kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

誰も居ない、叩くならいまのうち

009 RE:CYBORGをみたと言ったな。実はあれは本当だ。
ああいう、いかにも批評家とか思想家がどうとでも語れる作品こそ誰にも聞かれずに独り言のようにつぶやける今こそ、なんでもいえる、というわけである。

009 RE:CYBORG 通常版 [DVD]

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あとはネタバレがどうなるかわからないので。

押井が監督する予定で神山が書いた脚本?

この件については噂に聞いていたので観ている途中でかなりやきもきするシーンが多かったのが事実である。いくらか予期していたが、攻殻機動隊 S.A.C.の構造をかなり強く引き継ぎすぎていて、神山監督でやったのはあたしとしてはよかったと思う。
いずれにせよ、S.A.C.という状況をサイボーグ009に持ち込んだだけ、などという安直な批判をされる可能性があるのだから、これを監督として作り上げるのに相応しいのは神山だけだろう。

もし押井作品なら?

あ、軍事オペレーションの描画がリアリズムというか、これぞという構造で緊迫感を煽ってくれるはずで、それが観たかった……! 作品全体としてださくでも、そういうのが観たいときがミリタリーコンプレックスという一部のユーザーには楽しみなのです。

集合的無意識 vs S.A.C.?

攻殻機動隊そのものが、心身二元論を根本のテーマに持っていて、ある未来を想定して物語を運用してみる、という実践哲学ともいえるような試みだった。
これはもちろん実践とはいえないわけだけれど、それは十分に身近に感じられる状況で構成され、それについて個人的に考察できる具体性を持っていた。だから攻殻機動隊S.A.C.は設問を最後まで観たいという欲求に追われて最後まで観てしまった作品である。
009 RE:CYBORG では設問はちゅうと半端で解釈の余地を残した作品となっている。
関連しない個人が同時多発的にテロを行う、(超)社会心理学的な問題を繰り返し問うているわけだが、そこに「超越したもの」をおくことで話を進める。その「超越したもの」については、哲学的に「かっこにくくっておいて」である。
あたしにはこのやり方が、S.A.C.とは違ってある意味引きつけられた。S.A.C.を事前に観ていたからだとおもうが、ちょうど相補的にバランスをとるような世界像とそのいくつかの奥行きの想像を提示してもらったかのようである。

フランソワーズ

かわいいのでよし。

CG

だからなんだってんだ。(ひらきなおり)

というわけで、個人的には好きな作品でした。