去人たち開発ブログ

同人サークルK2Ceeが去人たち開発についての記事を掲載してきます!

我々は或る火炎放射器を手にしてしまった。我々はそれを「譲渡すべき/したい」誰かに出会う。

放送大学を聞いていてはっとした。英語には一般名詞が特定の個体を指示しない。シニフィエとかシニフィアンって日本人にピンとこないのってそういうことなのかもな、って思ったのです。
日本では、「猫」は抽象性、具体性の両方を意味し得る。猫といったときに具体性を持たない猫のイメージを持てるし、これは自然に思える。
しかし英語に於ける "cat" は猫全体を示す抽象的なグループとそうだ。ある固有の猫を取り出すために、"a"、"the"、"that"、"my"のような決定詞をつけて具現化させる。
えっ? この前置きがなんなのかって? そんなふうに聞かれても応えられない。これが何かの前置きだと思ったのはあなたなのでしょう? わたしはわからないです。

去人たちは、常に「自分でなくなりつつある」という過渡状態を意味している?


一切合切を焼き尽くして灰にする、普遍的な真理ってそういうもののような気がする。そして、哲学者は普遍的な真理ってなにかを考え続けている。
でもそうなら、すべてを焼き尽くす最強の火炎放射器を開発するエンジニアと哲学者の違いはなんなんだろう?
良心? 決意? 倫理観?

それは――

って、本当のところ何が違うんだろう?
あらゆるものを焼き尽くす手段と位相が違うだけで、それらを探し求めるプロセスは哲学者もエンジニアもたいした差はないんじゃないだろうか。
そもそも「焼き尽くして灰にする」なんていう一方的な言い方は、我々が「火炎放射器」というメタファーを話題誘導のため恣意的に選定したためだ。当人たちにしてみれば「世界を遍く照らす装置」といったほうが近現代的な合目的性からいっても、抽象度からもしても、ポリティカル・コレクトネスを気にするはてな界隈以外にとっても、適切かもしれない。
「一切合切を焼き尽くして灰にするなにか」≒「世界を遍く照らす装置」から逃走する手段の一つが境界に立つ、という方法なんだと、わざわざ言う。
ご都合主義で、ただそうでないというだけの消極的な意見しかもたない彼らは、誰からも相手にされないが、彼らは彼らで「一切合切を焼き尽くして灰」にしようとする何かや「世界を遍く照らす装置」で満たそうとしている何かよりはマシであると自負している。
それは本当に都合がいいなと思う。