kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

K2Cee 忘年会 2016

 今年は忘年会と呼ばれるイベントが1つだけだった。ヤマシタさんから誘われなければゼロというところだった。忘年会という文化は残って欲しいが、あたしには関係の無いところでやって欲しい。酒を酌み交わしながら創作とか貧困問題とかアイドルとか文芸とか政治腐敗とか一番楽な死に方とかテロリズムとか美食とか環境問題とか性差別とかダークマターとか沖縄の基地問題とか世界のミリタリーバランスとか天気の話とか寺山修司の性癖とか、つまり、なんでもいいんだけどさ、着地点を求めない空中戦がしたいんだ。それが「忘年会」でしかできないなら、忘年会は必要だ、ゼッタイに。だけどそれが年末で行わなければならない理由はなさそうだ。いつだっていいじゃないか。そう思っていた。でもそうはいかないのかもしれない。溜まったガスは放出しなきゃあならない。あるラインを引いてそれ以前とそれ以後と。それ以前にガスを放出して、それ以後はうまくやらなきゃならない、というわけである。そういうことなら、いいじゃないか、いいじゃないかと思うが、ご存じのとおりそんないいもんじゃない。油断してゲロったものから来年の処遇は方向性は決まってしまうという恐ろしいイベント、それが忘年会。それでその組織で生きるか死ぬかが決まるだって? 馬鹿げている。
 くだを巻いて卑屈になって権威にかみついて、ひっかんだり、やっかんだり、ケチをつけるだけつけて、それでも来年になればそんなことをいったことはけろっと忘れる、そういう精神科領域では特異な文化的健忘をやってのける真の忘年会をここでやってみよう。残念ながらこれから先はしらふの読者はご遠慮していただきたい。忘年会会場は超法規的扱いでアルコール血中濃度が0.1%未満の方の閲覧は禁止されています。大変お気の毒ですが。え? 未成年? 未成年はお酒飲んじゃあだめです。お酒飲んだらダメだし、罰則もあるかもしれないしないかもしれない。


 さて、忘年会にご参加いただきありがとうございます。とりとめもなく話して章立てもないという気楽さは本当にあたしが理想するお酒の席である。
 今年の映画について。正直、映画館に一度もいってないからなにも語ることはないんだけど、なにがって衝撃は「君の名は。」というかいう新手のミュージックビデオが観客動員をしまくってしまくりまくって話題になったよってことだよね。それを聞いてどう思ったって、そりゃ 人類は衰退したんだって思ったもの。
「見てない! 見てないっていったよね!」
 あー、ちょっといいですか、しらふのかたが紛れ込んでいるようなので何度もいいますが、超法規的扱いでアルコール血中濃度が0.1%未満の方の閲覧は禁止されています。厳に慎んでいただきますよう。厳に慎んでいただきますよう。
「あるはらあるはら!!!!!」
 うーむ、アルコール血中濃度という制限はいいアイディアだと思っていたけど、まさかIQまで制限かけないといけないのかな。こればっかりは自分も自信がないからしたくないんだよね! 80? 70? あー、やっぱ、30くらい?
 話がそれた。まあ、言っても「君の名は。」がジブリ作品を越えてしまっても良いと思っていた。「君の名は。」の界隈のツイートをみているだけで作品の中身まで想像できたのだから、芸術性ではなく、アニメーション作品の総合力としてそれは認める必要があるんだろう、とぐらいに思っていた。そしてそれをみたらきっと個人的には退屈なんだろうな、とも。良くできた工業製品に芸術性がないだの挑戦がないだの新しいものがないだの文句をいうほうがおかしい。プリウスはレースで勝つのは難しいけど、街中では死ぬほど走ってる。それをレースで勝てない車だと非難するのは見当違いというものだ。
 ただ、自分の想像が貧弱だったと体験した。愛聴しているラジオ番組の「おはようパーソナリティ」の道上洋三が「君の名は。」をやたらと褒めるんだよね。で、そこで感じたのは、ジブリ映画とディズニー映画とサザエさんちびまる子ちゃんしかアニメが存在しない世界というのがあるんじゃないかってこと。(利権とかスポンサーとか頭によぎったけどそれを考えるのは無駄なのでやめた)
 見たことがないような背景、それは現実よりも美しく、斬新なカット(カメラアングル)は新鮮とか。うむうむ……で? もしかしたらフルカラー写真ができても絵画が残っているのは不合理だとみな考えているのではないかと不安になった。まさに衝撃だったのだ。表現手法の発展の系譜、というお題でアニメーション作品をならべよ、といわれたときに「君の名は。」は中世で「千と千尋の神隠し」は近代、現代である。美術の試験にでてもおかしくないほど典型的な違いがある。

