kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

6月9日(火)

無の月曜日が終わる。そして目覚め。いつものように身体がだるい。何か脳みそに刺激を与えたい。放送大学ユング心理学のなにがしかの講義を聴講する。ペルソナと自我とゼーレの話。俗に要約すると偉い政治家先生が夜は風俗で赤ちゃんプレイをしている、みたいなペルソナとぜーレの一例を挙げていて、オレもときどき赤さん言葉がでてしまうのは偉い先生になる要素がすこし含まれている可能性があるのかと期待する。講義の要約によるとゼーレってアニマやアニムスのこと。そうなのか、エヴァのイメージしかないがやっぱり赤の書を豪華版で一度は読んでみたいと思う。国会図書館にいったらいつか読むぞ。個物的な自己はペルソナ、アニマを調整して社会に適応できるのかなと勝手に想像する。ペルソナはなんとか使い回せている。だがアニマはダメだ。オレの倦怠感の原因とはいわないが根っこの近傍にいて影響をあたえているのはアニマと思って良いのかもしれない。この倦怠感と本気で向き合うときがきたのかも知れない。「それ」を対象化し分析することで治療できないか。「それ」に名前を付けよう。オレは考える。アニマは女性なので女性の名前がよい。印象的な名前だとよいがそれは見え映えや意味を求めすぎている気がする。印象は強いが深い意味がないもの。初恋の女性の名前でもつけておこう。十四歳にはそれぐらいでちょうどいい。アニマを「あや」と名付ける。実際の「あや」氏と個人的な会話はしたことはないし、実際どんな性格かも最後までわからなかった。
いつのまにか放送大学の講義は別の講義をしている。名前だけを決め、あやと対話するのは今度にした。名前が都合の良いときに呼びかけることができる。オレは布団をでて朝の儀式を済ませる。
まあ身体が重い。午前中はアクティビティ。昨日のあやのわがままに引きずられている。あまりうごかないアクティビティ。馬カフェにいくことにする。食欲がないなかシリアルを書き込み非占領下に立つ。
タンブルウィードにいくと今日はお姉様が乗馬をしている。乗馬をされている方々に対してはおば様とかお姉様とかそういうふうに呼んでしまうオーラがある。経営者の奥様としばし会話をする。人間と深い絆で結ばれることができる動物である一方、経済動物でもあるというご迷惑な話題を振る。オレは何を考えているんだろう。表情には出さなかったが興味本位できくことではないと反省している。実際に、食肉の手前で一目惚れで迎えた馬もいるし、残念だけれども病気やケガで送り出す馬もいたとのことだった。馬に深い愛情を注いでいるのが見えるだけに、一体どんな思いであったかは推し量ることもできない。馬たちにはストレスなくのびのびとやってもらうことと、たまに乗馬やイベントでお仕事をやってもらうぐらい、それを大事にしているとのこと。むしろオレも馬になって飼われたいぐらいである。お姉様の華麗な乗馬をみていてのりたくなったが懐が心許ない、今日は遠慮することにしたが、お手入れなら無料とのこと。馬をさわさわできるとは嬉しい。洗い場にいるキモサベは暑いなあ、という感じでむずがりながらハエをはらっている。オレは身体を拭いてやるとわかってないなあの感じ。強めがいいんだろうか、弱めがいいんだろうか。最後に顔をぐりぐり拭いてやると、はいはい、という感じ。キモサベに顔を覚えてもらわないとはじまらない。最後にまあ、お手入れでしたら無料でいいので、都合のよいときと気を遣ってもらう。そのうち馬房の掃除もぜひ、と言われたが掃除は好きなのでと受ける。それでいろんな馬と仲良くなれるなんてこれなんてハーレムゲーなのだろう。まずはキモサベ、十八歳、男の娘を攻略しなくては。次はにんじんを持っていこう。なんだろうこのワクワク。こんなのシスタープリンセス以来である。

