kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

7月14日(火)

スヌーズと戦う。やはり酒を飲みすぎた朝はつらい。うつ特有のけだるさは抜けてきた。とってかわるように酒によるけだるさが残る。睡眠の質も悪くなるし、悪心も残るし。それでもうつのけだるさよりはだいぶマシだ。

朝一で出勤。なんとしてもフルタイムで働いて生活品質をもとに戻すのだ。うつはなくなったと産業医の先生に自信満々にいう準備はできている。新型コロナウイルス対策のリモートサポート機能の追加プロジェクトのふりかえりのアジェンダを考える。参加メンバーには暗黙の期待をかけざるを得ない。なんの想定もしなければアジェンダも作れない。ただ、過剰な期待で疲弊しないように消極的アジェンダを心がける。必須なのは彼らがふりかえりから、アクションを導きだせること。ほんとうは「ふりかえりのやり方」についても気づきを得て欲しいがたぶん無理だ。でも期待したい。このプロジェクトメンバーのふりかえりをうまくかせるとオレがこのグループの単一障害点になってしまう。だからオレが抜けてもまわる未来のためにふりかえりを俯瞰的に見られるメンバーが必要だ。だから、無理だといったものを無理にやろうとするのは自己が分裂している。オレは諦める。この未知のふりかえりでおこる相互作用はやってみないとわからない。過度に楽観的だったり悲観できであったりしても意味がない。まず、やってみることだ。
オレは典型的なふりかえりのアジェンダをつくる。メンバーのことも知らない。プロジェクトの細部についても知らない。典型的なアジェンダとアクティビティを用意し、必要に応じてカスタマイズするしかない。そのへんの引き出しはいくつかあるし、RMI チームでもなんどかやってきた。個人的には満足できるアジェンダができたが、十四歳児がでてくる。突然、なんでオレこれやっているのかな、などとすね始める。あやがオレの背中のレバーを操作していたずらしているのかと思ったがあやはいない。オレはときどき誰かが褒めてくれないとやる気を失う。甘やかされて育てられてしまったのだろう。腕にためらい傷でもつくって、褒めてくれなきゃヤダヤダとだだをこねるのが本当に好きだからなあ。オレは根が悪い人間だからなあ。にやにや。
アジェンダはふりかえりメンバーに共有して、明日のふりかえりにむけて気持ちを高めておいてもらう。Slack のリアクションもなく、オレにまかせておけばいい、という雰囲気がぷんぷんする。それか、オレが威圧的すぎてリアクションもでないのだろうか。十四歳児でてチャットにイライラがでてしまったかもしれない。うーむ。社会不適合者というのがオレの長所なのに。不適合だからコミュニケーションは丁寧にやってきた。ちょっとしたイライラで破綻させるとは情けない。

