kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

読書の時間

満14才になりましたkow@suhitoです。

最近、語彙能力がすっかすかになっているのを感じていて、ブログ記事とかなんも楽しくないなあと思っていました。

そもそもあたしの語彙能力の半分以上は筒井康隆の文章であり、そのうち星新一丸谷才一大江健三郎が混じり合って、言葉のサラダとなって、今日もkow@suhitoのサラダ記念日なのだとなっていたわけです。むしゃむしゃ。

本を読む時間が少なくなったのと比例して、なんか、言葉がでてこないなあと感じることが多くなりました。

さらに現実には何の役にも立ちそうにない抽象的な思考をしても退屈なことばかりで、エキサイティングな発想があまり出てこなくなったように感じます。

これはただの想像ですが、もし自分のボキャブラリーが低下したことで自分の思考の結果や発想が退屈になったと感じたのだとしたら、創作的な表層を言語に変換するという変換損失だけではなく、言語が表層を規程するという逆の方向もあるからなのかな、などとぼんやりと考えています。

今こんなことをぼんやりと考えてはいますが、あれえ、フッサールはこんなことにいろいろ言ってなかったっけかなあ、いや、そんなことはソシュールにきまっているだとか、もう、統一場理論的な弱い力が消滅してしまったかのように知識の関連も保つことができなくなってきています。

幸い、プログラミングにおいては、この手の語彙の問題はまったく必要なく、むしろないほうが良く、作業において余計な寄り道はなく進んでおります。

そもそも好奇心というか不注意というか、多動的というか、最初の目的が決まっていて調べ物をはじめても、調べる途中で興味あるものをみつけ、別のものを調べていたりするなんてことが多いので、自動的な関連が頭の中に大量生成されるよりはロジックを遊びのない言葉で表せるのは実に結構なことであります。

自分が小さくなって世界が多く感じることはあったけど、自分がそのままで世界が小さくなったようにすら感じる。一時的な錯覚ならよいのだが……