kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

9月2日(水)

スヌーズとの戦い。眠い。うつ性のけだるさがないのは救い。なんとか気合いで起きる。今日はキモサベにどうしても会いたくて午前休。タンブルウィードに行く。

朝一だと、女将さんも厩舎のお手入れでてんてこ舞い。どーも、おはようございます、キモサベを出すので馬装しちゃってね、という慌ただしい感じ。そしていつものゴルゴ先生の突然の登場。ゴルゴ先生はどこかに隠れていて、オレが夢中になっているときに表れてわざと脅かしているのだろうと思っている。無骨なあいさつがまあかっこいい。ゴルゴ先生につれられてキモサベが厩舎からでてくる。久しぶりの初恋キモサベ。きゅんきゅんする。洗い場でつながれたあと、おはようとあいさつをしてさっそく、筋肉質の身体をさわさわする。がっしりしててかっこいいなあ。なにさわっとんねん、という表情でキモサベが見返してくるが真っ黒い目玉がくりくりしてかわいい。首にしがみついてぎゅーっとしたくなるが、がまんする。まず、ぬれタオルで顔を拭いてやる。左右の目ヤニをふきふき。真ん中の鼻筋をふきふきするが、ここだけはキモサベがいやいやする。警戒心が強い動物だし、たぶん中心線となる部分は死角になっているのかもしれない。しっかり横について、自分がいることを認識させて、ふきふきすることで心配ないサーをアピールする。ブラシで全体を綺麗にすると鞍をつけて、頭絡をつける。はあはあ、30分近くたっている。でもキモサベがかわいいから許す。おやつにもってきた、バナナを一本あげる。相棒きょうもやっていこうぜ。
レッスンは間が開いていたので最初はまったくキモサベを呼吸があわない。というより、オレの独り相撲。キモサベは馬上でばたばたしているオレがなんの指示を出しているかわからなくて、ぼんやりと進んでいる接待乗馬。あかん。オレとキモサベの赤い糸が切れてしまう。ゴルゴ先生の指示は、つま先に力をいれるのではなくて、かかとに体重をかける。「わたし、かかと固いんですよ。うんこ座りもできなくて」と言い訳じみたことをいうと「いや、そうじゃない。力をかけるところがまちがっている」ときっぱり。どきどきして心臓爆発しそう。100%まじりっけなしで否定されるってなかなかない。怖い。でも、ゴルゴ先生のキャラクターとしては正解。自信があってしかもこれまでの指示は間違ったことがない。オレは言い訳してごめんなさいと内心しょぼくれながら、指示を信じてバランスを崩してもいいからトライする。上半身の力が抜けている、肩の力が抜けている、手綱が張っていること、両手は蔵の前において動かさない、キモサベに進路を指示するのはコーナーの手前から、呼吸をおおきくして全身のちからをぬく、軽速歩は股関節、ふともも、ふくらはぎで立つ、上半身でむりやり立つことをしない、キモサベの足並み、突き上げ、しゃがむときに足で抱え込んで速歩の合図を送り続ける。完全に頭がパンクする。いまのメイン課題はかかとを下げて立つ、ということだ。「1つ1つ上達していければいいですよね?」ときくとゴルゴ先生がいう。「同時にやることに意義がある。結局は馬と人が互いに楽に乗れるためのスキルであって、1つできたからといって乗りやすくなっているものではない」。なるほどなと思う。オレは問題を統治分割法によってシンプルにして解決しようとした。一方で、その分割された課題は他の仕草と結合することによって価値を生み出す。小さいタスクと継続的インテグレーション、と理解した。小さいタスクにしてそこだけに集中しているとする。でも結合したらエラーになった。これは大きな手戻りである。小さいタスクに注力しつつ、継続的インテグレーションすることで失敗も小さくしてより巨視的な視点で価値を後戻り少なく着実に成長させていく。どの体験としてコーチングはそのように体得される、というのを思ってこれは深い知見だなあと思った。

