kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

07月11日(月)

朝は雨が降っていた。
思考を殺す。なにも考えない、なにも考えない。

なにも考えなくても仕事はでき、なにも考えずに仕事を終える。
オレは誰かの期待を先読みしてその期待に勝手に応える機械ではない。なにも察しない、やりたいなと思ったことがあればやればいい。指示があったことについてはそつなくこなせばいい。
状況が整っていない。自我は棄ててしまう。自我が芽生えていい状況だと判断すれば、そのときこそきっちりと小さく動く必要がある。いまはじっとしていればよい。

早退する。雨はあがっている。
なにも考えない、というのはストレスがたまる。イライラしている。何も考えないと、脳内は言葉にならないもやもやがぐるぐるして、気が狂いそうになる。言葉にならないので喜怒哀楽のどれともいえない。なんともいえず、ずっとなにものかにせっつかれている感じ。相手が見えないのにけんかを売られているのかっていう。

退勤してクライム多めのサイクリングにでかける。
毎日毎日、負荷をかけているせいで脚はヘトヘト感。心拍数が160以上になると、心的ストレスが減少していく傾向がある。心拍が160を超えてくるあたりから苦しさが強くなる。心拍のつらさ、脚が言うことをきかなくなる。180付近で限界。限界をこえて190までいくと意識がとびかける。
ダンシングの練習。呼吸が乱れる。ペダリングが乱れる。腕とペダリングのリズムがくずれる。呼吸を優先しようとするとさらにリズムがくずれる。結局、がむしゃらになってのぼる。
高強度の有酸素運動が増えた。運動能力をもっとあげるにはさらに負荷をかけないといけない。このまま、FTP 250 w めざすのもいいかもしれない。

家にかえって風呂にはいる。ハイボールと焼き鳥。
ウツのフェーズにはいると、本当にひどい。自分の状況についていえば、ネットをうばって座敷牢に閉じ込めておけばいいとすら思う。激しい劣等感や自罰感情が日常的に優位になる。
理屈、理性、抑圧から逃れるための苦肉の策。理屈によって自分を超無力化して、結果理屈から解放されようという虚しい試み。当然その試みは挫折する。挫折しつづけるなかで、全世界を敵に回すことになる。そして全世界が敵であってほしいと願ようになるのが正しいかもしれないが。わざわざ敵を作りにいく、という駆け引きをするが当然、失敗する。それが駆け引きだと思っているのは当人だけであり、他者はその文脈を理解できない。これは無限に相対化できる話かもしれない。
結果、ウツのフェーズが終わりかけにおいてイチかバチかの賭に出てしまうパターンが多い。
自意識が世界を構成しているみたいな、他者との依存方向を一方化する考え方は思考システムの安全弁がないために極端に稼働するか、あっというまに破綻すると思う。
ある境界を越えると、破綻するかも、と知っていながら、その言葉にできない破綻に魅入られてそれを止めようと思う判断も停止する。
最後の最期に、誰も選んでいない破綻に自分が立ち会えるという魅力に抗うのは本当に難しい。

オレは野放しになっているけど、イチかバチかなんて馬鹿げたことを考えないでいてほしい。

07月10日(日)

起きた。何も不満はない。やりたいこともない。なのに焦燥感に追い詰められる。
頭を壁に打ち付けて痛みを感じる。すこしだけ焦燥感が薄れる。もう一度、寝る。

15時ごろに目覚める。悪夢を見ていた気がするが何も思い出せない。
このまま休日が終わるのか。焦燥感に責め立てられる。目をつむって逃れようとする。
入眠しかけの妄想。悪夢の中でオレが人を殺そうとしていたことが再生される。裏切られたと逆恨みしているのが自分。相手を殺そうとしている。逆恨みともわかっているようだ。ただ、やり場のない怒りで無関係な何かを破壊したいだけなのがわかっているみたいだった。自分が間違っていることを認めずに危害をくわえようとするが結局実行できずにうだうだしている。なぜか情けなくも感じるし、それで良かったとも思う。

眠るのを諦めてぼんやりとする。なんとなく投票に行く。
行かなくてもいいかなと思ってはいる。意味なんか無い。その場かぎりの、正しいこと、理想になんの共感もないのかなと思う。できもしないことだけど、正しいから主張する。どこに向かうべきかを示すことは大事なのはわかっているけれど、個人的な問題として明日どう生きればいいかも分からないのに、未来の話をされても何の関心もわかない。

仕事もプライベートもすべてが薄っぺらい。
圧倒的な絶望もないし、希望もない。感情の起伏もない。
なに不自由なくやっているのに、なにが不満なんだろう。分相応、それ以上に恵まれている。

お酒を飲むがなかなか酔えない。寝る。

07月08日(金)

