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去人たち開発ブログ

同人サークルK2Ceeが去人たち開発についての記事を掲載してきます!

物理人間嫌いで突っ切る方法

一度は死を覚悟した胃痛もだいぶよくなってきた。
しかし不思議なものだと自分でも思うが、痛みが薄れていくのが寂しい気もする。
世の中にはマゾヒストという、一見非合理なことに悦びを感じる者もいるのだから、実はそんなに不思議なこともでないのだろう。

特定コミュニティの中に居ると、関わりを一方的に拒むことが難しい。
物理人間が嫌いだから、とことこんコミュニティから遠ざかり、物理人とも接しないように心がけているが、それでも自分の生活を担保するために物理人間に接さざるを得ない時がある。
どうやら、目と耳を閉じて森の奥で本を読んでいることは不労所得がないと無理っぽい。

物理人間の分類

もちろん、子供じみた議論をしたい。
主観的で誰にも共有できない、個人的な経験論に依った非建設的な分類だ。

好きな物理人間と嫌いな物理人間

あたしは、エキセントリックでサイケでブラックジョークが得意な非常識でユーモアのある物理人間が好きである。それが非生産的ならなおさら良い。そういう人間をこよなく愛している。でも、そのような人間と関わりたくない。
あたしは、堅実で合理的、合目的的でそれでも慎重にことを進めるような物理的な人間が嫌いである。富に生産性が高いとなればなおさらである。完全なる憎悪の対象である。ただ、そのような人間と関わるのはとても楽だ。
あたしはこの2種類の能動的な分類を採用している。あとは、混沌としてのそれ以外である。
今、あたしが所属しているコミュニティでは、前者 1 %、後者 2 %、それ以外が 97 % というところだろうか。
俗っぽくいえば、
バカが 1 %いて、頭のいいやつが 2 % いて、あたしには評価することもできないようなバカなのか天才なのかもわからないような感心も興味もわかない本当に愛すべき地球よりも思い個別の生命をたたえた人間が 97 % いる。
学術述語とまではいかないが、ここでは省略してバカと天才という言葉で進める。(バカを蔑称、天才を敬称という間違った印象を与えていないことを祈る。この文脈においてそれぞれは価値評価の優劣がないこととを特に注意して欲しい)
あたしが所属するコミュニティの中でバカと天才という認知する 3 % は主観的な関係性を経験し、あるいは経験しうる対象だ。だがほかの、97 % は主観的な関係性を放棄し、拒絶する集団である。
97 % は未知の価値観、文化、論理で活動するものであり、その行動を推測することが困難な集団だ。
バカや天才の行動を予測できるかって? できないが、認知している範囲において、因果関係を自分の中で「経験的」に処理することができるので、関係性の維持が容易である。
現在はコミュニティの多様性がなくなり、規律化、画一化されてしまった。現代は生き方が多様化した時代などという輩がいるが、いったい何の幻想なのか? 職業の自由? 思想信条の自由? それはそれで大変結構。だが、それにより首を刎ねられることはなくなっただけで、だれも本流以外を尊重し、認めようとしているわけではない。多様化とは多くのコミュニティが断絶して点在してるという意味なのだろうか。

疎なコミュニティを物理人間嫌いで突っ切る

1日の発話ゼロを目指して活動している。会話は情報量が多すぎる。好きだろうが嫌いだろうが、文字でのやりとりでは、その情報量は現に一定である。それにどのような付加情報を与えるかは自分次第だ。
バカも天才も混沌もその瞬間の文字において等価なのである。その文字列を受け取るすべての何ものかのバックグランドを無視すれば、それらはデジタルで時系列に沿い、その中においては統制がとれた情報のやりとりに違いない。

それら実践結果で受け取るもの

胃が痛い。