なんとか仕事は定時であがる。今日は「第一回去人たちオンライン飲み会」開催。お酒と肴の調達をしてこなければ。行方さんを含めた古参メンバー三名。オレは酒が飲めれば良いのだけど、行方さんはお酒のめないしなあ。小雨がちらつくなかハイパーマートにいく。野菜サラダ、ポテサラ、おにぎり、白ワイン。デザートに甘い物を物色したが今日の気分のものは見つからず。安定のホワイトロリータでしのぐ。レジ袋を一枚。大きいのよいですかと聞かれるのでうなずく。大きいの以外はどういうサイズがあるのかも知らない。ゴミ箱にはめるやつは大でこまらない。
家に帰って、少し執筆作業。さすがにお酒とポテサラを食べるとなると罪悪がある。Zwift で一時間ほどペダルを回す。サボっていたせいでお腹も足もポヨポヨ。最後の五分だけ本気で踏んで醜体恐怖感を忘れる。汗が噴き出る。心拍一九〇。太ももから力が抜けてくる。歯を食いしばる。ハンドルにしがみつく。目をつむる。回す回す。ビンディングと足の裏とクランク。チェーンのリンクが移動すら感じられる。耳鳴りがする。死んだ。自転車を降りてへたばる。クールダウンしないといけないんだけど、追い込み過ぎた。
風呂に入る。今日はぬるめ。助かる。半身浴をする。世界に薄いノイズがかかっている。天井を見上げる。知らない天井だ。死んだ、多分オレは地縛霊なのかもしれない。
風呂をでて「第一回去人たちオンライン飲み会」の準備をする。ヘトヘトで脚がうごかない。喉がやたらにかわく。薄い貧乏シャンパンを作ってごくごく一杯飲む。これ炭酸水だ。いや、アルコールは入っている、調子にのって飲み過ぎないよう。用意に手間取っているうちに「第一回去人たちオンライン飲み会」の時間。初見の方と話すのは緊張する。行方さんとべんざカバーさんとオレ。自己紹介で名乗りを上げると去人たちの話をする。歴史、当時の社会背景、アニメ。去人たちの歴史、DXライブラリ版、yaneSDK版、yaneSDKD言語版、yanesSDKC#版、吉里吉里版、ティラノスクリプト版。オレはなんという人生を送ってきたのあろう。もっと何かを為し得たのではないだろうか。がっかりしてしまう。去人たち二十年の歴史においてべんざさんは後発組なのでそのへんの歴史には興味があるよう。そんな後発なのにどうして去人たちに興味をもってしまったのか、オレは本当に気の毒でしようがない。@lice と去人たちの執筆の歴史、kow@suhito の ゲーム遍歴、性癖、死にたがり病の歴史。一方で、べんざさんや行方さんの去人たちの到達への歴史を聞く。なぜ、人はどうかしているゲームという評判をききつけるとダウンロードしてしまうのか。巨大掲示板は罪深い。去人たちは対象年齢一二歳までと謳っていたはずに、一二歳を過ぎた子どもたちの手に渡ってしまった。悲劇のはじまりである。オレは行方さんやべんざさんのプレイ体験を聞いて心を痛める。原爆投下を聞いたマンハッタン計画の科学者たちも同じ気持ちであっただろう。べんざさんは精神病理の知識がふんだんにあるようで、去人たちⅡはラカンを意識しているのかという質問があった。@lice の二階の部屋。八畳間。窓のとなりの書棚を思い出す。大江健三郎筒井康隆がある、但野教授、虚構船団。下段、ジャックラカン伝があったような気がするし、なかった気がする。論理学入門、ロラン・バルト東京大学物語最終兵器彼女……ラカンねえ。思い出せない。でもオレたちはラカンの話はあまりしなかったような気がする。でも @lice がラカンを意識したかどうかはわからない。意識してもいいししなくてもいい。オレ個人にとっては去人たちⅡは正しく理解することを拒否する形式を徹底的にやる信念と結果としてできた超越した形式美ではないかと考えている。これは想像でしかないけれど。これについてはオレは去人たちのなかでしか応答しえない非常に個人的な問題と捉えている。そういった意味では応答できてないが。選択肢のないゲームで複数の他者を巻き込み世界を描きだすやり方としてオレは理解した。あんなの命を削る、やめたほうがいい。べんざさんは、ラカンの観点による去人の解釈を試みていたのか、うーんとうなる。作者は意識せずとも世界を構築する。動物的ポストモダンにって、ある視点のモデルを見つければそこから発展していく。ループものも同様だった。正しい解釈ではなく、多様な解釈の可能性やその受容のあり方を含めた無限の空間、時間はテクスト作品を楽しむ上の極致といえる。テクストの快楽。ふしぎの国のアリスを読む度にはオレは発見をしている。きっとそのぐらいでいいのだ。
二時間はあっという間。おしゃべりに夢中であまりお酒が進んでいない。健全な生活の助けになる。人とコミュニケーションをとって人間らしくあり、文化的にいつもよりは高みにいる。また来月開催しましょうということで終了。
去人たちってなんなんだろう。オレは本当にそれを作ったのだろうか。オレジャナイ誰かがつくったような気がする。二十四時近い。仕事があるので寝ないとな。でも日記のメモでも書いておかないと。お酒を追加しながら少し執筆作業をする。
気がつくと二五時を回っている。結局お酒も飲み過ぎである。アル中まっしぐらだ。明日起きられるだろうか。

薬を飲んで寝る。