kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

6月12日(金)

六時にいちど目覚める。頭の中に流体金属が詰まっている。また熟睡感ゼロ。気を失うまで呑み続けた気がするが、二日酔いの症状はない。こき使った肝臓は死にかけている。お酒をこんなに早く分解できるわけがない。たぶん身体のどこかがぶっ壊れている。二度寝する。八時。目を開ける。眠い。だけど寝られない。眠気とは別に脳のどこかのスイッチがずっとオンになったままになっている。諦めて起きる。あやが取り憑くような倦怠感はない。お酒を多少飲み過ぎたあとのけだるさのみ。なぜかオレは不満。

朝の儀式をすませる。アイスコーヒーを淹れる。ライフログの睡眠をみると五時までは浅い睡眠。二度寝をすると深い睡眠になっている。深い睡眠は一時間とちょっとだけ。お酒を飲めば睡眠の質も悪くなろう。外を見ながらコーヒーを飲む。なんでもない。つらくもない。悲しくもない。焦燥感もない。希望もない。いままでにない不思議にフラットな朝。死んだことに気づいていない地縛霊がいるとすれば、こういう気持ちかもしれない。
そういえば印象的な夢を見た。いつもは夢を思い出せないのだけど、一ヶ月に数度程度思い出す事がある。暗くて薄汚れていてさび付いたドアが続いている長い廊下、オレはその先に自室があることをしっているよう。進んでいくうちに右腕がもげる。痛みはない。そして右足ももげる。痛みはない。這いつくばって自室に向かう。そこに到着すればなにか問題は解決すると思っているようだった。ゆっくり這いつくばって廊下をすすむけど、廊下は延々と続いていてこのままだと老いて死ぬ、ということがわかった。それがいままでに感じたことのない種類の感情を植え付ける。恐怖で目を覚ました。
あやの罠かなにかと思ったが深く考えない。夢の中の感情は味方な気がした。すくなくともオレは自分の名前が入った本を早く書いて国会図書館に納本したほうがよい。どうやら長く生きられそうにはない。

6月11日(木)

朝の体験が徐々に改善に向かっている気がする。あやの気配はするがまとわり疲れる前にふとんを脱出すれば自分の意思で活動ができる。要因は何だろう。お酒を飲むようになったというアンチパターンがあやの体力を奪い、代わりにオレの肉体が蝕まれているという悪魔の契約のせいか。日光によってオレの本来の地肩がもどってきか。肉体活動量そのものを増やした事によるホルモンバランスが整ってきたのか。それともただの精神的な波でたまたま良い時期なのか。施策をいっきにやり過ぎて因果関係がわからなくなって検証不能。結果ファーストだとすればそれでよいが、継続するためには過程の検証は必要だ。まあ、即時レスポンスでないものの検証って数字遊びになってしまいがち。

午前中は馬カフェ、タンブルウィードに行く。先にパイパーマートにでかけてにんじんを買う。キモサベにおやつをもっていけばキモサベの好感度ステータスはぐっと上がるだろう。カフェにいくとどうしても乗ってみたくなるから困る。短い期間で集中してレッスンをうけているので上達がみえて面白い。キモサベもとてもかわいい。乗ったあとにキモサベの身体を拭いてあげながらキモサベと雑談するのが楽しい。馬の男の娘バーにどんどんお金をどんどん吸い取られていく。今日はにんじんもあるので、キモサベもめをひんむいて喜んでいる。果物のほうが好きという情報を得たので、次は別のものをもっていこう。

お昼ご飯にハイパーマートの半額お弁当をたべる。ぐったり。ふとんから魔の手が。二時間ほど意識を奪われる。目覚めたあとにふとんから逃れる。はあ、危ないところであった。
アイスコーヒーを淹れる。キモサベに負担を減らせるようにもっと乗りたいなあなどとぼんやり考える。

