kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

6月25日(木)

目覚ましのアラームがなる二分前に目が覚める。アラームを止める。このまま二度寝すれば何もなかったようにできる。あやはいない。なにもやる気はしないが起き上がれる。
朝の儀式をすませるとベランダで椅子にすわってぼんやりする。何も考えない。でも余計に考える。仕事をしたくない。生活の糧の比重が一気にました仕事はチームや組織を突破してまで課題を解決しようと思えなくなっている。受動的になっている。口を開けて待っていればスキルアップや成果があげられるポジションをさがすことはするかもしれないが、能動的に動くのはいまではない。圧倒的な無力感はねばりがたりないだけなのかもしれないし、無限にまで広がった理想に現実の進みが矮小化されているかもしれない。認識の調整、問題や課題の分割統治、会社での目標設定、個人の目標……個別には正しいが、悟性、理性がない原生生物だ。

オレは slack を開くと今日は体調不良で午前休をもらうと連絡する。笹野マネージャーからは、「お大事に」とすぐに返信がくる。同僚からも気遣いのメッセージがとどく。オレはずる休みしているのだから気にしないでいいんだよと、書き込みたくなってしまう。ばれているような気がする。オレの思考は全員に読み取られているんじゃないかと思うときがある。昔は「嘘をついている」というのがばれ、蔑まれるのが怖かったが、「嘘で休んで堂々としている」と勝手に思考を読み取ってもらったほうが楽ですらある。

やましい休日。オレは代償として全力でやれることやる。タンブルウィードにいくとゴルゴ先生が玄関のポーチでタバコを吸いながらくつろいでいる。なんだろう、見た目とそのスタイルが完璧すぎて現実じゃない気がする。「あ、おはよう」という力がはいっていない無骨なあいさつも憧れる。良い感じに力が抜けている。こういうどっしりとしているところが馬たちにもわかるのかなと思う。オレがキモサベにへーこらへつらって取り入ろうとしているねずみこぞう作戦は好感度のステータスをあまりあげていないのかもしれない。もうちょっとしたら、キモサベにオラついていきたいけど、キモサベかわいいよ。
今日は軽速歩メインのレッスン、馬上で立ち上がるのがむずかしいことむずかしいこと。常歩ですら安定して立つのは難しい。常に振動と微妙な速度の変更による慣性力を微妙に調整しなければ前に崩れたり尻餅をついたりする。物理エンジン的なイメージは頭の中にできているけど、空間移動の視認情報と体幹で感じる慣性モーメントを処理して重心の位置をずらす、鐙への力の伝え方を変えるというのは非常に困難。頭で考えていてできる状態ではない。さらにはこれをしながら馬のお腹をぎゅっと抱えるという動作も本来必要だという。オレの乗馬スキルは二足歩行ができはじめたころのアシモ程度でしかない。キモサベもオレが慌てたり、リズムがずれると速歩をやめてしまう。楽しく走っているキモサベにとってはなんかばたばた馬の走る重心を崩して疲れさせるわけだから面倒でしょうがない。ゴルゴ先生は、止まったらどんどんお腹蹴ってという、ふえーん、キモサベかわいいよ、ごめんよ、ごめんよ。えいえい。ゴルゴ先生曰く、躊躇せずけること。じゃないと指示がわからずに馬の方が困ってしまうとのこと。軽速歩で乗り続ける練習。鐙に力をかけらないので状態をつかってなんとか重心を移動させて立ち上がる。鐙を意識して上半身を使わないように……なにもできなかった。レッスンをおわったとにキモサベの身体を拭いてあげる。馬も汗だく。タオルでゆっくりごしごししてあげる。目はなんとなく拭いているオレをみている。オレもキモサベの目をみながら気持ちいいのかなあなどと想像しながら強さを変えたり場所を変えたりして様子をみる。おもったよりも強めが好きそうだけど次回も見学しよう。最後におやつのニンジンをあげる。ぎゃー、ニンジンを発見したときに目をひんむくのやめろ。それれヤバいヤツの目だぜ。むふーむふーと鼻息があらい。いろいろと話かけるがニンジンしかいてなくて、ニンジンをよこせええ、の状態。しょうがないな、ほれほれ。ざくぎりにしたニンジンだががつがつたべる。他の人はもうちょっと細かくしているものをあげているようだけどオレは面倒くさくて三等分にしただけだ。ちょっと意地悪してたべたの? というと顔を近づけてきて鼻息でむふーむふーする。かわいい。全部あげちゃう。全部たべおわるとバイト厩舎員のお姉さんに引かれていきました。どなどな。あー、キモサベと一緒にいるが楽しい。でもお財布が軽くなっていく。悩ましい。

