kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

6月24日(水)

アラームの二分前に覚醒する。良し、いつもの調子だ。眠気がとれない。身体は少しだけ重い。休職前に比べればすごくいい。まるでただの朝が弱い人間のようだ。希望がある。実際はないのだけど、でもないものが認識できている。この幻想がいまのこところ、個人的には希望と呼べる。
転がって起きる。一番いやな洗い物をやる。苦痛の結果、綺麗なシンク。象徴的な行為。朝風呂にはいる。熱々のお風呂で半身浴、ストレッチ。身体が硬いのだけどストレッチの効果でやっと手で足の親指に手が届くようになった。毎日コツコツ。風呂を上がったあとは半袖短パンに着替えてゆるくポタリング。田園、小鳥のさえずりを聞き、ちょうどいい温度の風、背景になった遠方の山はゆっくりゆっくりと立体的に動く。時間と空間と感覚がつながると脳汁がでる。口笛を吹きながらのんびりのんびり。あとはもう少し理性が働いてくれたら良いなと思うが、まあいいや。家に帰ると少し汗ばんだTシャツだけを取り替える。いよいよ仕事だ。
久しぶりに Slack にログインする。大量のチャンネルに大量の未読。どこから読んでいくかも想像がつかない。とりあえず自分のカレンダーを確認して余計なミーティングが入っていないことを確認する。雑談チャンネルで復職を報告するとアイコン芸人たちが歓迎してくれる。個人情報に関することなので体調不良でお休みするとしか言っていない。まあだいたい分かるだろうから良い感じに距離をとって迎えてくれたのだろう。大げさにならないのは助かる。休職前に所属していたチームにはまだ戻らない方がいいということだけをマネージャーとは認識があっている。あとは指示がないので、オレがしたいようにする。休職していた期間の情報を手に入れるという目的を達成するために Slack をながめ続ける。チャットメッセージは流れていくものなので、モチベーションを起点につくられる議事録や資料のようなドキュメントのほうがインプットしやすいのだけど、往々にしてそのドキュメントの起点、動機がチャットメッセージに埋め込まれていて、ドキュメントの方には議論内容や結果しかのっていないことがある。下手をすると決定したことを残していない議事録もある。その場合は、参加者に聞いて回るしかない。必要な情報と必要じゃない情報を直感的に見分けながら、漏れしかたないものとして情報を発掘する。ピンポンのよう長文メッセージをやりとりしているパターンがあり、それがとくに部署をまたぐコミュニケーションが多い。部署をまたぐと一気に Google Meet を使うのが難しくなるようだ。相手に人となりをしらないという恐怖から丁寧になりすぎるし、オンラインで話しましょうと言い出すのが難しい。技術的な議論であっても小さな問題提起が散発的になされているが、断続的にやりとりがおこなわれフェードアウトしている。これでいいのだろうか? プロジェクトの議論は専用のチャンネルで議論されているもののオレにとってはメッセージ数が多すぎる。アジャイルでは対話コミュニケーションを重視する。企画段階なのか、開発段階なのか、その段階のなかでなにをしないといけないのか、それを推進、決定するためのステークホルダーは誰か明確になっているのだろうか。ようはインセプションデッキができているのか。
自分が関わってないものを叩くのって本当に楽だなと落ち込む。気が滅入ったので気分転換にランチは外で食べることにした。バックウォッシュにいくと宮内さんが笑顔で迎えてくれる。今日は宮内さんのお知り合いのご夫婦も来ている。オレは常連になりつつある気がするので、スマホをいじいじしてお話の優先権をゆずらねばとわけのわからない配慮で変な緊張をする。そうだ知らない人が近くにいることに緊張してるんだ。心臓がどくどくいう。脇汗がとまらない。知らない人に会うときは、そのつもりで部屋の外にでるし、世間話の準備もある。唐突な来訪者には適応できない。オレは大盛りプレートランチを注文し、あとはひたすらに食べ続ける。場は落ち着かないけどうまい。満腹になったのでお会計。宮内さんと他愛ない会話を交わす。うむ、自己が起動したはずだ。あやにもこれは満足しているはずだ。
午後も同じ作業。新入社員の情報を頭に入力する。人が怖いので突然話しかけられても何らかの事前知識は欲しい。けっこう多趣味な人が多い。音楽の鑑賞するほうと演奏する方、ラノベ、アニメ、スポーツ観戦とやるほう。まあこのへんを抑えておけばなんとか話ができそうだが……今の地力でなんとかなるしよう。音楽も興味もてなくなってるし、アニメやラノベも。みんながやるような団体スポーツにはやっぱり興味がない。はやく友達ひゃくにん作りたいなあとつぶやいてみる。声は嘘を本当にしてしまう効力がある。次に完了したプロジェクトや始まったプロジェクトを仕入れる。新型コロナウイルスの会社の取り組みや勤務態勢。在宅で働き給え、と会社はいってる。でも在宅での働きかたを考えている人はいない。生産性が上がったとも下がったとも計測すらしていないし評価すらしていない。下がっている前提ではやく通常勤務に戻したいと思っているんだとしたら、がっかりである。オレが休職しているあいだに組織は成長せずに、ただ粛々ととプロダクトにたいする開発を行っていたのか。採用を強化するのはいいけれども、いまある組織の効率性向上がなければ単調な成長とコミュニケーションコストのボトルネックで頭打ちになる。組織成長の取り組みにこそ投資し、そして失敗を恐れずトライしないと。
不思議なことに、頭の中は休職前と同じにまき戻る。でも心はすさんでいない。今はどこにも期待していない。心は晴れやかではないが重いわけでもない。退勤時間になり退勤する。エンジニアとは誰ともメッセージを交わさなかったしオンライン会議もなし。仕事のなかでもまなざされる時間がないと問題が起こりそうだ。まだ初日、落ち着いて様子をうかがおう。リモートワークの中でも自分の中で組織の世界を投影できるようになる。それまでは情報のインプットをして気になることがあればポエムを書いていればよい。
仕事は時短でさっと退勤。 Slack からはログアウトする。強迫的にアプリを立ち上げてしまうので大事。心にスキマができた瞬間、オレは無意識にソーシャルアプリを開いてしまうクセがある。何も考えていない状態というのが不安なのだ。座禅でもその恐怖を目の当たりにしてしまっている。座禅ももうちょっと本気で取り組んでいきたいところだ。