ヨドバシオンラインで買ったエアコンが今日、自宅に届くらしい。取り付け工事もしないのでうちにとどくのか、とヨドバシのサポートに架電。十分ほど待たされて繋がる。
一言でいうと「配送だけというのはない。取り付け工事と配送は同時なのでご安心を」ということだった。しばらくしてチャイムがなってでると「エアコンの配送」だという。取り付け工事の方では、ときくがきょとんとしている。うちはヨドバシから配送を委託されているだけで、前後のことはわからないという。責務が明確に分離されている。彼らを責めても何も生まないし、彼らの仕事自体はなんの瑕疵もない。オレをいってエアコンを受け取る。少しイラっとしている。頭を冷やさなければ。お風呂にはいって身体をほぐす。そしてアイスをかじりながらヨドバシのサポートに架電。再び、十分ほど待つ。コロナ禍でオンライン注文が増えれば問い合わせも増えるだろうし、サポートデスクは人員削減してるだろうし、この手のサポート崩壊はどこでもおこっているだろうなと想像できる。待ち時間はイライラしてもしかたない。ネットでもやってゆっくりと構える。サポートに繋がったあとにこれまでの事情を伝える。「お客様のエリアが特殊なエリアになっているので配送が先にということがあり、正常です」という説明。取り付け業者からはいつ連絡がくるのかを聞くと、配送日がわかっているので、注文後一週間前後で先方から電話がかかってくるとのこと。もう注文して一週間たっているんですが、かかってきてないですよ、というと困った様子。他人に期待しない。イライラしない。請負業者の電話番号だったり会社名を教えていただけますか、聞いたが、サポートでは情報をもっていない、どこに割当たっているかわからないとのこと。頭が痛い。対応してもらったサポート担当はまだサポートスキルが低い気がする。典型的な問い合わせ対応をこなすことがほとんどなのではないか。多忙で電話をさばく回数のみを評価されていないだろうか。イレギュラーパターンでのサポートで問題を解決についてよりよい提案が不足しているような気がする。全員が高いサポートスキルである必要はないが、サポート範囲をきめて典型的な質問の担当とハードクレームやイレギュラーはエスカレーションして専門部門で折電対応とか、サポートの質を向上を期待したい。ヨドバシの物理店舗が近くにあるわけではないなら、わざわざヨドバシオンラインで大物家電は買わない方がよさそうである。大型ECショップの難しさもあるだろう。物理店舗とオンラインサイトの注文管理、引き当て、請求、発送。ここまでの仕組みは他社ECサイトと遜色はない。それ以降のプロセスに課題を感じる。特殊配送荷物はエリア毎に複雑に構築された自社の配達網があり、さらに提携工事業者との連携、これらを全体最適してリードタイムを短く、トレースできるようにし、かつリアルタイムでステータスを管理する、なんて日本の技術力では無理だ。電話とFAXによる電信が蔓延していそうである。日本の水準において組織横断して最適化、仕組み化を浸透できる力もリーダーシップもない。日本、悲しい。みんな一緒に衰退していきましょう。

今日は夜からエクリプスの打ち合わせ。記事録を用意する。プロダクトともにチームも成長していかなければならない。私たちはどのようなものを作るべきかまでは決まっているが、何を作るかは決まっていない。何を作るか、誰もがやきもきしているが、もうそこにいってよいのだろうか。そもそも個々人がたまたま集まったこのグループが本当にチームとしてやっていけるのか、むきなりが必要ではないのか。議事録を作ることで自分が不安に思っていることが整理できる。
夜に紛れてあやがくる。一緒にコーヒーを飲む。コーヒーをおいしく感じられない。