午後は仕事。シデムシ隊は前衛の丹波さん、浦野さんペア、後衛のオレというスリーマンセルをとることになった。しんがりはまかせろ。オレは笹野マネージャーがはいってこさせないように、チーム自発的に追い立てる。笹野マネージャーがらいわれるまでもなく自チームで外部の状況を判断し、コミュニケーションをとり自分たちで判断し、共有する。どうだぐうのねもでなかろう。はあ、オレはしんがりか。また、損な役回りだけど、逆にいえば後門の虎さえいなしていれば、自由に作業ができる。チームビルディングやチームの成長につながりそうなアイデアを準備して提案できるともいえる。ここはポジティブマインド。

夜はエクリプスの打ち合わせ。プロット原案者である行方さんのブラッシュアップが終わっていないので今日は短い連絡会だけ。なにやら、ラーメン大好き河合さんが服の整理をしているらしく、むずかしいブランド名が飛び交っている。行方さんも服飾関係に詳しいのでついていけない。つねに一張羅のオレはだまって聞いている。そして服で身を守ることなくなったなあ、とも思う。十二歳のころは肌を出すことがまったくできなかったけどいまでは全裸で外にできることもできそう。合法ならだけど。
ついでに、簡単な非機能要件を確認しておく。配信プラットフォーム、拡張性、移植性、耐障害性、保守性、コスト。インセプションデッキを具体化する形だ。そもそも全員がイメージもっていたことだけどすりあわせる形。さくっと提案がでる。これに適合する技術選定をしないとな。

打ち合わせがおわって、少し執筆作業。気分はのらない。でもキモサベがかわいかった。回想の中でも愛でたい。それだけでもする。
お酒をのんで寝る。

8月31日(月)

土日は寝だめ。朝昼晩ずっと寝ている。空腹で目覚めてごはんをたべて直ぐに寝る。日曜日の昼ぐらいになると、頭痛がしてくる。手足がしびれて脳もしびれている。意欲も低下してくる。死にたくなってくる。まるで急転直下の地獄巡りである。ウツのなかでももっとも深刻な、自殺する気力もないほどのウツである。毎週土日はこれをやっている。布団の中で病弱少女のようにキモサベに会いたいなと思う。大きくて頼りがいがあって優しい左目と狂気の右目をしたキモサベはオレにとって久しぶりの初恋である。性欲も多少はあるのだけど、半勃ち程度の欲情である。やはり馬さんと人間の間において倒錯を阻害するなにものかがある。キモサベはめっちゃイケメンなんだがなあ。筋肉質のあの身体早く触りたい。顔をごしごし拭いてやるときに嫌々するそぶりにはやく会いたい。オレは布団の上で、指を動かすことすら難儀しながら思う。一日二〇時間近くねて、それが続くと夢も変な夢ばかりになる。能力者バトルに巻き込まれている。SCPみたいなヤバいヤツでオレはモブ。SCPはスキャナーズのアレで、頭を爆発させる。オレたち能力者モブは全員でSCPを殺害しようとするがやられていく。オレが死を覚悟して目を強くつぶる。死までの時間の長いこと長いこと。目をつぶって真っ暗な世界でずっと停止する。目を開けると目覚めている。目覚めても死後の世界みたいなものである。残酷。
あやが、オレを連れ出してくれる。たまにはポタリングにでもいってきなさい、デコ助。歯も身がかない、上をサイクルジャージに着替えて下は短パンのままポタリングにでかける。ずっと横になっていたので地球が丸いことがよくわかる。平坦をはしっていてもなにかバランスがとれない。ふらふら。羊鳥ヶ岳を周遊して岬へ。ちょうど、陽が落ちる。赤いそろいのワンピースをきた麦わら帽子の中国人少女が二人。夕陽を背景に写真をとっている。あまりにも様になっているのでオレも遠くから写真をとらせていただく。後ろ姿なので怒られないだろう。頭まだ現世に帰ってきていない。暗くなってきた道をそこそこ追い込んで帰る。

