kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

6月4日(木)

オレたちはいろいろな世界に住んでいる。オレ的現実世界やネット的現実世界。むかし、ネット的現実世界とテレビ的現実世界は明確に分離していたが最近では境界がほとんどなくなってきた。代表してネット的現実世界と呼ぶことにしている。ネット的現実世界の居心地が悪くなって SNS を見る頻度を減らした。ネット的現実世界との同期を遅延させると起こったことはオレ的現実世界がネット的現実世界にかろうじて抵抗できる程度までに成長したことだ。確固たる超自我の構築に失敗しているオレたち十二歳から十四歳までの子どもたちには、ネット的現実世界に適合できない。正確には過剰適応してしまう。無尽蔵に肥大化した超自我に圧倒され、あらゆる機会を奪われた自己はエネルギーを失って灰色人間を作り出す。SNS をすてて、全裸になり山を切り開いてそこに希望者を募ってみんなが幸せになる国を作ろう。憲法第一条、SNS を捨てよう。同、第二条、国民はみな全裸とする。
復職からの挫折で心はずっしり重い。何不自由ない。空は晴れ晴れと。山は青々と。見える世界は灰色。どこが壊れたのだろう。
今後の計画。平日の午前はアクティビティ、散歩、低山ハイク、サイクリングで知らない道をのんびり回る、なんでもいい身体を動かす。午後は執筆作業。十六時まで活動できたらあとは力をぬいて遊ぶ。ゲームでも動画でもエッチなことでもなんでもしてよい。仕事っぽいことはしない。したければ、明日の十時を楽しみに待つ。
頭で思っていることは簡単だが、本当にしたいのは生きるのを諦めたいのだから、どんだけバカバカしいことだと思っているかは容易に想像がつくだろう。いずれにせよ、この状態のオレは殴らないと治らない。山にいって殴るしかない。まだ我文町にきてルート攻略できていない伊灰山ルートをサイクリングする。ルートの最高標高は四百九十メートル。ゆるゆると十二キロの登り。山頂付近では勾配十五%を超える激坂と悪路。きらきらとまぶしい灰色の世界を進む。山に入り、木々のトンネルを抜ける。激坂は踏む。意地でも。汗が滝のように流れる。殴り続ける。死んでしまえばいいのである。登山道入り口で小一時間の休憩。ひどい世界だなあと思う。お昼時になる。山を下っていく。途中にカフェを見つける。森のカフェ赤窯。入り口がわからないので探して入ってく。自家製の窯でピザが食べられるらしい。ピザを食べるならお酒も飲みたくなる。ウーロン茶で我慢する。カリカリの生地とチーズがカロリーを失った身体に優しく染み渡る。終いにコーヒーも追加注文する。森の中のオープンカフェは天気が良ければ最高である。この景色に色があったらどんなにすばらしいのだろうか。
近くの席では奥様方がずいぶんと下世話な話をしている。中学のお子さんがおられるママ友だろうか。スカートの丈を直さないといけないのだ、今時、中学生の膝が見えたぐらいで興奮するヤツがいるか、アハハハ!との陽気さである。まあ、身を律したロリコン紳士、ロリコン淑女たちの想像力はある意味すごいので見える見えないで語れないのがすごいところだとご認識いただくのがよろしかろうと博識ぶって独りごちる。オレも変態として立派に生きている。森のオープンカフェというシチュエーション的には台無しといいたいところだが、自然を有り難がっているのはこの町でオレぐらいなのだ。よそ者のオレが文句を言う筋合いはない。ママ友のおしゃべりはノンストップでつづく。とある母親がいて中学になる娘が車のクラクションの音を聞くとパニック発作を起こすので耳栓をつけさせている、製薬会社につとめる父が自宅で仕事をすると薬品が影響して発作がおきる、そう訴えて病院を受診していた、という。虐待ではないか、という噂話だった。もちろん軽々に判断できることではないが、もっともシンプルなのはその母親は妄想持ちではないだろうか。もちろん噂話で何がわかるわけでもない。でも仮にそうだとするなら、周囲の人間は虐待だ捉えているのかと思いぞっとする。多くの妄想をもつ人は見た目ではわらかないし、それが妄想だとわかるときはじっと我慢している。健常人とキチガイに明確な境界があると思っているのかも知れない。キチガイの世界は徐々に徐々に現実を浸食して現実を拡張しゆがめていく。オレたちがキチガイでないというのも、それがある指標をつかって分類したときにざっくり多数派というだけだ。でもそれは不都合だから気づかないように生きているし、社会の仕組みもそれを下支えしている。
オレはお代はらい山を下りる。山道には狸がいた。この山には具がいる。でもハクビシンかもしれない。標高百メートルぐらいまで急降下する。蒸し暑い。あんな話、あるのだろうか。オレは狸にバカされたのではないか。本当にあのカフェはあったのだろうか。来週また行ってみよう。

家に帰り執筆作業をし、風呂に入る。共同浴場には湯温計あるのだが、四十度から四十二度の間でゆらゆらしている。ゆるめのお湯でないと入れないオレはいつも四十度をありがたがっているが、今日は四十二度である。やせ我慢してはいるしかない。考えてみれば、こんな状態でオレは地獄にいくのを恐れないのはなぜなのだろうか。死んだらオレはオレでないと高をくくっていると痛い目をみそうだ。

湯上がり後、ぼんやりとしている。座禅を組んでみたがやはり、集中できない。本でも読もう。iPad を水没させて以来なにもよめていない。Kindle を引っ張り出してきて Android で読書環境を再構築する。GoogleDrive + SideBooks を採用する。最新ではない Kindle HD ではもっさりはあるが読書には困らない。

寝るまでまだ時間がある。海まで散歩に行く。夜の海に怖いイメージを持っていたが浜辺は穏やか。夜の海も気分転換の選択肢として今後とも使えそうだ。闇が怖くないというのもさみしい。十二歳のオレは何に何を見ていたかまだ思い出せない。