ミーティングを開始する。ラーメン大好き河合さん、行方さんが先に集まっている。あやが首に手をかけて「いかないで」と微笑んでいる。その程度で人は死なない。だから、その行為が奇異で不気味だ。あやの手が首にかかっている。オレはオレにしか興味が持てない。インターネットの先にラーメン大好き河合さんや行方さんの物理的身体があると思えない。あやの行為はそういうデバフ効果があるようだ。つまり自分自身を意識させることで世界からの切り離しをさせてしまうのだ。倦怠感を取り払うために飲み物を飲む。軽い体操をする。深呼吸をする。発声練習をする。声がでない。絞り出す。
ミーティングの議題はいわゆる「企画」の段階に入る。チームビルディングという観点でインセプションデッキをつくってきたが、次は「プロダクト」という観点でロードマップをつくり、インセプションデッキと紐付ける。インセプションデッキという確固とした土台を元にくみ上げる。プロダクトの段階設計、いわゆる開発ロードマップ。個人的にはロードマップは嫌い。政治的意味合いが強くなってしまう。そしてロードマップが「固定されたコミットメント」として誤用される。機能、品質、納期のトレードオフでロードマップは可変である。「不確定要素」というものが多く含まれている。だからロードマップはコミットできない。納期は絶対の単一の制約ではなく、トレードオフスライダーのなかで調整されるべき可変要素にすぎない。こういったプロジェクト管理における誤用の弊害を身にしみて感じていると、ロードマップという形式が憎くなる。それでもロードマップは必要。アジャイル開発の肝は大きな問題を小さく分解すること。達成可能なタスクにまで小さくすること。小さい問題を高速で解決すること、問題解決の結果が正しかったかをすぐに検証すること。またそのプロセスでチームが持続的に成長すること。ロードマップはその第一歩。その意味でオレはプロダクトの段階設計をしてみませんかと、河合さんと行方さんに提案しやってみることに。オレも初めての議論なので作成プロセスの試案をだしてトライアンドエラーで進める。無制限に段階が広がってしまうの、最終目標を「いつまでにだしたいか」を仮置きして議論を進める。トレードオフスライダーでは納期が優先順位がもっとも低い。それでもあえて思考に枠を設けることで、議論を進めやすくする。議論の結果、仮置きした期限が無意味な制約であればとっぱらってしまえばよい。メンバーが納期に執着しないようにファシリテーターが注意を払えば良い。議論の前衛と後衛。議論しやすい土台ができたところで一旦、一息入れる。
ゲームを作ったことがないんですよね、と河合さんにふる。河合さんはむっとしたように、前も言ったけど作ったことないですよと口をとがらせる。河合さんは議論がまだ煮え切っていない状態にナーバスになっていたかもしれない。十四歳末期に訪れる老年性の同じ話題をの繰り返し病を許容してもらえるようにあとでこっそり河合さんにお願いする。オレは慌てて別の話題に逃れる。冷や汗。
段階の設定は予定したミーティングの時間までには大まかに決まった。ノープランで臨んだがざっくりでも切りの良いところまでできたのは良かった。実現性はべつになんからの見通しがたったことはチームにとってもよい材料となった。河合さんや行方さんが強いモチベーションで議論を進められたのも大きい。

ミーティングのあと寝なければと思うが、脳みそにギアが入っていて眠気がこない。規則正しい生活リズムは崩したくない。寝るためにお酒を追加する。一定量を超えると酒量のリミッターが外れる。これが問題で断酒したわけだからこの状態は再発といってよい。

6月10日(水)