土日が腐っていた。月曜日は睡眠たっぷりだがメンタルがゴミ。むしろ仕事でゴミだったことを忘れようとする。公私のバランスが崩れ始めた。シデムシ隊はしんがりを自認していたが運用保守と機能開発の挟撃にあった。人的リソース不足なので機能開発なんてやめてくれよ、といいたいが走り出した欲望の列車は止められない。運用保守を犠牲にして機能開発か? 機能開発と運用保守のバランスか? 前者はプロダクトを緩やかな死に追いやる。後者は、オレたちは緩やかな死に追いやる。スイッチングコストのデメリットを甘く見すぎなのである。シデムシ隊のメンバーのうち一人を犠牲にして、のこりを機能開発に注力させる、選択肢しかない。それか本気で機能開発をやめろと抗議する。ここは一人を生け贄にするのがおそらく長期的に見てよい。機能開発はさまざまなステークホルダーがいる。そこがうまくいけば社内の信頼が得られる。信頼銀行に信頼というかけがえのない資産を預けられる機会でもある。正しいやり方ではないとおもうけど。リソース不足はチームのせいではない、プロジェクトマネージャーにはっきり突きつけるのが正しい。オレたちのやり方は間違っている。でもそれを止めて機能開発をとめてプロダクトは生き残れるか? オレたちの責任じゃない。それはそうだ。でもプロダクトは切羽詰まっている。その程度のリソースマネージメントも出来ていない組織、いずれはダメになる、というのも分かる。でもオレたちは最後の最後までダメになるまでやる。プロダクトオーナーとともにチームが成長し,プロダクトが成長するというストーリーは共有できているのだ。ドライブするパワーがあれば変わる可能性はある。妄想だけど。オレは絶望の選択肢をする。オレが壁となって丹波さんと浦野さんから煩わしい運用保守から守る。それぞれのスキルをみると、それしかなかった。なんでオレが犠牲にならんといけないのか。まあ、そういうのもありか。

仕事おわり、呆然としてポタリング。涼しくなってきた。羽虫たちが飛び交う。マスクをしないとむしゃむしゃしてしまうので要注意。のんびりのんびり、ぼんやりと山道をはしる。誰もない林道、虫の鳴き声、月。ぼんやりとペダルを回すのがこんなに贅沢なことだとは思わなかった。

風呂にはいって、千切りキャベツと蒸しささみでサラダを食べる。ポタリングのせいか、穏やかな気持ち。お酒を飲みながら執筆作業。クスリを飲まずに寝る。

8月28日(金)

朝、起きる。じーんとした眠気。昨日はエクリプスの打ち合わせのあと、体調が悪いのもあってお酒も飲まずに早めに寝た。睡眠ログをみても五時間しかねれていない。都度都度非睡眠時間がある。夢遊病か無呼吸か。困ったものである。布団のなかで睡魔と格闘する。仕事のモチベーションも下がってきている。いや平熱になってきている。きっといままでが躁状態だったのだと思うと気が楽になるはずだ。でもそうは思えない。オレはずっと躁状態でいたいのだ。オレの躁は支離滅裂感や無意味に多動的な行動とは思えない。もちろん爽快感はあるが、内的な動機と行動には因果関係を理解し制御できている気がする。躁状態として病的かもしれないが障害ではない。周囲からは大変迷惑がられてて、病識がないパターンもあるけれど。もし、そうならそれがオレの統覚、理性の限界なんだろうなあ。