家に帰る。冷凍お惣菜で冷凍白飯の大量食い。午後はフリー。海に行くか、カラオケに行くか。診察にいくか。カラオケ、また来週行けば良い。今日は暑いし海も良さそう、だがちょっと乗馬で疲労感が残っている。やりたくないものからやる。診察か。前回から二週間経ったし、復職したしいくか。
また山を二つ越えていく。女縄市に抜けて戻ると獲得標高が四百メートル近く。ちょうど良い運動だ。行きはは追い込まない。だがギアが足りない。勾配一〇%超えでは心拍一七〇近くになる。フロントシングルがなあ。フロントを歯数を減らすか。この自転車だとトップスピード使わないしなあ。次回の定期点検でショップの人に聞いてみよう。まごころ癲狂院につくと患者が多め。これは一時間以上待ちだな。自立医療支援制度の新規申請を済ませたことを窓口にいうと、「申請の控え」がほしいとのこと。しまった、受給者証ができるまでは控えといわれていた。窓口の方は淡々と対応してくれる。では、こちらから我文町役場に確認しますが、大丈夫ですか? オレはもうしわけなくうなずく。「あと、すみません、マスクをわすれまして、受診できなですよね…」というと「マスクありますから」とマスクをいただけることに。医療関係者の方には今後のことも含めて一枚でも大事なはず。申し訳ない。甘えさせてもらう。まごころ癲狂院が山中にあることもあって、街にくだってマスクをかってここまで戻ってくるには相当骨がおれる。オレのせいなのでそうでしかるべきなんだが感謝しても感謝しきれない。
これまでの感じではまごころ癲狂院は内科の患者が多いイメージだったが、今日は精神科の患者が多いようだ。オレをちらちらみて遠くの席に移動するかた、ご両親と一緒に診察に来られた方。こんなに自然豊かな土地ならば健常でないという状況でも自分らしき生きられているといいなあとおもう。記述精神病理学的な仕草、相貌、盗み疑義した会話から何かを判断したくなることもある。でも歌穂がいっていたようにオレはそれをするのをやめた。オレや@liceがそう棲まいたいという世界と彼らがそう棲まいたいと思う世界は異なる。そしてどちらが優位ということもない。ただ、前者がより新しいアートのように見える。
うとうとしはじめる。一時間一〇分ほど経過していた。「kowasuhitoさん」名前がよばれると診察室に入る。なぜか今日はスイッチ全開、食木崎先生の眼球を凝視してやる、と意気込む。しかし目があわさるたびにぎゃーとなって、会話を考えているふりをして目線を泳がす。まだまだ、今度が本番だ。ぎゃーああああ、目が目がぁぁぁぁぁ、エクリの背表紙をみてやっぱりラカンはいいな、などと現実逃避するしかない。終始この試みは続けたが、目の奥の何かが見えないなにかでくすぐられているような不快感に耐えられなかった。でも一つ、経験を得た。先生も視線を絶えず動かしている。ずっと凝視する必要はないのだ。ではいつ、視線をそらしたらいいんだよ……
診察の内容は復職を積極的に支持します、引き続きやってください、わたしくの見立てではほぼ寛解期にはいっています。オレにはそれが見捨てられるようにも感じられる。転移しているのを知っていてそれを言うのならまあ大丈夫なのだろうという、オレが素人知識をつかった裏読みをする。その転移は社会や会社の働く部署、チームに移っていくのだろうと食木崎先生は確信をもてているようだった。オレはなんどもなんども、食い下がって復職後の失敗した場合のブランBの話をしたが肯定したあとには、大丈夫復職できる、というストーリーだてであった。個人的には完璧な回答だ。でも食木崎先生、なにか精神科医的な面白いこといってよというのはちょっとだけ思う。オレはダメな人間だからさあ。
食木崎先生はオレが話し出さないのを確認するまで話さない。そこは徹底している。膝と膝がぶつかるぐらいの近さで視線があっている。そこ状態で沈黙は一秒だってつらい。コンマ五秒あいたら心がざわめく。オレは我慢してみる。すると食木崎先生は雑談を始めた。名破市は何もなくてつまらないでしょう、移住してどうですか、と質問する。意外な質問。意味を考えている暇はない。オレは素直に回答する。とてもよいいし、馬も海も山も道も温泉も最高だと返答する。シュノーケリングしてるんですかと感心されて、釣りもよいですよと進められる。釣りもヤマシタさんに教えてもらおうと、来年には、と返す。ヤマシタさんは友人ですと答えると、意外そう。だよね、わかる。釣りってモチベーションがわからないじゃないですか、というと先生も同意した。でも先生も釣りが好きなんだ。なにか深いメッセージを感じる……。転移を利用した悪辣な治療だな。その治療を感じ取ったのでオレは先生を攻撃する。正しい患者のあり方だ。最近、飲酒量が制限できなくて。前のドクターは問題として捉えていた行動。食木崎先生は酒量をたずねてくる。休肝日を意識しているし多少飲んでもいいんじゃないですか、と答える。人にはそういうのも必要ですよという。これまでに聞いたことのない回答が返ってくる。薬も飲んでいるのでお酒は控えてください、が平均的な回答だし、否定的なニュアンスをだしたうえで多少は仕方ないという形になるのだけど、肯定してくるという荒技である。転移を利用された。これでオレは酒量をコントロールする制限をさせられてしまった。裁判に負けて治療に成功する事例じゃないか。なんだろう、この転移治療に役立つならこのまま転移しておこうとなってしまう。手のひらの上で踊らされている気分だ。しかし、こういった先生に巡り会えると嬉しくてもっと病気になりたくなるから不思議だ。疾病利得を痛切に感じる。詐欺師にあったらイチコロな気がしないでもないが。