相変わらず睡眠の質が良くない。何度かの覚醒をへて、九時に布団から起き上がる。覚醒する度にあやが魔の手を伸ばして布団に引きづりこもうとする。オレの意思で布団を脱出するラストチャンス。「このまま寝ている」「起きる」の選択肢が表示されたあと、「起きる」を選択するためには十秒間に一六〇回「起きる」をクリックしないと失敗する。そういう選択肢。
朝の一連の儀式を終えて着席する。あやは褒めてくれるわけでもないし、責めるわけでもなさそう。むしろ何もしないことで自分を気づかせようとする。人心を手玉にとるのを止めて欲しい。あやにはオレの決心を見せつけておく必要がある。今がその好機である。
オレは自転車に乗ることで自分を殴りつけるすべを身につけている。だがオレばかりが疲弊していてあやはへこたれていない。次はウォータースポーツであやと勝負よ。身軽にできることは素潜り、そこに到達するまでに水になれておきたい。スノーケリングにトライする。それが今だ。
装備を着込んで自転車で海岸までのんびりサイクリング。水泳は得意でも不得意でもないはずだが水泳自体を何年もしていないし、海となるともう記憶にないぐらい入っていない。岩場の海岸線、フナムシも以前ほど異様さはなくなっている。超高速ダンゴムシの類いだと思えば、うむ、やっぱりぞくぞくする。スノーケリングスポットとしては知られているが、平日なので誰もいない。内海で波はほとんどない。波の高さとしても離岸流を気にすることもないだろう。ド素人チャンス。岩場の波打ち際でちゃぷちゃぷしながら海水温のイメージを掴む。ウェットスーツ上からは冷たいような気もするしそうでないきもする。撥水性が高すぎて浸かってみないとよくわからないのか。フィンをつけると思い通りには足が動かせない。顔を付けて水漏れチェック。マスクはしっかりと装着できているようだ。砂浜でないので下は海藻がゆらゆら。異界じゃないか。フナムシ程度に嫌悪感をいだいていたが、こんなところダライアスレベルの奇妙な生き物たちがたくさんいるに決まっている。足の裏がぞくぞくする。足裏濡れているとぞくぞくする病が前面にでてくる。こんなところで二の足踏んでいても仕方ない。なにかあればあやが助けてくれるだろう。飛び込め。
ゆっくり潜ったつもりがすっかりダライアスの世界である。激的変化。思考が停止する。海水温とその感覚、冷たい。水圧。視覚、ダライアス。フィンのもっさり感、呼吸に関する意識、鼻と口の区別がつかなくなる。聴覚は水中モードへ、聴音からの距離感喪失。そして思ったより深い。パニックに陥ったら足もつかないし死んじゃうじゃん。水の怖いところはどんなに浅くても水死できるということ。たった数秒のうちに起こったことを説明するとそんなこと。恐怖という言葉で表されるような体験を分解すればどうってことはないありきたりな知覚にすぎない。でも恐怖は状況を悪化させる。なぜそんな状況を悪化させるんだろう。パニックと呼ばれる恐慌状態のほうが生物的には生存確率が高かったのだろうが、人間は判断によってより生存確率が高い選択をできる。なぜそのようにこの身体は進化していないのだろうか。過呼吸、身体統覚の喪失、震え。でもあやが笑いながら助けてくれる。死ねばいいのに。その一言は恐怖心を減らす。そう、なにかあってもたかが死ぬだけ。オレは息をとめる。足をとめる。手もとめる。身体が浮き上がる。シュノーケルが口から大気に繋がっているのを感じられる。水圧と水温はひんやりをオレを包み込んでいる。身体がほんのすこしゆらゆらと波にゆられる。眼下には異界化したダライアスの世界。ぱきぱきという世界の窓ガラスが水圧に悲鳴を上げている音が聞こえる。
スノーケリングを終えて帰宅。洗濯にかけ風呂にはいる。なんとなく食木崎先生の生命の源という言葉を思い出す。でもその言葉の世界にフナムシはいない。言葉と現実のギャップはオレのせいであるからしょうがない。
水に浸かったあとはなぜか麺類が食べたくなる。それはまずくても良い。冷蔵庫に野菜がのこっていたので冷やし中華というかサラダ麺として食す。海水を少なからず飲んだので塩分がしつこく感じる。
小学校のプールの授業のあとって眠くなるよね、という話を持ち出したいのはきっとあや。オレも共感するものだからつけ込んできた。寝てはいけない。映画をみる。パッケージに惹かれて「怪談」を見る。十二歳のころに見たことはあるような気がする記憶はさだかではない。四本のオムニバス作品だが時間はたっぷり三時間映画。(そもそも有名な怪談ではあるが)ストーリーは怪談の「型」を守る。音響によるどっきりポイントもない。じっくりと丁寧に怪談を描写する。展開もゆっくりとゆっくりと味わうように進む。昔、物事には味わうべき「間」というものがあった。この映画が公開された当時の人間と時間の関係を少しだけ想像できた。人間と時間の関係というテーマをもらったような気もする。雪女って身勝手で好きだなあと思いながら寝落ちする。
一九時前。目が覚める。夕食を食べなくては。ハイパーマートにでかける。おつとめ品チャンス。道行きの途中、雪女の目的はなんだったんだろうと今更ながら考える。むしろどういう信頼関係のもとに性的な関係になりえたのだろうか。雪女は妖怪ではなくて人間なのではないのか? お惣菜、お弁当コーナーで半額のお弁当でもかって帰ろうとしたが、お弁当コーナーでお兄さんがお財布の小銭を真剣に数えながらカゴにはいっている商品と検算をしている。だめだ、オレには彼がこのお弁当を買えるか買えないかの瀬戸際というところで半額の親子丼を横からかっさらっていくことはできない。おにいさん、そのお弁当おいしいから買っていくとええんやで。ホワイトロリータルマンドなどを物色したあとにお弁当コーナーにもどると親子丼弁当はなくなっていたので安心する。きちんと買えたんやね。ちょっとだけ嬉しくなって半額のポテサラを買う。ポテサラはいつも贅沢品である。
家にかえっていなり寿司とポテサラでお酒を飲む。適当に執筆をする。この日記を公開してはずかしくないとしたらどうかしている。あやは黒歴史になるから、そのうち死にたくなると言う。彼女はオレが本当に死にそうになると手助けしてくれる。でも本当に最後のそのときはほくそ笑んでいるのかと思うと、愛らしくて仕方ない。