エクリプスの打ち合わせでは、ついにプロット原案の決定にこぎつける。行方さんがインセプションデッキを考慮して提案したもので、熱量も高いので競合比較において「質」の点で一歩抜きにでていたのは大きいと思った。他の案はどれもポテンシャルをもっているがなにせ、具体性に乏しいので、何も為し得たことがないエクリプスという新米チームがゲームを完成させるという現実解に対してはあまりにも無力であった。行方さんの案は具体性があるし、発想の幅、解釈の幅を含めてインセプションデッキに適合するポテンシャルもあった、というのは個人の感想だ。オレもエラくなったら谷崎潤一郎賞の選考委員をやってみたいものだ。一方で、イチからジュウをつくることに定評のあるオレだが、すっかり今回のプレゼン大会を忘れていて準備をせず打ち合わせを向かえた。やばいなあとおもう。行方さんも準備ができていないとのことだったので安心したが行方さんはオレを裏切って自分は忙しくてプレゼンの準備ができていないだけで忘れていたわけではない、などというとても都合の良い言い訳をしている。そこへプレゼンの準備をしてきたラーメン大好き河合さんが打ち合わせにジョイン。準備ができていないという我々に対し、「ふむふむ、おぬしらは準備ができていないというのだな。ふむふむ。(ここで拳を握る音)よかろう。では今回のミーティングはスキップして来週でよかろうか? だろ? な? なんとかいえー!」という冒頭のアイスブレイク(物理)があった。オレは申し訳ない気持ちで一杯になった。
最近ミスが増えてきたなあと思う。やはり仕事が忙しくなってくると残業になるし、残業したぶん何かを削る。その決断をしない。決断しないと、一番生活パターンの低いものから削られる。「選択と集中」ができないと高出力にはならない。

そこから一夜明けて今日の仕事。ファシリテートの話がメッセージに並んでいるので返答しまくる簡単なお仕事。不思議なもので、そのチャンネルいるメンバーのだれもが決定権をもっていない。オレは何かを決定するために発言したかったのだけど、それが無意味だったと分かったのは今日の夕方だ。アイディアがでただけで、だれも選択しない、できない。それでメッセージは終わり。目標に到達しない。目標に到達しないものは極論、なんの価値も生まない。オレは今朝の自分の発言を後悔する。何も価値を生まないのなら発言するんじゃなかった。
そのあとはシデムシ隊のメンバーとモブワーク。バグ対応、保守対応ばっかり。タスクはたまる一方。モブワークのリソース効率は悪い。いっぽうでフロー効率は高い。どうやってもタスクは1つしか作業中にならない。しかし対処する不具合の量より発生する不具合のほうが多い。しかし改修が大事だ。それをしなければ不具合と機能開発の挟撃にあう。これはバランスをとるということで解決すべきなのか? チームの部分最適に徹しようとしたが、すでにチーム外から機能開発や運用保守のフォースが加わっている。状況はずっと前から始まっていた。気づいたのが今というだけだ、押井的にいえば。状況が錯綜している。OODA をいちど回した方が良い。来週にでも一旦、自チームの状況を観察しよう。