プリウス? あんなのプロレタリアートが乗るサイテーの車だ」と根拠のない悪口を言って楽しんでいる。
 ほんと自分の書いていることが酷いったらないね。アルコールってヤツはほんとうに人間をダメにする。こういったダメな人間が沢山居る席が忘年会。ではそんなクソみたいな持論を展開する飲んだくれがいたらどうわめいたらいいかを教えよう。
「やっぱ、現代のミュニストの作った作品が至上! ジブリを見なよ、ジブリを!」
 わっふー、最高に刺激的な忘年会。間違っても新年会ではやらないようにね。

 じゃあ、良い映画は? ああ、考えなくて思いつくのがある。「シン・ゴジラ」や「この世界の片隅に」はいいよね? うんうん。よくわかるけど、いいやつはみんなが褒めてるだろ、そんなのは実際に見たヤツがほめてるのが一番いい。他では話題にならないようなイケてる映画を取り上げないとね。
 まず一本目は、「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」だよね。あれ、これ公開おととしなの? あ、そう。まあいいじゃん、ほとんど今年みたいなもんだし。それにたった今いいとおもったし、そこまで思い入れもないけど、アニメーション映画と対比したら良い作品じゃないかってひらめいたわけ。あんな映画をつくるために1:1スケールパトレイバーを作って全国回ってたんだから最高以外のなんでもないよね。押井という名前があれば、それだけの金が動く。そしてアニメの焼き直しをするのだからその勇気はすごい。正直、映画の感想はマニア向けの特典映像程度といえるが、実写でやったことでその差異は際だった。「リアルな戦争」を題材にした実写とアニメーション作品でこれほどまで印象が変わるのである。それは表現方法の違いだけではなくて、受容者の選り好みや前提知識によっても変わってくるものだと実感したのだ。「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」はパトレイバーファンならみないほうがよいだろう。同人作家なら自分の作りたいモノが実写なのかアニメなのか小説なのか漫画なのか演劇なのか、わからないならみてみると良い。これほど大がかりに金を突っ込んで大々的に比較できる作品は他にない。穿った見方をすれば実験的な手法で興味深くかつ研究にも役立つと思う。

 では二本目だが、もうこれはけっこーファンが多いからあたしが解説しようにも方手落ちになりそうだが、今年の良い映画の一つ。
「貞子 vs 伽椰子」
 これもマニア向け特典映像程度といえるものだが、前述のパトレイバーよりはマニア度を抑えてある。なにがどう、マニア向けが分からない人も多いと思うが、「戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 」シリーズという新しいホラー手法で有名な白石晃士監督が、「貞子 vs 伽椰子」の監督している、ということ。新しいホラー手法ってなんだろう? ホラーと言えば、ホラー×エロの組み合わせが定番である。これはデストルドーと関係しているとか死と直面したときの生存本能がどうこうとかいっているような話じゃなくて、単なる文化的な側面でしかない。映画はアベックが消費するものであり、その映画を見終わったあと恐怖で距離が縮まっているといい。でもグロテスクなだけだと気分がわるくなる。そこでエロスが必要なってくる、という仕組みである。この古典的ホラーの構造をを打ち壊すのが「戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 」である。そもそも古典作品といえば勧善懲悪の構造でもって騎士道を美化して苦難に立ち向かう若者の成長を描く、というのが一つの典型。「戦慄怪奇ファイル コワすぎ! 」ではそれを打ち壊してみせるわけ。悪漢小説の手法を持ち込んだわけ。考えてみればホラーに反社会的要素って取り入れやすいはずなのにそれを強調しなかったよね。むしろホラーという展開の中でそういうものは合理的に自然に見せようとしてきた。それを敢えて強調することで、「ホラー映画なんて恐くない」と強がっているといいながら本当はびくびくしている視聴者をすっかりその世界に引き込んだ。これは黄門様が印籠を出して悪人をひれ伏せさせるのと同じ構図なのだ、ただそれをアンチヒーローに置き換えた。印籠を金属バットに置き換えても恐怖を打ち負かすのは、見ていてすきっとする。もうホラーを怖れる必要はないんだ!
 えーっと、「貞子 vs 伽椰子」だけどきちんとツッコミどころを要所要所でつくってくれているので、「コワすぎ!」を見た後に特典映像としてみると良いと思う。