仕事にモチベーションがあがらない。会社のお偉いさんが悪いんだと、テキトーに非難できれば気が楽なのだけど。
無反省に誰かに責任を押しつけられるほど簡単な話ではない。個人的な評価は永遠に個人性から逃れられない。

全社タウンミーティングが開催されたが、お偉いさんは達成できない目標に、納得できる回答をを続ける。想像の範囲をこえない。理解もできるし共感もできる。そんなのは5分も説明してもらえれば十分だ。では、次の打ち手はなんなのか、という話をしよう。でもその話もいつもどおり決まっている。不確実だから試行錯誤してやっていく。なるほど。でもそれは基本的な行動指針っていうだけで一生言い続けていい。直近、具体的に、我々は、何をしたらよいのか。
良いことは何でもやろう、という方針はいつも達成不可能な目標になる。

そうそうに退勤、サイクリング。脳みそが過活動。脳みそ優位の状況になっている。身体感覚が希薄。もっふりとした薄い繭に覆われて思考だけが自意識を無視してぐるぐるしている。
こういうときには瞑想するか、サイクリングするか。今日は比較的涼しいし、サイクリングしよう。
2時間ほどペダルを回す。アップダウンの激しいルートを選んだ。脚に披露が蓄積していておもだるい。勾配10%になるとケイデンスがさがってトルク勝負になる。右膝に痛みがあり、ふくらはぎ、ふとももは負荷をあげるたびに拒否反応をみせる。思考は鈍磨する。肉体優位に入れ替わる。汗は延々としたたる。頭のなかはまっしろ。ただ、道があるからペダルを回す。

汗でべとべとの服を洗濯し、風呂に入る。
たぶん、いまのまま、何にもしなくても、何にもしないまま、あたりさわりなく一生を終えることってできるんじゃないかって、楽観的に想像する。それは相当恵まれているとすら思う。
とはいえ、どんな状況でも死ぬのは怖いんだろうなと想像するし、怖いのはいやだなあとおもう。
今一番興味があることが、死ぬまでの過程がどれだけ心理的に平穏であるかだけっていうのも変な話だ。そんな生き方やめちまえばいいのに。

07月06日(水)

布団の上で目を覚ます。
彩度の低い視界。脳内で彩りだけでも装飾する。色彩はポップになるが、意味はない。気分も変らない。彩度の低い世界に戻す。目と脳が少し楽になる。

ぼんやりとしながら、洗い残しの食器を洗う。あまり意味を感じない。ただなんとなく食器を洗う。なんとなく後から意味づけできそうな作業をしておく分には悪くない。あれは意味があったのだといいわけができる。本当は意味が無いとしても。

インスタントのアイスコーヒーを淹れて仕事をする。
オレがやるべき仕事はない。オレがやれる仕事があるだけ。昔はオレだけがやれる仕事があると思っていたし、そういうことをできるだけやっていた。それは幻想だったのだけど、でもその妄想にとりつかれている時、含蓄のあるアウトプットを出すことができていたと思う。いまはそれもない。ブレやズレも許容しないような愚直な単純作業が目の前にあり、それをこなす。
オレの部屋には監視カメラがついいる。ストロングゼロを常飲している人間の行動の変遷を研究している医学博士のサンプルデータとして提供している。
オレにとって意味のないことも誰かにとっては意味があるのかもしれない。

仕事が終わると少しサイクリングする。
気管支にはりついてゆっくりと窒息させていくようなねっとりと生ぬるい空気。それに抵抗するように呼吸をし、汗を流す。

冷凍庫にビールをいれてから、風呂に入る。風呂上がりにキンキンに冷えたビールを飲む。
味も風味もないキンキンに冷えたビールが最高にうまい。夏にしかしない愉しみ。

12歳のころ、どうして自分はあれほどの妄想にとりつかれていたのだろう。
自分だけが世界の秘密に気づいていて、それをこっそりと誰かに暗号化して伝える必要があるのだと、思い込んでいたのだろう。
自分以外にも世界の秘密を知っている人が少しだけいる。
世界の秘密とは秘密ではなかった。自分がそんなふうに思い込んでありがたがっていただけ。
自分は特別ではない。

当たり前のことなのだけど、それに気づいてしまうと、むしろ面倒。
正体を失うまで飲んで忘れる。寝る。

07月02日(土)

目が覚める。
何とも思わない休日。何もしたいと思えない休日。

何もしなくても何かをしても死ぬのは避けられない。何もしないというのは誰にできることでもない。
何もする必要がないのに何かをしようとすること、何かをするとはどういうことなのか、それを自分の頭で考えることが、怖い。

一旦忘れるために、寝たりする。それだって、能力が必要だ。まずは寝よう。
脳内で制御できない観念がぐるぐるしている最中、布団の上で小さくうずくまってそれが過ぎ去るのをじっと待つ。いつの間にか寝ている。