kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

去人たちレビュー応答:その5

去人たちとかいう作品のレビュー応答ができるのは価値のある時間だ。
その時間がいつとれるだろうと思いながらすごしている。今日はその時間がとれるのでとっても充実した日といえるだろう。



本日取り上げるのは下記の感想です。

650の無味乾燥:C72作品レビュー47 去人たち 完全限定版


いわゆる、「去人たちⅡ」の部分の感想を掲載していただいている。
まず、こちらも全体としては好感をもった評価になっている。(パフォーマティブってなにかおいしいの?)
レビューアの戸惑いが筆致から伝わっているし、それについて解説しようという試みは、本来の目的を差し置いても魅力のあるレビューとなっていると思う。


作品概要はシンプルでわかりやく、去人たちⅡ本編を読み始めるよりも、ずっとプレイしたくなる。

とある診療所に精神異常者達が隔離され、共同生活を送っていた。
その異常が故に衝突もあったが、秩序は保たれていた。
しかし、指令役が不在するようになり、その均衡が次第に崩れていく・・・

そうそう。キチガイたちがいっぱいがいきなり出てきて、ヘンテコなことになっていく。
この説明で「去人たちⅡ」の導入のモチベーションはほとんど語られていて、でもこれに対する共感を過剰に求めるのはきっと違うんだろうなって、今は思っている。


以下は、感想として。

この作品は異常を単なる異常で済まさず、
異常の特質性もあるのですが専門的に語ってくれます。

これについては、価値観の転倒をやってみせる、という物語、ドラマツルギーの型どおりなんだろうな、と思う。
その手法の一つ。でもさ、そんなことをこんな一言でいうと「去人たちⅡ」をやりたいと思わなくなるだろう。
「夜のみだらな鳥」を読んだのは、最近で「去人たち」をつくっているときには知りもしなかったのだけど、最近読んで「去人たち」原型なり、あるいは「虚航船団」のサブテキストなり、連綿とつながるコンテクストを意識した。「人間らしさ」を扱うために、「人間らしくないもの」を基点にアプローチしようとする。だが、それが「人間らしく見えてしまう」逆接。さっきも言ったが、価値観の転倒、ドラマツルギーである。1つめの逆接として発生してくる「人間性」は二項対立の構造を提示するが、それを脱構築ために登場するのが読者である。価値観の転倒はその解釈を訂正され、解体と言い直される。ドラマツルギーは複数の位相に複写されて、その意味自体が希薄になる。読者は物質的に固定された文字が刻み込まれていない以上、意志をもって選択をせまられる。無視するか、肯定するか、否定するか、受容するか、否認するか。
でも、これは応答のなかでわたしたちが何も結論めいたことは書くことができない。あらゆるところであなたがそう感じたことに関して、だれが意義を差しはさむ余地があるだろうか?

元から壊れているのに、さらに壊れていく様は、
実に鮮烈て、ある意味人間味が溢れるもの。
あまりの気持ち悪さに途中でやめずにさくっと読了してしまえ~と一気にいきました。
・・・とても疲れました。

極限状態におかれた人間ってどうなるなろう? って創作の中では定番だしモチベーションになる。
去人たちⅡは、「キチガイたちの日常」~「キチガイたちの狂躁」という重畳状態を楽しめるかどうかってことでしょうか。
楽しんだ結果、疲れるような作品は、今現在消費価値はないと思う。
残念だけど、いま、それについては納得できる。


いま、「去人たち」が一般的に不必要で無価値なのは正しい。作者がそれを全く許容できないとしても。作者乙w。