今回は、ふりーむの感想、レビューに応答していこう。
敬称などは省いて引用しているのでご了承いただきたい。
No.9999 - 2007-11-15 12:00:17 - kimura
kimura さんは昔にわたしたちが想定したプレイヤーイメージだったかもしれない。
タイトルからして筒井康隆『虚人たち』のオマージュであるように、
SF的ガジェットが多く、メタフィクションな色の濃い作品となっている。
難解な用語が頻出するが、その説明はほとんど省略されるところはギブスン的。
虚人たちのオマージュであることを知っていて、SF界隈のキーワードをある程度持っているプレイヤー。
この選択は到達可能なプレイヤーの範囲を恐ろしく狭める選択だったと今では思う。
マーケットアナリストが Google Analytics の画面とキーワードトレンドを突きつけて
「去人たち、ダメ、ゼッタイ!」
とわめき立てそうな作品である。
それは正しいと思う。なにか間違っていると指摘できるところもない。
違うのは制作者にとっての目的に合致しているかしていないかだと思う。
それでも、こういうレビューは本当に前向きになれた。
SFガジェットをきちんとたのしみ、メタフィケーション(メタフィクションをそれとして受容し解釈すること)するプレイヤーは実在していると知った。
公開から7年目にして。
No.10000 - 2007-10-30 01:07:14 - fff
展開がどうこう以前に、唐突で理解しがたいところが多く観られたよ。
シナリオは上記の通り難解なところもあるけれど、日常など、
全体的に面白く、一読の価値はあった。
多くのレビューは「理解」に関して言及している。
「理解できないこと」はメリットではない。それが理解できる可能性があったとしても。
フリーゲームを批評的にプレイする人はほとんどいないし、さらに「理解困難さ」にどういう意味を見出すかなんてしったこっちゃない。
わたしもそうだが、休日になんとなくフリーゲームをプレイするときに、何かを読み取ってやろうとか、批評的にやってやろうなんて思わない。
であるから、これは率直な感想だと思うし、それでも「一読の価値がある」のなら、本当にうれしく思う。
No.10001 - 2006-08-24 11:48:49 - KURO
ストーリーで少々無理を感じたところもいくつかありましたが、丁寧に作りこまれており、なかなか面白かったです。
おおむね好意的なレビューばかりなので、記事全体のバランスがとれていない気がする。
正直、悪口よりは褒められたほうがうれしい。でも、これはわたしの個人的な見解ということにしておこう。
「誤解されて褒められるより、誤解されて悪口言われた方がマシ」とか言い出しそうなシナリオライターもいるだろう。
まあ、本質的には大差ないように思うけど。
「ストーリーに無理があっても、丁寧に作り込まれている」という指摘は、上述のレビューでもいくつか共通する点があるとおもう。
超展開と呼ばれるような因果関係を無視したり、飛躍に飛躍を重ねた展開に発展するストーリーでも、とまどいつつ、プレイし続けられる作品はいくらでもある。
プレイし続けるモチベーションが維持できているから。そこでは因果関係や、ストーリの整合性は一旦置いておいてもプレイを続ける欲求を提供する何かが残っている。
むしろ個人的には綺麗すぎたり、予想できる展開の作品は投げたしたりするから、「無理」も意外性や予測不可能性という意味では価値になり得るのだろうと思う。
ただ、三、四話ぐらいから一気に戦争チックなストーリーに急変して登場人物がばたばた死んでいくんですが、ほとんど出番ないままに死んでいく人もいたんでもっと活躍する場面が見たかったです。個人的にそういう場面も切のうて好きですが。
二話までの主人公の日常(?)は非常に好きだったので毎回そんなカンジでやってほしかったなーと思います。
「ほとんど出番なく死んでいく人」というのも、感慨深いモノを感じてしまった。わたしたちって、「ほとんど出番なく死んでいく」よね。当人たちは激しく憤ったり、嘆いたり、生きる意味はなんだろうとか煩悶しつつ、でも、結局ほとんど出番なく死んでいく。「ほとんど出番なく死んでいく」キャラクターが活躍しているところを見てみたいとわたしも思う。でもそれをするのは、わたしたちではない誰かにやってほしいと思う。わたしたちが送り出した「去人たち」はもう、どうやってもここに連れ戻す事はできない。それができるのはあなた方なのだと思う。去人たちは相対的にみたときに、ある地点においては「来る人たち」なのかもしれないでしょ。
- 作者: ル・クレジオ,望月芳郎
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1976
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