仕事終わり。ぼーっとして、力が抜けたところで少しだけ執筆作業。でもあまり身が入らない。自己を立ち上げた日は、自己が立ち去るまで内的世界に没入できないのかもしれない。根拠はないけど、たたけないキーボードの前でなんとなく考える。
今日の予定にあったエクリプスの打ち合わせはメンバーが集まらなくなったので延期。せっかくなのでペダルを回そう。久しぶりのインドアサイクリング。今日は本気で追い込む。ポタリングばっかだったのでトレーニングができてない。どんだけ落ちてしまっただろう。Alpe du Zwift を走る。トレーニングしていたときは五〇分を切れていた。今回は六〇分切りを目指す。Alpe du Zwift の入り口までウォーミングアップ。負荷をかけて少しでも身体を作る。スタート手前で三分ほど休憩。室温は二五度でちょっと不利。エアコンがあればもうちょっと下げたいところなんだがまた設定できていない。負荷をかけてかけまくる。脳内から他者を追い出す。あやが応援してくれている。あやは他者ではないんだな、そうか、そうなのか? あやはオレがみていることに気づかない。一五分経過、これで四分の一か、もつかな、心拍一七〇、足はまだ残っている。三〇分経過、たぶん半分ぐらい。このペースを維持するのは無理だ、足がそうとう来てる。酸素が足りない、自転車のハンドルポジションが最悪、ディレイラーが調子わるい、水、水、水。息、息、息。もうだめかもわからんね。心拍一八〇。心拍が早くなればなるほど反比例するように時間の経過速度は遅くなる。苦しみあがいたのに一分しかたってない。この一分を何回繰り返せばいいんだ。感覚は苦痛、それを拒否してペダルを回す信号を送るだけの簡単な脳内活動。悟性だけが試される。またその感覚によって外的世界から侵入した他者は相対的に縮小、後退していく。四五分。視界がチカチカする。弱気になる。そしてその弱気を見透かしたように後続のプレイヤーが張り付いてくる。さっきパスしたときはまだ余裕があったのか。オレが三倍で踏んでいるときに相手は四倍、ここまできてよく余裕があるな。オレの足は死んでいる。ローギアにいれてケイデンスで逃げる。ラスト一キロ。遠い。時間の感覚が止まる。呼吸とそのリズムだけを知覚するからだ。ペダルをまわせるだけまわす。相手が戦う意欲をなくすことを期待する。半分はったり。三秒差、コールまであと五〇〇。長い長い二分間。ゴール予想時間をみているしかない。その時間まで回せば終わる。ゴールタイムが五十七分。六十分は切れた。汗がとまらない。足が他人のものみたい。応援していたあやいなくなっている。へろへろの状態でプロテインを飲む。汗がとまらない。水、水。吸収できなくてもいいから水をがぶ飲みしたい。みずみず。二十分ほどベランダでぐったりする。
汗を流すためにお風呂。疲れすぎてお風呂のありがたみすら感じない。ただ半身浴でぼーっとする。ぼーっとしながら今日の反省をする。こんな時にも仕事のことを考える。
ツリー上の組織階層において組織の長は、その領域のスキルが突き抜けた高いわけではない。いわゆる発言力、巻き込み力、突破力、決断力、実行力のスキルが高い人たちだ。会社の目標設定においてはそういうスキルが価値の高いものとして評価されている。でもこれは誤った価値観だ。その手のコミュニケーション能力は個体の特性によるところが多く、代替が難しい。人の退職によって組織の存在を脅かしてしまうし、組織が人に紐付いてしまうと非常に弱い組織になってしまう。正しく進むためには正しい問いが必要だって偉い人がいってたよね。つまり私たちの正しい問いは次のようではないか。
「なぜ発言できずにいるのか、なぜ周囲を巻き込めないのか、なぜ困難や課題を認識しながら突破しようとしないのか、なぜ課題や困難に対する方向性やアクションを決断できないのか、なぜアクションを実行できないのか」
私たちはなんらかのビジョンに向かってチームを結成する。そのビジョンに向かうときに結果でてくるものが発言力、巻き込み力、突破力、決断力、実行力だ。チームが正しい目標設定と正しい動機づけができていれば、必然的に必要なアクションがとれる。そのアクションの結果が発言力、巻き込み力、突破力、決断力、実行力だ。発言力、巻き込み力、突破力、決断力、実行力が先にあるのではない。会社が評価すべきなのは組織のビジョンの理解、チームビルドの能力、またスクラムマスター的な能力あるいはアジャイルコーチの能力、およびその前提での発言、決定を強行しないサーバントリーダーシップではないだろうか。
この気づきはオレを気楽にさせる。オレが無理に突破しようとしたり決断、実行していたのは他者からみればどうでもいいことだったのだ。なぜなら動機づけできてないメンバーは他人ががんばっていてもそこにコミットしていく強い動機はないからだ。