 「君の名は。」の悪口が一番話がながいってオチになりそう。悪口ならいくらでもいえるって悲しいね。自分の品性の下劣さに消えたくなる。
 さ、自分の醜い本性を改めて思い知ったのだから、居直ってどんどんいこう。今年のイチオシ映画は「帰ってきたヒトラー」。半分冗談でつくって半分真面目につくろうとしているバランス感覚は「当然そうなるよね」といって割り切れるものじゃない。ヒトラーが2014年のドイツにタイムスリップ! ってだけでいろいろ想像してしまう。。さらに「モノマネ芸人ヒトラー」が民衆の心をわしずかみ! とかもうSF短編小説だったらわくわくして読んじゃうよね。 ヒトラーの非人間性と決断の正当性は対比されているけど、非人間性は作為的でコメディー仕立てにするだけの仕掛けであり導入でしかない。それに正当性といっても「政治の建前」を突破してているという明瞭さだけだ。ポピュリズムだなんだといったたって、国民の大半はその意味すら知らない。「笑うな危険」というがこれは本当にずるい。そしてうまいなとうなってしまう。ヒトラーで笑うことが不謹慎である、というタブーを知りながら制作側は笑わせにきている。その上で「笑うな危険」とはずるい。さらに悪いことに映画が不謹慎だとたたこうにも映画の中でバランス良く賛否を取り上げているのだからこれは卑怯である。
 優れた芸術の1つの要素として社会的影響力があると思う。その点、「帰ってきたヒトラー」は社会的構造をつかんで綿密に組み立てられている。ヒトラーはタブーという現状と判断停止を皮肉って現状を認識させたうえで思考の再開を促す。記憶の中のヒトラーと記録の中のヒトラーを対比は中だるみしそうな作品をうまく引き締めていると思う。
 一般的にコメディ映画をみて笑うのは普通のことである。コメディ映画をみて笑わないのはむしろ人間的に問題がある。そして、「帰ってきたヒトラー」がコメディ映画の要素があるとすれば、笑うのが普通であると思う。それができない理由はなんなのか、と問うことでこの映画は二倍おいしい。
 そしてもう一つ、この映画をヒトラーの生まれかわりとかなんとかで、全く別の容姿だったらどうだろうか。映画の筋はちょっと直しても良い。誇大妄想とかそういう感じに。でも、たぶんだめだろう。おそらくヒトラー以外の誰かでは視聴率はとれず話題にもならないのではないか。ヒトラーがやるから数字がとれる。ヒトラーはだめだ、という意味の無意味で消極的な悪魔崇拝もひしひしと感じちゃうよね。
 そして最後の終わり方。劇中劇という臭い消しをしながらも、ヒトラーが超虚構的に決めぜりふを吐く。賛否が分かれるだろうが、個人的には好きだ。あたしの感想だが劇中劇という虚構を強く意識させておきながら安易な回答を提示することで受容者がほっと胸をなで下ろすことを狙ったものだと思った。胸をなで下ろすと同時にオチがくる、というわけである。「オチ」があって安心したほうと、「オチ」があってぎょっとさせられるのか、あたしは前者が好きってことだと思うけど。後味が悪い映画は好きじゃない。


 さあ、お開きにしよう。正直もう飲めない。吐きそうだ。
 書いていて途中で思ったけどさ、作家性の強い二作品と、キャラクターの作品を褒めたみたいだ。何かを作っている人ってさ、作品と個性、アイデンティティなりをくっつけて認知して欲しいのかも。作者なんていないって誰かはいっていたけど、まあ、それはそうなんだろうけど、もっとも作者に近い読者がであると思うことは悪いことじゃない。なにか良いことがあるかはわからないけど。