kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

6月17日(水)

八時にスマホの目覚ましがなる。スヌーズを連打する。昨日の夜、飲んだ酒が少し残っている。ラジオを付けて世界の同期から始める方法もある。あえて同期をせずに自意識に閉じこもって創作脳に仕立てる方法もある。同期をすれば外に出かけられる身体に仕上げられるし、同期をしなければ創作脳あるいは陰々滅々とした日にしやすくすることもできる。オレは前者を選択する。NHKラジオを聞く。どうでもよいニュース。朝のルーチンワークといっしょにやるとちょうどいい。さいわい、あやは寝過ごしている。昨日の夜、徹底的に無視してやったのがよかったかもしれない。

ツナマヨをぬった厚切りトーストを食べる。今日は予定がない。珍しいことに生きるのが面倒くさくない。生きているメリットを考えている。躁と鬱の波を表す三角関数の周期は上振れにはいったようだ。いずれ下降し、そしてまた生きるのを諦め始めるだろう。だから今のうちに生きているメリットを享受しなくては。シュノーケリングの「練習」に出かける準備をする。フィンをつけたときの所作、水温が低いときの所作、離岸流にのったときの所作、シュノーケルの緊急排水、シュノーケリング時の潜水と排水の所作、オレは前回の失敗から自身に課題を見出していた。失敗しても死なない場所できちんと失敗しにいきたかった。自転車で三〇分ほどかけて伊花多ヶ浜にいく。砂浜。すくなくともいきなり深い場所はない。パドルスポーツをしている方が何人がいるかスイムスポーツはいない。シュノーケリングは浜辺でやっても透明度がなくてレジャーにならない。足がつく水位で立つ。フィンが邪魔して立ちにくい。何度か繰り返して立てるようにはなった。だが緊急時に立とうとすることがゲームオーバーだ。フィンの抵抗はかなりあるという学習をした。脚がつく水位で海底面をタッチの練習。潜水時の身体状態のチェックとシュノーケルの排水作業。シュノーケルはかんぜん水没することがわかる、だから潜るまえに肺に空気を吸い込み浮上後に一気に吐き出してシュノーケル内の海水を排出する必要がある。大きく息をすって……潜水……浮上、排水。肺を空気で満たすと潜水能力が低下する、慌てて水を搔いて潜る、予想以上に時間が経過する、あわてて浮上する、排水が浮上しきりまえにやる。不完全、吸気で海水を飲んでしまう、げほげほ。運動神経が良いとはいわないが、音痴でもないとおもっていたのでこの結果はがっかり。焦りが大きい。海水のせいか浅い水深でも耳が痛い、耳抜きしてみようと余計なことを考える、潜水速度が遅くて必要以上に大きな運動をして酸素を消費する。トラブルからの浮上の見切りの甘さ。でも一度失敗するとほっとする。失敗の原因も体験として理解できる。思ったより潜れないし浮上も遅い前提でマージンをもって吸気、排水を心がける。余裕が生まれると海中という状況の中でも冷静な判断ができる。わざわざ素数を数えなくても場を乗り越えられるようになる。次は足のつかない場所へ移動する。三メートルないかどうか。海水浴でいうほんのちょっと沖。何かあっても足はつけない、ただ緊迫感は急に上がる。潜って上がる、シュノーケルの排水。よし、問題ない。でもちょっと待てよ。浮上、排水後ちょうど波を被ってしまったらどうだろう? オレは一旦足のつく位置にもどってシミュレーションする。オレの排水は本気なので次の一手は吸う以外ない。排水後、シュノーケルに海水が満たされているシチュエーションでは死亡した。排水を完全にやろうとして肺の空気を全部使ってしまうことは御法度である。短く一気に吐き出して排水すること、そしてゆっくりすって海水が残っていればもう一度排水できる空気を持っておく必要がある。オレは潜って排水を失敗させて、再度排水するというシミュレーションを繰り返す。二度目は肺活量が足りない。吸うときにゆっくりとすることで海水を飲むことなく次回に完全排水するスキルを身につける。よし、オレはまずまずの生存率を身につけた。一時間でのオレの成長は楽しい。たぶん自己流で正しくはないけど自分なりに仮説検証を物理的な身体をつかって行うのはとても楽しい。人生のアジャイル化による一番のミクロな不確定要素は自身の身体データと感情データである。ふりかえりではそのデータともとに意見を出し次のアクション、タスクに落とし込んでいく必要がある。データの精度は次のタスクへ大きな影響を与える。ここで精度を高めようと頭に電極などを仕込む試みは大概失敗する。そこの精度を上げるのは困難だからだ。では身体データや感情データに誤差が大きく含まれているとしたときにどう対処するか、それはスプリント期間を短くするということに尽きる。効果が得られ亡ければすぐやめるということではない。学習曲線にはいつだって谷ができる。これを前提にして、「見込みがあるか」という問いを自分にする機会を短い頻度で与えるということであり、また別のタスク候補と比較して「諦めるか」という極めて相対的な議論の繰り返しを行うということ。今回の件は数十分を1スプリントとしてそれを繰り返すことでオレは成長できた。さらにふりかえりのなかで、ほんとうの緊急時に対応するためには別の対処方法を身につけておく必要があるのではないか、という仮説を提起できた。その仮説が提起するのは死なないという頻度はすくないが重大なリスクでそれは無視できないという判断のもと絶対に「避難訓練」しておくべきことだとと判断する。当たり前のことかもしれないが、これをその場で身をもって体感することが人生の楽しみだと思う。個物的なオレのリスク管理はオレにしかできない。特に今日のオレはオレはまだ死なないことを前提に考えることを推奨している。