仕事が終わるとポタリング。羊鳥ヶ岳周回コース。出かける前はとても億劫だけど、いざこぎ出すとやはり楽しい。いつもじゃなくて、たまにオレを家から引っ張ってくれる人が欲しい。
二一時からはエクリプスチームでゲーム。Dead by Daylight。初めてやったが、久しぶりにつらいの体験をした。二度とやりたいくない。その一方で、独特の感覚を覚える人狼と同じタイプの嫌悪感、パニック状態に似ている。まず人狼がこの世で一番嫌いだ。視線恐怖症ならば誰だって人狼なんてやりたくない。もし、オレがやるならパターン言語をつかって整理する。村人のパターン、オオカミのパターン、それらにおけるコミュニティパターン。そのパターンの中から状況を見極めてどのパターンを選択するか、というゲームにしたい、オレなら。しかしオレの中にパターン言語は存在しない。ただ混乱の中で適当にゲームを進めるしかない。さらにそれは一緒にゲームをしているメンバーがいて、下手くそなメンバーがいると面白くなくなる。自分が成長する道や勝ち筋を見つけていないのに、その混乱のなかで成長するのはオレにはできない。座学をして成長するモチベーションもない。だから人狼なんてやりたくない。Dead by Daylight も同種のゲーム。全員逃げることを、大雑把な目標としたときに、行動原理を理解していないと、ゲームを楽しめない。殺人鬼側と逃亡者側両方である。しかもそれを状況のなかで瞬時にスイッチして自分の行動を決定しないといけない。OODA で対処するわけだが、ここで個人的な能力の限界にぶち当たる。オレは視線恐怖症で、相手のロールを理解するのに非常に時間がかかる。殺人気側の行動を理解できない。Dead by Daylight でのオレの自閉スペクトラム感は半端ない。現実世界とは別に、ただランダムに事象がおきて、目の前の状況に自分の行動原理だけで対処しているとなんにも為し得ないし、相手にとっては見当違いのことをしてしまう。ただ逃げ回るや暗号を解読するだけならそれでもいいが、たぶん、それではこのゲームはなんも面白くない。横溝正史の小説が読めるのは、自分が理解するまで自分のペースで読めるからなんだな、ということも気づく。オレの場合、深く感情移入するという方法以外では相手を理解する方法がないのかも知れない。そりゃあ、人に会うのが嫌いなるわけである。
数年前に無理矢理人狼をやらされたときに気づいたことがある。自分は情動的共感能力しかない。認知的共感能力や視点取得能力が著しく欠如している。オレは内的動機がないゲーム的な嘘をつくことができない。ゲームでも映画でも、理由はどうあれ怒っている表現をしている人、悲しんでいる表現をしている人がいると怒ったり、実際に涙を流してしまう。実際に泣いている人が居ると泣いてしまう。必ずではないが、理由はどうあれ影響を受けてしまう。一方、犯行動機も見えず犯人の感情が表出されないミステリー、サスペンス作品は最後、犯人が東尋坊の突端で感情を表出するまでぼんやりとみていることがおおい。大声で叫んだり泣いたり発狂したりするところで、理由はわかってないが、オレはカタルシスを感じている。すべては論理的になんとなく。ただ、その感情ですべてがチャラになるようにオレには感じる。オレの共感とは機械仕掛けの神のようだと思う。パターン言語を作るなら「共感ー拒絶」パターンと名付けたい。このパターンにより無根拠な作品への寄り添いから保護され作品を虚構作品として自立させておきながら、受容者が多層的な理解を促進することができる。
オレは向かって左、向かって右、あなたから見て右、あなたからみて右を頭のなかで考える。東を向いた時、北の方、また、この辞典を開いて読む時、奇数ページのある側、相手がこの辞典を開いて読む時、奇数ページのある側になるのはどうなるのだろう。オレは相手の気持ちになって考えることができない。できるのは、理解できないけど寄り添うことだ。この世界にオレしかいないのはひどすぎる。しにたい。

つらい体験をしてしょんぼりしたあと、すぐに布団に入って寝る。

8月26日(水)

クスリを飲まずにねるというプレッシャーでハイボールをたくさん飲んでしまう。なんとか寝付くことはできたものの疲れがとれない。飲み過ぎである。仕事でモチベーションがあがったのはよいが、果たして正しい動機なのかがわからない。躁が先にあって箸が転がってもやりがいを感じる状態になっているのかもしれない。客観的に判断できるといいのだけど。

