kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

6月1日(月)

今日は復職日。復職日だ。でも違う。時計は九時。身体が動かない。なぜかと布団の中で問う。強烈な倦怠感。十分な睡眠時間をとったか? とった。眠気はあるか。あるが、起きられないほどではない。起きたらやる儀式はなにか。顔を洗い、歯を磨き、ひげを剃り、パジャマから着替えて簡単な朝食を摂ること。できるか? できない。なぜか、強烈な倦怠感。なぜそれにあらがえないのか。朝、起きることに価値を見いだせない、あるいは報酬がない。次に目覚めると十一時になっている。すると電話がなる。エアコンの設置について。この部屋にはエアコンがない。夏に向けてエアコンを設置しなければならない。業者からの連絡であった。適当にあしらうと、一瞬この部屋が非占領地になる。戦闘地域、身体がこわばりすっと身体を起こす。朝のルーチンワークをこなす。
復職日であったなら、今頃は Slack の未読メッセージを死ぬほど読んでいる時間だろう。良かったとおもう。くだらない雑談や、そのご決定されたかどういう議論に変化したのかわからないチャットメッセージを保留したまま読む必要がないのだ。いや、オレは復職したらチャットのすべてのメッセージを既読にすべきなのだということを知る。
朝食とも昼食ともいえぬシリアルを食べ、ぼんやりと外を眺める。身体は重く身体的実感はこの部屋にいる限りない。しかしこの部屋の外にでて身を危険にさらすことはできない。地方特有の奇異な目線にさらされて皮膚を焼かれて死ぬわけにはいかない。それでなくともオレは自分の素性をべらべらとしゃべりすぎている。曇り空をみながら、運動しなければと思う。お腹は樽のように膨らんで許容量がだいぶ増えてしまった。ルールに従って単純作業をすれば完了するもの。そうだ、オレはZWIFT用の室内機のチェーンを交換していなかった。今回はお試しでミッシングリンクも買っていていろいろと新しいことがある。チェーンの伸び率をはかれば 1.0 になっており、ZWIFT 時のチェーン鳴りものびによるものであると仮定している。ショップに持ち込んでカスタムしてもらうときに、チェーンも見てくださいといったのだが、目視や感覚でやってくれていたようで交換してくれなかったのである。のびが物理的に測れると知ったのは素人にとっては朗報である。何年も前に買った自転車メンテナンス本をみながらチェーン交換をする。結局ショップでやってもらうことが多かったので人生で二度目。まずは余分なチェーンを切る。とはいっても自信がない。今つかっているチェーンを基準に長さを調整する。そこにKCMCのミッシングリンクを組み込む。チェーンのクリーニングをするときにいつも見失うので、色がちがうリンクがあると助かるし、旅先でトラブったときにも簡単に応急処置できるのは心強い。最初、ディレイラーに通す位置をまちがってガガガガガガと異音がしまくってぎゅああと騒ぎたてる。じーっとみると通す穴が違っていたので修正する。すっと無音状態のペダリングになる。最高。ハイ、ローのディレイラーの調整をちょっとだけする。ここがいつも延々とおわらない。ドリフみたいにハイがちょうどいいとローがうまくいかない。ローがちょうどいいとハイがイマイチになる。いったん妥協して最低限の調整にする。
十四時。逆に時間が過ぎない。復職していれば、今頃誰かとデイリーミーティングしているかもしれない。オレはスリップして置いてけぼりにされている。よくない焦燥感である。オレは「やることリスト」を整理する。もはや MUST のやることリストは残っていない。部屋を掃除していた時期が懐かしい。
チーム・ジャーニーを読もう。休職前に買ったのだが積ん読になっていた。カイゼン・ジャーニーはエクリプスの導入でも使った良書であった。個人ではなくチームに焦点をあてるとどのようになるのか、という点について仕入れたい情報はいくらでもあった。個からチームという視点移動は大きく観点も変わってくる。なぜ、チームで開発しなければらないのかについてはカイゼン・ジャーニーで「自分の経験や思考をよりどころにすると自分自身が限界になる」という明快な回答を得た。自分の世界の精度のみを議論したいのであれば個人で作るべきが、世界の質そのものを議論したいのであればチームで開発する必要があるだろうと考えていた。
気持ちがあがってきたところで儀式的に風呂にはいって焦らす。お風呂で座禅を組んで頭を空っぽにする。まだこなれないので空っぽにするどころか座禅の作法だけで脳内が占領される。一種の集中ではある。今はあまり深くは考えない。
チームとグループの違いとはなにかについては深く考えさせられる。同人ゲームサークルはチームであるべきか? と問いかける動機にすらなにえる。チームプレイかチームワークかという二項対立は同人ゲームにとってかなりタフな問いかけである。前者が職域を越えない官僚的部分最適集団とするなら後者は全体最適を目的とした自由意志を発揮する個人の集団だ。プロセスに従っていれば叱責されないという消極的な理由でただそうしているエンジニアのいかに多いことか。目の前にあるタスクを忙しそうにこなしていくのは、忙しくしていることに意義を見出すアドレナリンジャンキーをとても高揚させるだろうが、プロダクトに対する価値向上にはコミットしてない。
チームの構造のアンチパターンもよく理解できる。オレの会社は「個人商店を経営する烏合の衆」だ。高いスキルをもったエンジニアがやまほどいるのにアウトプットが少ない。負債のせいだというが,オレは言い訳ではないかと思う。何に重みをを置くかが決まっていないので「負債」をすべて倒そうとするのだ。個人的な信念とプロダクトとして理想の峻別ができていない。だから個人商店状態になっている。また高いエンジニアスキルをもっているがために、互いが互いの領域に踏み込まない。ルールを設定できない。vi や emacs の非本質的宗教論争やコードフォーマッタ強制や final 強制までもがルール化されずコミッターのえり好みでプロダクトとしてリリースされる。自由で良い、という解釈でみなは自由にコードを書いているが、オレにはよくわからない。オレたちはコードに意図をもって書くだけでいいのだろうか。それが共有されないならそのコードが「動く」以上になんの意味があるだろうのか?
時間は十七時。やはりチームは嫌いだ。だがチームで何かをやりたい。でないとオレは生きていられない。生きてないよりはマシだ。自分が原因になった何かがオレの世界には必要である。
チェーン交換済みの自転車で ZWIF でペダルを回す。ペダリングでささやくような金属擦過音。スプロケットもほぼ新品、チェーンもほぼ新品。ギアチェンジもカッキーン、という軽快な音。好き。ひたすら登る。登りに登る。240W、心拍 180 、ダメからもしれない。当然さぼっていた。サボっていたせいか、高湿度なせいもあるか、汗は湯水のようにあふれ出す。きつい。手がしびれる。肺が悲鳴を上げる。三十分。ペダルを止める。ヒルクライムのトレーニングを本気で再開しなければ。

