kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

5月17日(日)

前日は電車、バスを使っての移動、何もない新居に着いたのは夜中だった。
新居までは最寄り駅から出ているバスで向かうのだが、三十を越えるバス停を経由し一時間近くかかる。バスは時間調整のためになんどかバス停で停車したものの、誰も乗ってくることはない。降車するまで、バスに乗っていたのは運転手とオレの二人だけだった。
新居は古い部屋だったが、丁寧に使われてきたような気がした。理由はないのだがなんとなく。広い和室とキッチン、トイレ、バス、設備はなに不自由ない。
入室して腰を下ろすと疲れを感じる。引越業者は朝一でくるとのこと。また早起きしなければ。さっさと寝袋をひいて寝た。

先日は移動と新しい異界との接触で興奮していたせいか早めに目覚める。窓を全開にする。鮮やかな緑色、薄い青色。鳥のさえずり。遠くで聞こえる芝刈り機特有の甲高い排気音、雑草が倒された緑の匂い。心は24時間まえの刺激との差異をとらえて振動する。だけれど、オレは期待しすぎていたかもしれない。生まれ変われるぐらいの体験を与えてくれるのではないかと。リセット癖。うまく生きられる訳がない。

午前中、荷物の搬入が始まる。作業員は三人で搬出時より増えている。リーダーと若手二人という感じ。身なりもきちっとしている。家財、段ボールあわせて100あまりの荷物。オレは受け入れを管理して1つ1つチェックシートにマークしていく。途中、洗濯機の設置業者がきて、水回りの取り付けをしてくれる。蛇口のアダプタ、排水溝のアダプタ類がないとのことで、部品が必要と説明される。部屋の設備も問題ではないかとか、オーナーさんに相談したほうがいいのではなどと一瞬思ったが、コミュニケーションが発生するなら、こちらですべて負担してしまったほうがいい。8000円ほどかかったが、とやかく考えない。過剰なコミュニケーションを発生させることなく笑顔で終われたのだ。
搬入作業は二時間足らず。部屋は段ボールだらけになっていた。そつなく作業をこなし作業員の方は撤収していく。最小限のコミュニケーションで過不足なし、パーフェクト。次回の引越でもアート引越センターには見積もりを取らねばなるまい。

段ボールだらけの部屋はまた自分の領域ではない。前の居住者の痕跡をすべて消して、上書きして、隠して自分の領域に変化させていかなければない。ここが守られた場所で、安心できる場所になるにはまだまだ時間がかかる。その間オレは少し張り詰めながらここで過ごさなければならない。

今日の到達点は布団が敷けるスペースを確保すること。段ボールをさらに寄せて寄せて積み上げて。スペースを確保すると布団が敷けるスペースを確保するが、山積みとなった段ボールは片付けをする意欲を喪失させる。勇気を奮い立たせて、段ボールの口だけ開封してみるが、なにをどこにどう収納していいのやら、途方にくれてしまう。

段ボールに辟易して、食料と片付け用具を調達してこようと頭を切り替える。我門町はコンパクトにまとまった地域で生活必需品は徒歩圏内でそろう。いわゆるスーパードラッグストアの天符堂本舗とスーパーマーケットはハイパーマーケットがある。とりあえず、天符堂本舗にいって箒と雑巾、家財用の洗浄剤を買う。家財用洗浄剤は段ボールのどこかに埋もれてはいるのだろうが、あの感じでは発掘されるのはオレが死んだあとかも知れない。十分あり得る。支払いにQUICPay使える?って聞くと、使えるとのこと。財布を持ち歩かなくて済むのでキャッシュレスは助かる。
ハイパーマートではポテサラやら野菜ボウル、巻き寿司とハイボールなどを買う。こちらもQUICPayで支払い。

家に帰って腕組みしながら段ボールを睨む。絶望感と倦怠感がほぼ同時、たぶんどちらかが先なのだけれど、すぐどうでもよくなる。オレはいつだってオレを観察するのが好きだ。もういい加減他人に興味を持ちたい。段ボールを開ける、ということは、人として仕舞ってしまえた状態から、また人を再開することを意味する。ベランダから飛び降りたら仕舞いにできそうなものだが、地面がコンクリじゃないから中途半端に仕舞われてしまいかねない。
叫び声をあげて段ボールの口だけ開封してまわる。人を続けるのだ。そしてもう一度どしっと腰を下ろして計画を練る。

大量の段ボール、段ボールの中に何が入っているか分からない。新居の収納のキャパが前室と比較して大きいのか小さいかもわからない。この部屋で生活するときの動線はどうなっていたいか、こうありたい、という思いと、物理的にここにしか置けないという制約があるから、なんにせよ理想ではなく落とし所を見つける必要がある。そのためも、どこに何が配置可能かを確定していく必要がある。そして見えていない問題、課題もきっとやるうちにでてくるだろう。
この問題に対処する方法は1つしか思いつかなかった。エクストリーム荷解きである。アジャイル開発の手法を使う。
とりあえず、生活する上で大事と思われるものを優先して設置していく。そのなかで居住性を阻害する要因がでてきたときに逐次対処する。どうだ、いいだろう。

頭を使ったらもうくたくたである。絶望感はずっと横に寄り添っている。ハイパーマートで買ってきた食材で腹をみたし、ハイボールを飲む。まだ、誰かの家の中だ。ほんのりとした緊張に包まれたまま寝る。