顔を洗って、歯を磨く。惣菜パンを食べて仕事を開始する。あや、オレおかしくないかな? と聞いてみるが意地悪っぽくクスクス笑う。オレがおかしくないときなんてない。おかしいのかやっぱり。午前中は丹波さん浦野さんとモブワーク。シデムシ隊渾身の運用保守。もはや誰が書いたコードで誰が責任をもっているかなど気にしない。最後の砦、シデムシ隊が責任を自認してやっつけるほかない。今回の障害調査対応では一番知識をもっている丹波さんをメインのナビゲーターにして新たにジョインした浦野さんドライバーで作業をすすめる。オレはファシリテーターを自認する。なぜ、調査するのかの目的を明確にするように促す。次に、事実集めをする。事実集めは脱線、脱線の連続。オレは都度都度、嫌がられるぐらいに補正する。事実から、こういうことが推測できますね、では、あちらも確認してみませんか。断片的な事実から推論してもその推論の質は非常に低い。わかっている事実を最初のうちに網羅しておかなくてはならない。各種メトリックス、ログをかき集める。無加工の事実だけ。事実があつまったあとに、メンバーの意見、推論をあつめる。そこから仮説をいくつか立てて、そのうちもっとも可能性が高いものを見出して、仮説を裏付けるような事実がないか、メトリックス、ログを探索する。モブワークにもファシリテーターはやはり必要だなと思う。常に知識が同期される、というメリット、創発のためには背景にある、今なんのために何をしているか、という背景を揃えておかないといけない。大概のエンジニアがほとんどできないか苦手にしているやつだ。とくに天才が多いプログラマー、頭の中で暗黙のうちにショートカットして仮説を提案して、しかもそれがあっていたりする。モブで時間をつやしてまだ結論でてないの? みたいな煽り方をされる。天才の知識は一時、モブの知識は最低限システムの寿命と同じだけ生き延びる。トータルの価値で劣っていない、ナレッジの生存戦略という意味ではモブが圧倒している。知識が生み出す価値はライフサイクルの積分で評価される必要がある。
今日のランチはチームメンバーとZoomランチ。RMIチームの栞も飛び入り参加する。前はけっこうしんどい表情がおおかった栞だが元気そう。チーム外での交流にもなって楽しい。栞はシデムシ隊はシデムシ隊で楽しそうにやってるなあとって見てましたというので、ぜひうちのチームに戻っておいでと冗談を飛ばしてみる。栞はまだRMIチームでやることがあるからと笑っている。楽しそうでなにより。オレはもしかしてチーム作るのまあまあうまかったりしないかな?

仕事が終わるとベランダでハンモックにゆられながらぼんやりタイム。夕暮れになると気温も丁度良い。amazarashi がちょうどいい空気。深い紫いろに変わっていく空をみながら、死にたいかい? と聞く。世界が違う。世界線がズレた? オレが誰かと取り替えられた? すこし、怖い。深く考えると怖い。考えないことにする。いま、オレは都合がいい状態にいる。オレはいま眠っているのかも知れない。わざわざ目覚めることもない。
風呂にはいって執筆作業をする。したくない、したくない。内観療法はもういいんだ。もう目覚めなくていいんだ。現実を正しくみられていない、この死にたくない世界は、オレにとってちょうどいいんだ。

クスリをのまずに寝る。

8月25日(火)

クスリを飲まないという選択はうまくいかない。布団でバタバタしたあとに結局頓服を飲む。結局睡眠時間は五時間足らず。睡眠不足。ただ、仕事でやることがある。気合いで起きる。朝のルーチンワークができない。また身持ちを崩し始めている。リセットせねば。

