去人たちを作れなくなったうつ病プログラマーの地方生活日記

創作に絶望すると、世界が反転した日記

6月22日(月)

不登校になってから数ヶ月、久しぶりに学校に登校する。行く必要があるのかと少しだけ思うが、みんながいくものなのだからと考えてイヤイヤ登校する。席について授業がはじまる。そういえば今日の授業科目はなんだろう? 机の中にはいろいろなものがぎゅうぎゅうに詰まっている。数ヶ月置いてきぼりをくらって授業の内容がわからない。国語では存在論をやっていて、それがなぜ必要だと考えられたかを質問される。オレはわからない。クラスの生徒は黒板に目を向けたまま。緊張で吐きそうになる。チャイムが鳴り続けるまで立ち続けて授業は終わる。次は英語の授業。苦手な授業ばかりがつづく。学校なんてくるんじゃなかった。英語の教科書を探すがない。教科書忘れたの?、と声をかけられる。となりの席の女の子は昭和の制服を着ている。少し淡い栗色がかった髪の毛で愛嬌のある目鼻立ち。教科書を見せてもらうのは授業を理解するのに役立つが、パーソナルスペースを侵害されるから居心地が悪く結局は授業の内容が入ってこない。人間が二メートル以内にいることの不安。オレは十二歳になったころからソーシャルディスタンシングを心がけていた。次の授業は音楽。中島みゆきのファイトの合唱の練習。中島みゆきのファイトの歌詞なんてしらない。音楽なら適当に口をパクパクさせておけばいいのだから不安は少し減る。ところがさっきの女の子が譜面をみせてくれる。胸が苦しくなる。不安になっているときに優しくされるとこんなにオレは弱いのか。ちょろい。次の時間は何かの科目のテスト。プリントが配れる。女の子はオレの前の席に移動している。女の子が少しはにかみながらオレにプリントを渡す。女の子は詰め襟を着ている。顔を見てさっきの女の子で間違いないことを確認する。

目を覚ますと、十時すぎ。昨日からえんえんと三十時間ほど布団の上で過ごしてしまった。身体は流体金属化している。でも起き上がるエネルギーがかろうじて体内に残っている。なにがなんやらよくわからない。あやをふりはらい、朝の儀式に取りかかる。エネルギーがあるうちにオプション作業もやる。トイレ掃除、お布団干し、床、畳掃除。夢のことをさっさと忘れてしまいたい。あやに弱みは見せられない。
空腹。菓子パンと牛乳。味覚が残っている。おいしい。
昼からはオンラインで笹野マネージャーと復職後の働き方の相談。社内規則でオーケーなら自分のやりやすいようにと、要点はそれだけだった。配慮もあるのだろうが、投げやりにも見えた。オレが文句や愚痴をならべまくったせいで笹野マネージャーが呆れかえってしまったのか。笹野マネージャーはオレに期待していないし、オレも笹野マネージャーに期待していない。どこかに期待がなければ会話は成立しない。時間をうめるための雑談をする。エネルギーの損耗という言葉がひったりの時間。復職は木曜日からということにした。それ以外は何も決めない。自分がはじめたことだが、楽しく働けるかはオレががんばらなくてはいけない。

お昼に冷やし中華をたべる。食後ということもあって眠気とともに倦怠感が襲ってくる。この安全地帯にいたらダメになってしまう。強烈な誘惑。誘惑を拒否する動機がない。理由はなくてもそれを拒否して部屋の外にでなければならない。着替える。泣き出しそうな顔で袖を引くんじゃない。オレは手を振り払って玄関を出る。
過剰睡眠のあと特有の不安定な平衡感覚、浮遊感、少しの耳鳴り、時折脳内を走るしびれ。身体を自転車にあずけるとゆっくりとこぎ出す。全身に風を浴びると身体の各部位が立ち上がってくる。目的もなくのろのろと田舎道を走る。女縄市方面へ向かう。登りもローギアでのんびり登る。心拍はいっても一五〇程度。身体中心の世界が開いてきた。途中の林道に入る。いきなり勾配一五%、ローギアでも本気で踏まないと登らない。腕から玉の汗が噴き出してくる、ヘルメットから汗が止めどなく流れ出す。心拍一八〇。身体感覚が希薄になってくる。心臓、気管支、ピントが合わない眼球、モノラル音声になった聴覚だけが弱々しい回路でつながれたむき出しの身体。頂上付近は標高二四〇メートル。汗が止まらない。少しずつ他の身体部位も戻ってくる。山を下る。荒れた路面のギャップと洗い越しを抜けて海にでる。視界が開けるとピントを合わせるために普段使わない筋肉を使うようできしむような音が目の奥でする。人は少ない。水辺はとても綺麗でもう少しあたたくなったらシュノーケリングにきてみたい。少し休憩したあと、我文町に最短距離で帰る。主要道路は車通りが多く楽しくない。

家についたあとは風呂に入る。風呂上がりにベランダで涼みながらアイスを食べる。うまい。楽しいとも幸せだとも感じないのはなぜなのだろうか。リビドーが枯渇して餓死しないために自給自足でかろうじてやりくりしている。デストルドーなんてものはないんだ。リビドーはどこにいった。自分の病気のことがわからなくなる。うつとはなんなのだろう。いまだに正確な原因は分かっていない病気。まったく効かない薬、日光浴でも良くならない、環境を変えても変わらない。うつ病の「症状」を気にしすぎていないか。オレは自立支援医療制度の申請書の中にあった食木崎先生の診断書を思い出す。自閉。オレはどうして自閉を忘れていたのだろうか。ドナ が大好きで、そんな世界に憧れていたじゃないか。ドナがみていたような豊かで無残な世界が好きで好きでたまらなかったはずなのだ。自閉という用語を正確に理解するのは難しいし、記述精神医学的に見たときにも様々な所作として現れるので素人には診断しようもない。しかし、ラカンを少しでも読もうとしたのに自閉をどうしてもっと理解したいと思わなかったのか。
エネルギーが切れる。自閉は何かのアイディアを示唆したし、ちょっとだけ楽しい世界になった。