家にかえると、猛烈に眠い。なぜ水に入ったあとは眠くなるのか。買い置きのおにぎりとカップラーメンをたべて仮眠をとる。十五時から人事部のマッキーさんと面談がある。寝過ごせない。タイマーをかけて寝る。

なにか機械音が鳴っている。はっ……枕のしたにスマホをしまい込んで隠蔽しようとしている。寝坊したか、ぞっとする。まさかの三分前。目覚ましが鳴る前に目が覚める症候群とにている。脳は休めていないのだろう。急いでパソコンをつける。今日のマッキーは影がない、元気とはおもわないが。やあやあお元気ですかなどという言葉を交わす、この時間がお互いの間合いを計る時間である。天気と湿度と梅雨の話をしたらさあ、次はどちらが主導権を握るか、という緊迫したアイスブレイク。オレは面倒くさいのでいつも主導権をとる。どのミーティングでもそうだが、誰かが何か話題を振ってくれるだろうと黙る。どのミーティングでもそうだから知っている。誰にも嫌われずに生きていくことはできない。もし相手が一秒以上黙ったら相手はオレのことに好感を持っていない。だから、オレが話題を振るようにしている。相手のことを好いているならまだしもお互い興味を持っていない同士、どうなってもいいではないか。これがオレが相手に興味をもっている場合には困る。去人たちに興味をもっている人だ。去人たちに興味を持っている人には失望して欲しくない。オレはおれを超えて相手の望むオレになりたいといつも思っている。作者論? そんなのどうだっていい。とりいることだ。相手の妄想としてのオレやオレたちを綺麗に華麗に演じるにこしたことはない。本性は、徐々に、失望にならないように、本当に少しずつ。陽キャ陰キャの違いをマッキーと笑いながら話す。会社のシステム開発をやっているVAR部でリモート飲み会が開催されるようですよ、という話を聞いて誘われる。オレはマッキーに「そんなのに出たらウツでしんじゃいますよ」という。マッキーとオレは笑う。「でも経費はでるみたいですよ。領収書でおいしいお酒かったらいいじゃないですか?」という。「でも死にたくないです」という。さすがは根はダークなマッキー笑ってくれた。この類いのブラックジョークは結構わらってもらうことが難しい。
アイスブレイクが済んだところで復職の話をする。笹野マネージャーからもせっつかれているのかもしれない。オレがこうやってマッキーと笹野マネージャーに二重人格で話をしていることに罪悪感を覚える。境界性人格障害者が相手に取り入ろうとする症状は社会的には凶悪であるからして申し訳ないとは思っている。オレにはオレが分からないというと責められる、だからオレはオレをあなた方ようにパーソナライズしてきた。これには精神科医も気づかない。あなた用のオレの違和感に気づくためにはオレのマニアになるしかない。統覚のもとに人がある、kow@suhito も制約を超えることはでなかった。おれがありのままに話せることがいいことかどうかは別だ。人格があってしかるべきだとももう。あるいはその両面の矛盾を許容できる鈍感さが必要かもしれない。@liceと話したときオレはオレたちだったし誰もオレを責めなかった。オレたちの無謀さを笑ってくれた。でもは@liceは気が狂っていた。最初にヤマシタさんと話したときにそうかなと思ったことがあるが、残念、彼は天才だった。天才は直感で正しい道を選ぶことができる。天才たちの名誉のためにいうがこれは決して楽なことじゃない。悩んで悩んで失敗も何度もしてそしてポイントとなる重要な分岐点で正しい選択肢を選択できる人々のことだ。努力はもちろんそこにあり最後に経験をもとに直感で最後の選択をできる人々のことだ。オレや@liceはそうではなかった。もしかしたらヤマシタさんもそうかもしれない。成功しようといいながら、それは失敗するため、理想と良いながらそれは絶対に達成できないもので、結局は破滅を望んでいた。理想は高くそれは自身が死んでも良いために、言葉にはしないけれども、死ぬために正義感や正しさを常に言葉にする最低の人間たちだった。若きウェルテルの悩みに共感するような精神薄弱な社会があったのだから、オレたちは深刻に考えなかった。ハイデガーを引き合いにだして企投しているほうが社会的に悪ではないかと議論を提起している場合でもない。一回性の、いまここにしかいないオレをどうするかについての判断をオレが正しくする方法について語りたいだけなのだ。
そんなことを考えているとミーティングの時間は終了した。復職するなら、来週か再来週からでしょうねという話。根拠ではなくプロセスの話として。死ぬまで生きろ、と命令されて生まれた人間は困るのではないですか? と考えたがこの会話の文脈ではかなり危ない。オレは黙る。いいね、と親指をたててマッキーに合図する。