Zwiftで自分から他者を追い出したあとの執筆はすこしまし。追い込みすぎると延々と動悸が止まらない。まあ身体に良いわけない。心拍ゾーン5はオレにとってデスゾーン。今度からZwiftするときは家の鍵を開けておこう。早めに気づいて処理してほしい。西洋哲学的な主観的正しさに立脚する組織ではなく、西田幾多郎的な常に相互作用しつつ立ち上がる正しさに立脚する組織のほうが持続性や強さに期待を感じる。

明日も仕事だ気が重い。仕事ってなんだろう。オレの良心とは給料分の仕事はするということなのか。無遅刻無欠席で仕事することに意地になってるってなんなんだろう。会社はオレに自由に任せてもらえるチームを与えてはくれない。友達百人とかバカなことを言っている場合じゃない。友達でなくていいから三人、いや二人でいい、新人でもよい、仮説検証を実践させてくれれば少しはやる気がでるのに。プロダクトに成果がでるのは先だろうが、そのプロセスと方法試論とその検証結果をもってそれで失敗したら責任をとって会社辞めてもいい。しかし会社辞めれば許されるっていういうことなんだろう。制裁なのだろうか。むしろ自由。じゆうだああああ。去人たちみたいな実験だけど、それはそれで楽しいんダヨ。

少しだけお酒を飲む。二十三時過ぎに薬を飲んで就寝。