6月9日(火)

無の月曜日が終わる。そして目覚め。いつものように身体がだるい。何か脳みそに刺激を与えたい。放送大学ユング心理学のなにがしかの講義を聴講する。ペルソナと自我とゼーレの話。俗に要約すると偉い政治家先生が夜は風俗で赤ちゃんプレイをしている、みたいなペルソナとぜーレの一例を挙げていて、オレもときどき赤さん言葉がでてしまうのは偉い先生になる要素がすこし含まれている可能性があるのかと期待する。講義の要約によるとゼーレってアニマやアニムスのこと。そうなのか、エヴァのイメージしかないがやっぱり赤の書を豪華版で一度は読んでみたいと思う。国会図書館にいったらいつか読むぞ。個物的な自己はペルソナ、アニマを調整して社会に適応できるのかなと勝手に想像する。ペルソナはなんとか使い回せている。だがアニマはダメだ。オレの倦怠感の原因とはいわないが根っこの近傍にいて影響をあたえているのはアニマと思って良いのかもしれない。この倦怠感と本気で向き合うときがきたのかも知れない。「それ」を対象化し分析することで治療できないか。「それ」に名前を付けよう。オレは考える。アニマは女性なので女性の名前がよい。印象的な名前だとよいがそれは見え映えや意味を求めすぎている気がする。印象は強いが深い意味がないもの。初恋の女性の名前でもつけておこう。十四歳にはそれぐらいでちょうどいい。アニマを「あや」と名付ける。実際の「あや」氏と個人的な会話はしたことはないし、実際どんな性格かも最後までわからなかった。
いつのまにか放送大学の講義は別の講義をしている。名前だけを決め、あやと対話するのは今度にした。名前が都合の良いときに呼びかけることができる。オレは布団をでて朝の儀式を済ませる。
まあ身体が重い。午前中はアクティビティ。昨日のあやのわがままに引きずられている。あまりうごかないアクティビティ。馬カフェにいくことにする。食欲がないなかシリアルを書き込み非占領下に立つ。
タンブルウィードにいくと今日はお姉様が乗馬をしている。乗馬をされている方々に対してはおば様とかお姉様とかそういうふうに呼んでしまうオーラがある。経営者の奥様としばし会話をする。人間と深い絆で結ばれることができる動物である一方、経済動物でもあるというご迷惑な話題を振る。オレは何を考えているんだろう。表情には出さなかったが興味本位できくことではないと反省している。実際に、食肉の手前で一目惚れで迎えた馬もいるし、残念だけれども病気やケガで送り出す馬もいたとのことだった。馬に深い愛情を注いでいるのが見えるだけに、一体どんな思いであったかは推し量ることもできない。馬たちにはストレスなくのびのびとやってもらうことと、たまに乗馬やイベントでお仕事をやってもらうぐらい、それを大事にしているとのこと。むしろオレも馬になって飼われたいぐらいである。お姉様の華麗な乗馬をみていてのりたくなったが懐が心許ない、今日は遠慮することにしたが、お手入れなら無料とのこと。馬をさわさわできるとは嬉しい。洗い場にいるキモサベは暑いなあ、という感じでむずがりながらハエをはらっている。オレは身体を拭いてやるとわかってないなあの感じ。強めがいいんだろうか、弱めがいいんだろうか。最後に顔をぐりぐり拭いてやると、はいはい、という感じ。キモサベに顔を覚えてもらわないとはじまらない。最後にまあ、お手入れでしたら無料でいいので、都合のよいときと気を遣ってもらう。そのうち馬房の掃除もぜひ、と言われたが掃除は好きなのでと受ける。それでいろんな馬と仲良くなれるなんてこれなんてハーレムゲーなのだろう。まずはキモサベ、十八歳、男の娘を攻略しなくては。次はにんじんを持っていこう。なんだろうこのワクワク。こんなのシスタープリンセス以来である。

