kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

7月3日(金)

喉に少し違和感がある。寝る前に食べたりお酒飲んだりして胃と食道がやられたかもしれない。仕事でストレスが増えたことで回復力も落ちているのかもしれない。休職前の荒れた生活のときには酒焼けするぐらい飲んでいたので悪い兆候だ。自己診断を終えてアラームスヌーズとの百年戦争となる。百年にもおよぶような戦いに思えたが実際には一時間以内に集結する。
朝の儀式を終わらせる。食器洗いを一番最初にやる。これを一番最初にするとあとの儀式は気持ちよくできる。先日、四ヶ月ぶり体重をはかると六キロも増えていた。運動せねば。Zwift でゆるく運動する。三倍足らずで三十分、汗を流す。冷たい汗がながれる。体調がよくないようだ。右目の奥に小石があってそれが頭痛の元になっている。頭痛とはめずらしい。全裸になって汗をタオルで拭く。汗が引くと仕事用の短パン、Tシャツに着替えて仕事を始める。

Slack の未読メッセージをさくっと消化する。みんなのポエムがつまらない。個人としての存在と東豊算法技研社員としてのオレの存在を比べたときに、あまりにも社員としての存在が軽すぎることに嘆いているのはオレだけである。オレのはポエムではなく上司にかくれて悪態と愚痴をぶちまける一番たちの悪い屑野郎だろ、あやが突っ込む。なにをいうか共犯ではないか。あやはニヤニヤ笑う。性格がわるい。デイリースタンドアップはオンライン開催。あやはカメラに映らないところにさっと引っ込む。笹野マネージャーが進行する。メンバーの進捗と今日のタスクを報告する。どのようにそれをやるか、今日はどこまでできそうかを笹野マネージャーが聞く。それを聞いている立場に何を期待しているのか? とりあえずキャッチアップしておけという程度のモチベーションの情報はどうせ忘れてしまう。オンライン会議の空気も殺伐としている。現実逃避のためにどうしてこういう体制になったのかなと考える。スクラムのいろはは知っていてもスクラムをなぜやめたのだろう。この方法で働くのがこまっていないのか? 働きやすいと思っているのか? 自分がどのように働きたいかを表明する場がないのだろうか、なぜ何もかも萎縮してしまったのだろうか。考えているとオレはそんな人間になりたくないと思い始める。デイリースタンドアップのシメに自由に意見を述べるタイミングで心臓をバクバクさせながらいう。自己が起動しない。あー、うー、あー、うー、あー。五秒ほど発話することで自分の声が聞こえる。自己の起動をサポートしてくれる。オレは復職直後は笹野マネージャー預かりで働いているので、このデイリースタンドアップに毎日でる必要ないと思う、報告内容を聞いても何もキャッチアップしてないので意味がない、と言う。思い切ったことをいうと嫌われるので、画面越しでのメンバーの表情は見たくない。目を伏せる。笹野マネージャーはまあ、でておいてもらえればという。一日のはじめに雑談するために来るという意味でいいとのことなので了承する。
残りの時間は休職期間のアップデートの差分コードリーディング。粛々とプロダクトの機能開発、バグフィックスを進めている。粛々という感じ。滝山が主導しているRMIチームは、リファクタリングもしながら機能開発をすすめている。リファクタリングの量はすくないものの少ないメンバーのなかでリファクタリングを選択しているのはチームとしての意思を感じて好感がもてる。それぞれみんないろんな働き方をしているし、開発部全体としての指針もない。将来性の低い烏合の衆として働くのはつらい。自分の目標を下方修正する。課題解決のプロセス自体に注目しながら自分がタスクを順当にこなしていけるかどうか、体力、集中力の観点で観察する。頭がいたい。時短勤務の定時。捨てポエムをなげて退勤する。

疲労感と頭痛、布団に横になる。頭がもんもんとする。三十分ほどして眠りにおちる。起きると六時すぎ。頭痛が消えない。レトルトカレーを食べる。うまいが味がしない。風呂にはいってぼんやりする。今日はエクリプスの打ち合わせがある。企画会議か。オレはシナリオの企画をうまく考えられないので少し気が重い。自由に面白い話を考えてくださいといわれると頭が真っ白になってしまう。ロックの少ない人生を送ってきました。言いたいことなら大概なんでも言っていい世の中なのにね。おまけにオナニーネタすら思いつかないのは生物としての危機を感じる。人類のリビドーは枯渇しました。現実を受け入れたくないので、目をそらしたくなる。赤毛のアンでも読んで空想癖を思い出すのも良いかもしれない。小公女セイラのように空想しなくても自分を律することができるようになってしまった。または空想を介して伝えたいことはなくなった。本当にしんそこいろんな事にがっかりしてしまった。そしてその上いま自己愛すら希薄になっていくというのか。存在していないのと同じだ。それなら今年中に死のう、来月には死のう、明日には死のう、今日死のうとおもっているうつ病患者のほうがどれだけ人間らしいことか。いけない、つまらないことで深刻になってしまった。オレにはどうせ何もできない。
ミーティングはお酒でものんでリラックスして進めたいところだが、調子がわるいので白湯を飲んでコンディションを維持する。河合さん、行方さんの案は作品性が異なっていて面白い。コアのなる関係性を中心におくか、世界を中心におくか。前者はいわゆる近代ノベルゲームのあらすじとなる。後者は精緻に配置さえれ箱庭のオブジェクトと人が弱い結びつきがあり、時間軸にそって動的に変化していくカオスが潜んでいる。個人的な好き嫌いで語らず我々が作るべきものはなにかという前提で議論する。単に消費するだけでは好きか嫌いを考えていればいい。作るとなればそうはいかない。いずれにせよ、わたしたちは人を書かなければならない。その人のパーソナリティとどのような世界に棲まうかこそが人をえがくために必須であり、それ以外の装置はすべて神みたいなものだ。後者は作り物だが前者はある特定の人しかできないのではないかと思う。@lice が気が違っていたように。でも挑戦すべきはそこで、後者ではない気がする。議論の中でオレは頭を悩める。答えに向かう指針、確信はなにもない。
オレの就寝時間だ、河合さんが時間を気にしてくれる。議論はまとまらなかったので来週もういちど深掘りすることとした。なにかいろいろと考えたほうがよいことがありそうで、なにかメモっておきたい気もするがきっぱり諦める。頭の回転をじょじょに落とす。薬を飲んで寝る。