去人たち開発ブログ

同人サークルK2Ceeが去人たち開発についての記事を掲載してきます!

去人たちレビュー応答:その6

去人たちとかいう作品を発生させることと創ることは全然違うことなんだよな、とか無から有が発生した瞬間にロマンを感じる14歳です。


今回取り上げるレビューはこちら。


去人たち


infoseek や nifty がぞくぞくと撤退し、HTML4 は絶滅していく中で、 geocities はいまだ頑張っている。
リンクを張っていて価値があるのも今のうちで、数十年もすればこの記事も孤立しているかもしれない。
それでもこの記事の潜在的な価値は変わらないんだ、というスタンスなのは去人たちならではないだろうか。


このレビューは現存するレビューや感想の中でもかなり古いものだとおもう。
dl ライブラリ版、yanesdk版、 yanesdk4d版、 yanesdk.net版と、それぞれ角をとってわかりやすい表現の去人たちを何度も作り直していた私たちの中で、yaneSDK4D版はまだ尖っていた去人たちである。まだアートだった、といっていいかもしれない。

しかし、この独特のシナリオに読まされました(難しい単語が出てきますが^^;)。
荒削りですがオリジナリティがあって、個人的にはこういうものに出会えたら嬉しいですね。一般向けな作品ではありませんが、ツボにはまる人には良さそう。


この感想は、わたしたちにとってとてもうれしいものだし、同時に突っ込んでインタビューしたくなるような感想なのだ。
今後も同様のレビュー応答をすることを予期しているのだけれども、わたしたちは一般的に「去人たちを創ったら褒められる」と思っていた。14歳は自信過剰で周りが見えていないのかもしれない。でも、多少はわきまえていたようで、こんなものをつくったら「叱られるだろう」ということも少しは予期していた。そして、そのように「きちんと叱りつけられる」こともセットで必要なのだと思っていた。
キョジンたちという「反転した実存」、「シミュレートされた実存」はそれ自体の矛盾によって批判されると同時に、相反する指標によって止揚されていくのだ! アウフヘーベン

はあ……

主観的に振り返って、今でもその試みが価値のないことだと思っていない。その基準においてはよい試み、トライであったと感じている。ただ場況を読み違えたことについては間違いない。そしてその間違いは致命傷だった。物語と現実がより乖離し始めるという情況をよめていなかった。巨人たちや虚人たちの文学的価値は、それ以外の価値とほとんど共有できる部分がなかった。

今後に期待できる作品ではないでしょうか。後半の展開がよくわからなかったのが残念ですが・・・
個人的には、こういう作品は大好きなので点数は甘くなります。

後半の展開――そもそも去人たちⅡの展開は、どうやってもおかしくて、それを許容できる人だけ受容しているかのようだ。対話をやめた、あるいは限定したように見える。
でも対話ってなんなんだろう? それがなければ無価値なんだろうか? 価値がなけばだめなんだろうか? 無価値に価値はないだろうか?


……………………

価値観は複数あり、その価値観の対立はその価値観の数だけ対立するパスがある。多様な価値観がある世界では、それだけ多くの対立がありそれをコントロールすることなんてできないんだろうと思う。
去人たちⅡとは、社会統制不可能性と実存の関連性を明確にしたい、っていうありがちなAI論の延長にできたものじゃないのかって思ったりしますが、みなさんはどう思いますか?
わたしの仮説がうまく説明できているかもわからないですが……