お昼に一旦家にかえると身体がふたたび重い。あやがかまって攻撃でぶら下がってきている。お前はオレをどうしたいのだ? よもや馬に嫉妬しているわけでもないだろう。あやは何歳なのだろうか? アニマと考えると年上だろうし魔術の類いはすべてマスターしているだろう。まあ人類の起源に関わる話ようなきがする。まあ雰囲気がそれとなくオレの好みというだけにしておこう。

午後は診察。復職が延期になったドタバタとか、オレが世の中のサラリーマンが平均的にこなしている勤務時間をこなせるようになるために、あや、つまり対象として認識したそれと和解する方法を確認したい。とくに後者はチャレンジングである。無意識の意識化という一般的なアプローチだが食木崎先生はどう考えるだろうか。炎天下、もう炎天下。えっちらおっちら、山をこえて病院に着く。ソーシャルディスタンシングを守りながら待つ。たまたま入り口近くに座ったオレは三密警察よろしく、なんとなく入り口の戸をしめてしまう患者の方々が受付をすませたあとに気づかれないようにそっと扉を開ける。自然と締めてしまった方に、密になりますから、と声をかけるのは難しい。締めてしまったそばから、しゃっと扉を開けるのは感じが悪すぎる。そーっと猫のように、受け付けてテレビみながらぼーっと待ち続けたあたりにそーっとそーっと扉をあける。神経質なんだよと怒られてもいい。第二波がこないに越したことはないし、終息してしまえばいい。そのときにムダだったといって笑えるように。
診察までは一時間ほどまつ。精神科においては早いほうだ。病院を能率で語ると怒られるだろうが利便性について向上させることには誰も文句がないと思う。待合のデジタル化は世の中に貢献できる。
診察室にはいると食木崎先生が立ち上がって迎えてくれる。ビジネス商談のような雰囲気すらある。前回、前々回のやりとりを思い出し簡素化を自分からやり出す。あいさつをし、深くお辞儀をし、さっと着席をする。なにせ転移している相手であるからして社交辞令はほどほどでよい。その後どうですか、という問いかけから診察は始まる。やはり面と向かって話すと興奮するようで一気に早口でいろいろと言ってしまった。復職が失敗したこと、倦怠感をやっつけたいこと。復職のプロセスが会社としてダメなことについては食木崎先生もオレも残念ですね、と同意する。ここまでがアイスブレイクになる。産業医の先生性はフルタイムで働けることを重視していて、オレは自身がない、やはりフルタイム勤務を妨げる倦怠感をどうにかすべきではないか、という相談。kowasuhito さんは他者との関わりのなかで治癒するのではないか、という期待をもっているのですよね、であれば、復職すべきです、というのが食木崎先生の意見だった。問題の機序はおいておいて、快癒のプロセスとして復職を提案した。その提案を聞いたあと、オレは倦怠感の、つまりあやを突き詰めていくのはどうなんでしょうかと食木崎先生に問う。答えはすぐに返ってくる。いいですけど、ほどほどに。食木崎先生が否定を持ち出すことは少なかったのでいかにも悪いアイディアだということがわかる。いわゆる精神分析内観療法において道案内役がいなければ悪い方悪い方へと向かっていくのはわかっていることだ。その答えをきいて背筋がぞくぞくする。あやは何者なのだろうか。もはや名付けたことを後悔する。対象を捉えたと同時にオレは捉えられた。
診察はコンパクトで最小限。でも九割方オレがしゃべっていた。いままでにない診察なのでちょっと楽しげですらある。逆の立場だったらお金をもらってでもやりたくない。患者に期待をするなんて。
せっかく女縄市まできたし買い物でもしようかとおもったが、エネルギーを使い切ったので家にかえる、山を越えて。