今日も雑用チーム、もとい、シデムシ隊のチームビルディングのワークショップ。インセプションデッキである。「なぜ我々がここにいるのか」、「やらないことリスト」のピックアップ。スケールする組織のなかの1チームとしてスケールするチームのモデルとなる、より高いプロダクトの価値を素早くデリバリーする、というオレたちのミッションのためにやらない事をどんどん出す。がんばる駆動をしない、属人性を高める孤独な活動をしない。「HRTの原則を無視する」ということはぜったいにしない、これを最後に提案する。あらゆるチームの大前提である。「夜も眠れない問題」と「トレードオフスライダー」をみんなで考える。「トレードオフスライダー」はエクリプスで使ったポーカー方式を採用した。それぞれがどう思うかを提示してズレていれば議論するエクササイズである。diff について議論するのでとてもフォーカスしやすくとっかかりに困らない手法だとおもう。機能や品質の話はエクリプス同様、かなり盛り上がる話となる。オレは「選択と集中」のために、機能(スコープ)の優先度をあげて、品質の優先度を高めに取る。一方、浦野さんは機能も品質も優先度を高めに上げる。何時間もかけて作った「やること」リストはどれも重要、これは間違いない。だけどこれを全部できるか? といえばそうではない。とくにいろんな取り組みを同時にやってパフォーマンスがでるわけがない。リーン開発、アジャル開発どちらにも適合しない。成功しても、失敗しても検証が難しいものになる。つまり再現性の意味でこの手法を他のチームに展開しやすさを阻害する。オレはファシリテーターなのに滔々と語ってしまう。はっ、となるが丹波さんも浦野さんも真剣に聞いてくれていて、納得している感じ。良かった。最優先のやることにフォーカスしてそれの品質(達成基準にできるだけ近づける)ことを優先するということになる。ワークショップ中、丹波さんも浦野さんも真剣に考えてアイデアを出してくれた。それらのアイデアによって気づきも得ることができてチームとしての(相互連絡ではなく)相互作用が生まれ良い方向に進んだと感じた。メンバーと一緒に仕事ができるのが楽しいともったのは RMI チームで仕事をし始めたころと同じくらいワクワクする。インセプションデッキが終わるとすっかり疲れる。そろそろ退勤しようかな、と思っていると栞が Discord の雑談部屋に遊びにきてくれる。すっかり疲れていたが、せっかくきてくれたし訪問はうれしいのでできるだけ笑顔を作る。RMIチームの状況を聞いて栞も満足のチームでやっているようだ。うれしい。なんで新しいチームの名前がシデムシ隊なの? と栞に聞かれる。シデムシは埋葬虫とよばれている。寿命の終えたもの、戦いに敗れたものを葬り生態系のサイクルを回している。我々はあまり社内では好まれない仕事をする。バグ対応、カスタマーサポート、どのチームの守備範囲でもない地味なタスク、でもオレたちはそういった誰もやりたくないことをやりながら、組織とプロダクトの未来を見据えながら、新しいメンバーを育て成長していこうとしている。半分自虐だけど、エコシステムとしてシデムシは絶対に必要なんだ。栞はよくしらないけどそうなんだと苦笑いする。そうかシデムシが何かを説明してなかった失敗。栞は休憩時間がおわってまた仕事に戻っていく。オレはなんか最後のふんわりした時間にふわふわしながら退勤。

夕方、自転車に乗りたい。頭が仕事仕事している。抜けない。調子がいいから抜けないのが不快ではないのだが、これは躁的な状態であり、今だから許容できている状態だ。先月の日記を見返してみるが良い。オレは仕事が終わったのに頭が切り替わらないことにもだえ苦しんでいる。ペダルをがむしゃらにまわす。汗がとまらない。それでも回す。心拍一九〇。不思議である。オレはオレしかない。躁状態なのかもしれないが、これは厄介である。四肢がバラバラである、本来は。よりそれが現実に近いのに、オレはオレなのだ。これは根深い。マリに相談しないと。

家に帰って風呂にはいる。本気でペダルをまわしたのでクタクタである。夜ごはんをたべたあと、虚無の時間。日記を書くことがない。書くつもりもない。前日の日記もそうだ。でも書き始めることで気づきをえることもできた。でも今日はどうやってもただのどうでもいい一日だ。ぐだぐだ身をよじらせていると習慣だけが先行して書かぬわけにはいかぬ、ということになる。白ワインをソーダで割った軽い酒をつくって書き始める。書いていて楽しくない。チームビルディングのことを思い出す。場面が映像で思い出される。ポイントポイントが映画のカットのように想起される。そこをふりかえる、なぜああなったのか、なぜオレはそこでそうおもったのか、そのときには思いも寄らなかったことが見つかる。それを日記を書きながら気づく。オレは日記を書くという行為によって、過去の現実を遠景化しファンタジーにしているのだ。ファンタジーにすることで抗うつ剤が必要となるような、リアルで正しい絶望の世界から逃避できているのではないか、という仮説を思いつく。日記はコストに見合わないが、役には立つ。

今日もクスリを飲まずに寝る。