヒロインを救出するはずである。だから、約束事として安全にハラハラしながら映画をみれる。
Vガンダムでオデロが死んだことで呆然とした視聴者は多かったかもしれないが、意味も無く死ぬのは約束事を破ることの1つで、そして約束事をやぶるには「それなりの理由」が必要ということなのだ。
あまり物語の構造とか理論とかいうと、偉そうに思われるし、実際自分もそんなに詳しいわけでもないので先に進もう。

ゼロ・グラビティは基本的には主人公の地球帰還を応援する映画で、その点ではおおかみこどもの雨と雪を少し思い出させてくれた。まったく、世界感は違うが構造的にである。そして映像表現は確かに魅力的だった。3Dでみたら確実に酔う。あたしも多少二日酔気味だったのでこみ上げてくるものが隠しきれなかったほどである。アニメのプラネテスを見ていたときも、浮遊感が視覚的に気持ちよかったがやはりこのレベルの映像になると桁違いに気持ちがいい。

ゼロ・グラビティスペースシャトル計画、国際宇宙ステーションなど現存するもの、近い将来に作られるオブジェクト群の上で物語が進行する。日本沈没とか死都日本とかアルマゲドンなど多くの作品はこの形で進むが、これらの醍醐味はサイエンス・フィクション的もっともらしい危機的条件が与えられ、それに対して今ここにいる自分視聴者の分身である主人公たちがどのように考え、選択するかという、この1点である。賛同、不満どちらでもいいのである。いずれにしてもその結末をみてやりたいという興味がわいてきてしまうのである。
画面外の自分を維持しつつも主人公に寄り添い、ただ常に相対化した中で物語の時間軸を進めていくなかで、現実と虚構の間だから数知れずの多くの情報を取り込む。この個人的な体験の総評が映画を観たときの満足度と近いものだろう。

あたしの場合は、どうも個人的な体験が他者のそれとはけっこうずれていることが多くて、共感を得ることはないのだけど、こちらの「本来の批評」の部分はえっと、もうずっと前からそれっぽく語ったので今日は無しで。

SF作品を沢山みたくなった。おすすめの映画とかをなんとか探してみようと思います。