家にかえると風呂に入り汗を流す。大浴場でストレッチとヨガ。日焼けした腕の肌がぼろぼろ。これまで長袖長ズボンしか装備していなかったのだから、日光に弱いのは仕方ない。でも自身がどんどん醜くなっていくのは十四歳には受け入れるのが難しい。

ご飯を食べたあとは執筆、お酒を飲む。あやが見えない。そういえば、あまり夜は見かけない気がする。食木崎先生には止めた方が良いと忠告されたけど、あやを遠巻きに見る分には実害はないだろう。

6月7日(日)

身体は重いがなんでもない目覚め。前日や前々日とは違う目覚めであることを執拗に確認したくてぼんやりした頭で自己診断をする。億劫な程度に身体は重いが気合いで起き上がれない訳ではない。問題ない。外を見る。空は青く同じように灰色。同じように。昨日と同じように。一週間前と同じように。微視的な変化はしているんだろうけども観察ができない。自己診断に絶望して身体を起こすのをやめる。

目を覚ますと十七時。身体は何者かに押さえつけられているように重い。占領地域に丸一日ちかくもこもっていればエネルギーが低下するのは仕方ない。部屋と同化が進んでいる。これが進むと自己が拡大して創作向きの体質に変化する。社会的ゾンビになる。ゾンビは少しだけ生きていた頃の記憶がある。それがやっかいだ。
起き上がる。空腹というより何かを食べたい。冷蔵庫からヨーグルトを取り出し食べる。全身を見えない膜が覆っている。すべてが少しぼやけ、音がくぐもって聞こえる。このまま完全な繭になって羽化するまで部屋からでたくない。本能がそういうがオレは拒否する。

日が落ちかける。自転車をこぎ出す。羊鳥ヶ岳の裾を縫う平坦な道路をゆっくりと散歩する。羽虫ががんがんぶつかってくる。ナイトライドでもエアロシールドをつかうシーズン到来。小さい虫でも皮膚に接触すると覆っていた繭をあっというまに取り去る。オレに身体があってよかった。空気もひんやりしていた。

かえりがけにパイパーマートにより適当にお惣菜をかう。最近はハイパーマートでもマスクがうっている。武漢でウイルスが拡大していたころを思い出す。日本での感染も避けられないと誰もがいっていてそして三ヶ月後に慌てふためきながら対策していた。日常は繰り返す。昨日のことをわすれて、また新しいことのように繰り返す。三ヶ月おきにマスクを気にして手洗いを気にしてソーシャルディスタンシングをきにしてそして忘れる。個人は観測できなくなり、群れでしか観測できなくなった人々は危機的状況まで個を取り戻すことをせずに学習すら放棄する。

死とはほど遠いほどに、なんでもないことがとても不安。