ミーティングが終わったあと、オレはサイクリングに出かける。女縄市までゆっくりとサイクリング。クライムはのんびりのびのび、心拍が一六〇が上限になるようにゆるゆる登る。物理時間はゆっくりと進む。だけど心拍一八〇の時間と比べれば効率は良い。心拍数を倍にすれば倍の距離を進むといったシンプルな世界ではない。いまのオレがたどり着きたい場所と、オレたちと称するオレと同時代のたどり着きたい場所は全く違う。人は後者に賞状を進呈する。前者については評価を保留しがちである。本人たちがそうであるように、評価する人々も恐れている。ツール・ド・名破が開催されるなら、オレはスタート後数分後だけはトップを走りたい。名破を誰よりも走ってきたという強欲さのためだけに。ツール・ド・名破はもうちょっとまってほしい。まだ走り込んでいない。

家に帰って風呂に入る。風呂は気持ちいい。座禅を組む。世界はビッグバン当初のように圧縮する。一気に膨れ上がる。無限大の宇宙に対するオレの呼吸を意識する。それでも宇宙は物理法則とでもいうように膨張する。客観的宇宙と客観的宇宙が相克する。どちらも直近の地球的世界観には影響はない。哲学が探究するように、オレは無と有の堺目に注目する。オレが虚数空間にいてこのいまこのような混乱にこまれているとき、オレはこのように悩むと言うのだろうか? この問いは最高に良い。そこにおいてオレは肉体に頓着しないはずだらからだ。なにせよ、まだ、この宇宙はない。ある自我Aがうまれることが自明な宇宙がある。あなたは自我Aです。宇宙を作ってみますか? オレたちは回答に困窮する。なぜなら元が人間だから。自意識こそが判断を阻害する。何かを語るために生き残らなければならないのです。

語る? ほうほう、あなたは語り、聞かせるなにかなのですね? オレは苦笑いを浮かべる。

時間が経つ。オレは明日の予定を考える。てんこ盛りだ。酒盛りをしている場合ではない。薬を飲んで寝る。