お昼に一旦家にかえると身体がふたたび重い。あやがかまって攻撃でぶら下がってきている。お前はオレをどうしたいのだ? よもや馬に嫉妬しているわけでもないだろう。あやは何歳なのだろうか? アニマと考えると年上だろうし魔術の類いはすべてマスターしているだろう。まあ人類の起源に関わる話ようなきがする。まあ雰囲気がそれとなくオレの好みというだけにしておこう。

午後は診察。復職が延期になったドタバタとか、オレが世の中のサラリーマンが平均的にこなしている勤務時間をこなせるようになるために、あや、つまり対象として認識したそれと和解する方法を確認したい。とくに後者はチャレンジングである。無意識の意識化という一般的なアプローチだが食木崎先生はどう考えるだろうか。炎天下、もう炎天下。えっちらおっちら、山をこえて病院に着く。ソーシャルディスタンシングを守りながら待つ。たまたま入り口近くに座ったオレは三密警察よろしく、なんとなく入り口の戸をしめてしまう患者の方々が受付をすませたあとに気づかれないようにそっと扉を開ける。自然と締めてしまった方に、密になりますから、と声をかけるのは難しい。締めてしまったそばから、しゃっと扉を開けるのは感じが悪すぎる。そーっと猫のように、受け付けてテレビみながらぼーっと待ち続けたあたりにそーっとそーっと扉をあける。神経質なんだよと怒られてもいい。第二波がこないに越したことはないし、終息してしまえばいい。そのときにムダだったといって笑えるように。
診察までは一時間ほどまつ。精神科においては早いほうだ。病院を能率で語ると怒られるだろうが利便性について向上させることには誰も文句がないと思う。待合のデジタル化は世の中に貢献できる。
診察室にはいると食木崎先生が立ち上がって迎えてくれる。ビジネス商談のような雰囲気すらある。前回、前々回のやりとりを思い出し簡素化を自分からやり出す。あいさつをし、深くお辞儀をし、さっと着席をする。なにせ転移している相手であるからして社交辞令はほどほどでよい。その後どうですか、という問いかけから診察は始まる。やはり面と向かって話すと興奮するようで一気に早口でいろいろと言ってしまった。復職が失敗したこと、倦怠感をやっつけたいこと。復職のプロセスが会社としてダメなことについては食木崎先生もオレも残念ですね、と同意する。ここまでがアイスブレイクになる。産業医の先生性はフルタイムで働けることを重視していて、オレは自身がない、やはりフルタイム勤務を妨げる倦怠感をどうにかすべきではないか、という相談。kowasuhito さんは他者との関わりのなかで治癒するのではないか、という期待をもっているのですよね、であれば、復職すべきです、というのが食木崎先生の意見だった。問題の機序はおいておいて、快癒のプロセスとして復職を提案した。その提案を聞いたあと、オレは倦怠感の、つまりあやを突き詰めていくのはどうなんでしょうかと食木崎先生に問う。答えはすぐに返ってくる。いいですけど、ほどほどに。食木崎先生が否定を持ち出すことは少なかったのでいかにも悪いアイディアだということがわかる。いわゆる精神分析内観療法において道案内役がいなければ悪い方悪い方へと向かっていくのはわかっていることだ。その答えをきいて背筋がぞくぞくする。あやは何者なのだろうか。もはや名付けたことを後悔する。対象を捉えたと同時にオレは捉えられた。
診察はコンパクトで最小限。でも九割方オレがしゃべっていた。いままでにない診察なのでちょっと楽しげですらある。逆の立場だったらお金をもらってでもやりたくない。患者に期待をするなんて。
せっかく女縄市まできたし買い物でもしようかとおもったが、エネルギーを使い切ったので家にかえる、山を越えて。

家にかえると風呂に入り汗を流す。大浴場でストレッチとヨガ。日焼けした腕の肌がぼろぼろ。これまで長袖長ズボンしか装備していなかったのだから、日光に弱いのは仕方ない。でも自身がどんどん醜くなっていくのは十四歳には受け入れるのが難しい。

ご飯を食べたあとは執筆、お酒を飲む。あやが見えない。そういえば、あまり夜は見かけない気がする。食木崎先生には止めた方が良いと忠告されたけど、あやを遠巻きに見る分には実害はないだろう。