二十一時からは、エクリプスチームでオンライン映画鑑賞会。DVDを持ち寄って映画をみようという会である。オレはこの手のディスコミュニケーションが好きだ。視線を直視せず会話ができるからだ。対象を直視しないというはとても助かる。今回のタイトルは『エコール』で行方さんの推薦だ。端的にいえば、強調された幼女の無垢性とそれに呼応するように強調された世界を描いた作品。モノトーンな映像美は少女たちを際立たせるが一方で別の世界の境界線を定義する。後半の展開は世界の終わりとハードボイルドワンダーランド、灰羽連盟を突破してくるので個人的には好感が持てる。暗喩は笑ってしまうが、あれはあれでいい。あれ以外ないというが。

誰かと一緒に映画をみるというのも久しぶりな気がした。何年ぶりだろう。映画を見るはディスコミュニケーションだが誰でも言い訳ではないし、映画のタイトルも大事である。同人オタクでどうかしているラーメン大好き河合さんと基本的には女児の行方さんなので気まずい思いこそしないが、どこまで突っ込んで話して良いかがわからない。ましてや最近はジェンダーがの話がうるさく、意図しないところで怒られるのはこりごりである。河合さんと行方さんがつーかーの間柄よろしくエコールの「際」を雑に話しながら明確化してくれたのでそのラインを限界としてオレは話したがどうもしっくりこない。

なんかエクリプスチームで議論するときにいつも悲しい気持ちになることに気づく。なんだろうと考える。あー、「はーい、二人組つくってー」という体育の時間の先生のかけ声である。もう、慣れたと思ったのにな。