月例去人たち活動報告会@ニコ生(2016/04/29) - シーズン1最終回
今月のニコ生
2016年04月の月例報告会をニコ生で行います。
これまでの月例報告会をシーズン1とし最終回になります。
今後は、定期的に活動を報告できるようになったら、シーズン2としてやっていこうとおもっています。
■日時
2016/04/29 (金) 22:00 ~
■ニコ生チャンネル
■参加
- kow@suhitoさんのプロフィール - はてな
- nitinoさん
- G9Fried (コメント参加???)
■内容
- 去人たちプロジェクトは Enty をはじめるようです
- 創作にいかす芸術鑑賞のコーナー
- kow@suhito担当
ピュリツァー賞 受賞写真 全記録 - ハル・ビュエル - nitino担当
未定
- kow@suhito担当
- ユーザ質問など
- 雑談など
事前に質問などがあれば、コメントや @kyojintachi でおねがいします。
- 作者: ハル・ビュエル,ナショナルジオグラフィック,河野純治
- 出版社/メーカー: 日経ナショナルジオグラフィック社
- 発売日: 2011/12/15
- メディア: 単行本
- 購入: 3人 クリック: 96回
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シーズン1の最終回に臨むにあたり、これまでのニコ生の所感を書いておきたい。
プロジェクトオーナーとかメインプログラマとか抜きにした個人的なはなし。
ニコ生をしたことで良いことと悪いことがあった。まあ、生きてれば良いことと悪いことがある。心臓が止まるまでそれは繰り返されて、そしてその比率で幸福度を測ろうと思っている。
そう、個人的にはね!
でも、この試みそのものは不幸である。
脱線しないように話を進めよう。ニコ生は人生じゃあない。良いと悪いで語ることはいいだろう。
まずは悪かったこと。
軽薄に語るべきことではなかったことを、雑に話すことによって伝えられないことがあった。結果、次の日、死にたくなることが多かった。ニコ生の次の日は後悔のあまり常に細かくふるえて過ごすことが多かった。お酒のみすぎてタガがはずれていた所はあるだろうが、それにしてもひどかった。ニコ生の次の日、「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」と舞台上で大々的に発表でもできたらよかったのだが、そんな舞台はどこにもないので結局一日を後悔で何もできずに過ごすことが多かった。
次。ユーザと交流がうまくできなかったことがある。とはいえ、「交流とはどこまでいったら成功か?」という問題はあると思ってる。あたしが思うのは、多数のみんなと交流するなかで、その「コミュニケーションパスが発散する方向に展開する」ことを期待していた。
「ホストであるK2Ceeが何もしないでそれは無理に決まってるwww」
とか言われちゃうね。こちらはてへぺろっと奥ゆかしい仕草を返し、また「生きるべきか死ぬべきか、それが問題だ」と公表すべき舞台を探すだけ。
次に良かったこと。
ユーザと一次的な交流ができたこと。前述の通り完璧ではないし、こちらの受け答えとしても納得はできていないけれど、それも含めて交流ができたことは良かった。
とくに強く主張したいのは、ニコ生というラグがはっきりあるほぼリアルタイムシステムにおける交流がほんとうにいい交流になった。今後システムが進化していくとほとんどラグはなくなっていくだろう。今このラグがある状況は長い歴史からみたら珍しい状態だといわれる。ただ、この微妙なラグは特異なコミュニケーションの場を作り、その中であたしたちは新しい発見ができる交流ができた。
ほかにニコ生をして良かったことは、緊張感をもって作業ができることだろう。「次までにこれをやる」と宣言することで緊張感をもって作業ができた。これまの楽観的なリリース計画ができなくなった。だからといって悲観的なリリース計画になったわけではなく、真剣に作業のボリュームを考えるようになった。
その他思った事。
コメントしない人も沢山いるんだろうなと思いつつ、話していました。それもまた楽しい体験だった。実際にコメントしない人がどれだけいるかなんかはわからないけれど。
「声がないリスナー」とのコミュニケーション(≒ディスコミュニケーション)は去人たちの月例放送の中では積極的に肯定したかった。
今後、ニコ生する際にもこの点は楽しい体験の1つとして期待している。
コメントすべきことがなければコメントしなければいい。コメントしたくても、できないならしなくていい。
うまい日本酒とうまい肴、厭世的なな歌詞をシャウトするJPOPをBGMを流しながら、こんなどうでもいい内容のブログを誰が読むんだろう、などといらぬ心配をしながら書いた。
この行為自体は、良いこととして継続すべきことでもない、悪いことだから改善するべきことでもない。
でもこれは掛けがないのない時間だと、いま現に感じる。