診察がおわると薬局で薬を受け取る。自立医療支援制度によって支払金額は抑えられている。とても助かる。せっかくだから海をみて帰りたいとおもい寄り道をする。途中にとんかつ屋さんがある。食べたい。いまの時節なら、外食も気をつけていけばいいはず。時間がはやかったので店内は誰もいない。オレはとんかつ定食を頼む。とんかつ、オレが大好きで大好きでしょうがない、あの食べ物である。最後の晩餐はお刺身定食かとんかつ定食か、甲乙つけがたし。ソースたっぷりでいただくのが好き。まずは薄く全体にかける。そしてキャベツさんもソースをさらっとかける。キャベツをいただく。そうそうそう、とんかつやさんのキャベツはこうでなくてはいけない。オレは切ったばかりの生キャベツだと歯が「きゅーーーーっ」ってなってパニックに陥る。水に浸して、柔らかくなった千切りのキャベツことがとんかつ天国へ道をお膳立てするお野菜なのである。新鮮ならよいだろうとこのしんなりが足りないとんかつ屋さんのなんと多いことか。歯が「きゅーーーーーっ」ってならないのはこのぐらいにしんなりが大事だし、このしんなりはとんかつのさくっ、ふわっ、じゅわーの食感と非常に相性がいい。箸がとまらずに一気に食べきってしまう。白飯がたりなくなってしまう貧乏性が発生してしまったが、次回の改善ポイントとして大盛りを注文しよう。とんかつはそもそもけっこう、値がはるものだが満足度としては納得。またこよう。退店。

もう夕暮れ。家にかえる。山を二つこえる。とんかつがエネルギー源となってペダルを回す。あえて視線を遠くにうつす。山の木々が立体視されこくいっこくと形を変える。風が吹くと木々がざわめく。おちかけた陽が山の間から差し込んで綺麗に照らす。久しぶりに色を感じた。

家に帰るとへとへと。風呂に入って汗を流す。今日は人に会いっぱなしの日々だった。倦怠感はないしオレが感じている倦怠感がでてこなかった。自己が立ち上がっていたらなんともないとすれば、オレの部屋はおれの棺桶じゃないか。そしてこの冗談がなんか冗談じゃなくてなにか考える余地がありそうな意味がありそうじゃないか。オレってなんなんだよ。誰かおしてくれ。あやならしってるだろう。