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去人たち開発ブログ

同人サークルK2Ceeが去人たち開発についての記事を掲載してきます!

ナラティブセラピー

ねえねえ、一つの哲学的限界のあとの思想家といえばフーコーじゃないかしら、などという一見頭の良さそうな意見を口に出してみたくなる年頃のkow@suhitoです。
どうですか、みなさん、やられてますか? はい、はい、ごきげんよう。やられておりますね。それはよかった。みんな多かれ少なかれやられておりますので、苦痛に感じることはないのであります。


さて、世界は幻想なのです、などどいういわゆる唯幻論は岸田先生の大変魅力的な著作を読んでいただければよいでしょう。あれ、早い人では中学生、中央値では大学生あたりの学生がはまったりして、しかも余計な誤解をしてすべては幻想なんだから何をしてもいいんだなんていう極端な考え方をする人もいるみたいでちょっとまずいんじゃないかと思ってるの。
認知が世界を構築して、認知は個人が勝手に作れるんだったら、そうだろうけどさ、いや、認知はそういうもんじゃないでしょ。すべてを完璧自由にに作れる人間なんていないわけで、あくまでも多様なベクトル、物理的な光線、音波の入力、生理学的な変換装置、記憶装置、判断装置のそれぞれの多次元の評価値を処理したあとの出力結果の全体を世界としているわけ。世界というのは物理的な三次元とその次元を意味的次元で組み合わせの結果で表現される多次元で構成されるわけだから、これを想像すると他人が恐くなるっていうのが対人恐怖症なわけである。

初期のナラティブモデルでは、正しい知識と対処を教育すれば、問題は解決するっていう考え方だった。それがナラティブの力なんだ――ってね。
児童虐待をなくすには「虐待」について教えてあげればいい。多くの場合、躾の延長などといわれて虐待が露見するわけだけれど、自分が一般にいわれる「虐待」という行為と同等のことを認識できれば問題解決に向けて進展するはずじゃん。この論理はよく分かるし、それはええなあ!ってもりあがってたのはもう20年も前だけど。

そいで権力ある人はいいぞ、これはいいぞぉってことで手をうつわけ。
「虐待」についてより厳密に法制化し、それについてよくよく社会に周知して、これで問題は解決だってわけ。
でもだ、ぜんぜんそんなことない。なんで虐待へらないん!? お前ら、もっと虐待について問題意識もてよ!?
ってなかんじに、慌てふためいた。

まあ、こんな社会実験をへて、このナラティブモデルが実践的ではない、臨床では問題があることが分かったので、理論家たちはがっかり……ですよ。
哲学の終焉に併せて大きな物語が死んだ、とかいわれてることなんだから、逆にそっちの哲学の終焉が裏付けられた形になっちゃった。最後の哲学者も、ぐぬぬ、とうなったとかなんとか(てきとー)。


現在では、この問題を明らかにしてバージョンアップしてありますので、ナラティブセラピーを責めないでいただきたいし、ナラティブ・セラピーを提案されても直ちに拒否するようなことはしないでほしい。よく研究されていて、よく構造化されている。


構造! ポストモダンじゃないのか! 


いや、だから別の文脈からテクニカルタームを挿入されましても。空中戦じゃなくてさ、ねえ、わかるでしょ? あなたやあたしはみんな苦しんでいて、そして治療されたいと思っているんだからさ、もしそれをやるなら、あたしたちが治療されたあとにしましょ。
ね?