kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

7月22日(水)

今日も目覚めはよい。たまたまかと思ったが、ここまでくればやはり寛解期といっていのだろう。ただ、憂鬱なことに変わりはない。灰色で、ここは安全地帯で、死のうとは思わないが生きる目標もない。贅沢病と揶揄されてもかまわないが、放置すればいずれ死に至る。何か目標をもとう。そうだ、今日こそ仕事おわりにタンブルウィードに行くんだ。早朝に電話して予約を取ろうとする。しかし夕方は難しいと断られてしまう。馬たちが夕方になるとご飯時とわかってしまってレッスンに付き合ってくれないそうだ。なんだよ、こないだまではいいっていってたじゃん、と思う。がっかりして電話をきる。今日定時で上がる目標がなくなってしまってがっくり。ちょっとぐらいなんとかならないかなあなどと頭のなかでごねてみる。でもよく考えてみると、タンブルウィードはお馬ファーストが一番の特色だ。馬にどれだけストレスをかけないようにするかというのを女将さんがなんども語っていたことを思い出す。乗馬経験者がここにくると馬がおとなしいので驚くらしい。あー、一瞬でもごねようと考えていてオレがはずかしい。きちんと強いポリシーをもった上でのことだった。

恥じ入りながら仕事を開始する。やる気をなくして、Slackの未読を読みながらヨーグルトを食べる。皿を洗おうが洗うまいが、毛布とたたもうがたたむまいが生きてる目標は変わらない。はあ、生きるのめんどくさい。ほんの少しだけコードを書く。なんでもない作業。ただプロダクションコードを変更するのが久しぶりすぎて感動すら覚える。数行の小さなプルリクエストをつくる。RMIチームの期待のずっと新人新人女子、浦野さんにレビューをお願いする。新卒三年目だが新卒が入ってこないばっかりにずっと新人。ただ誰よりもモチベーションが高いし、小さな事でも目を輝かせて取り組むから周りからの好感度はピカイチである。裏では転職活動したとしていても、まったく驚かないほどの貪欲な知識吸収力を持っている。
午後から新型コロナウイルスの対策プロジェクトのふりかえりのリードをやる。イベントごとの感情データや実際に起こった困ったことの関連性をメンバー読み解く。ワークショップによって自分の意識だけの理解だったものが他者の理解と折り合わせることで新しい知見がうまれてくる。発言に消極的なメンバーたちだがオレが励ます形で発言を引きだす。ぐいぐい沓掛さんとプロジェクトマネージャーへの遠慮と。さまざまな思惑があるのだろうが。リモートチームで心理的安全性を向上させるのは難しい。オフィスで協働していると、それだけで働いている姿や他の人との接し方などを見られる。その情報はその人の人となりを知ることの助けになる。リモートではその情報すらない。人となりを知らないことはコミュニケーションを阻害する。メンバーはプロジェクトの課題をコミュニケーション不足によるものだと仮説をたてる。その対策としてスクラムの導入というアクションをまとめる。でもなぜ、スクラム開発なのかについては答えられない。もう何年も前からスクラムがもてはやされてなんとなく導入されてきた。でも、なぜスクラムなのかはあまり答えられる人がいない。スクラムという響きがいかにも日本人好みの一体感を表現しているからだろうとオレは思っている。オレの理解ではソフトウェア開発という社会的で複雑かつ不確実なアクティビティに対処するための基本的なフレームワークである。ルーチンワークスクラムを導入する必要はないし、完結したタスクを粛々とやる人々があつまる部署でも不必要だ。そうはいっても、オレもスクラムは適当にやってきたしアジャイルサムライすら読んだことはない。スクラムの発想はシンプル。だからそのWHYを理解していれば応用することはできる。オレは彼らに問う、ではどのようにスクラムを導入しますか。スクラムしらないので、スクラムマスターが欲しいという話しになる。スクラムを習得したいという人が多いがスクラムを知っている人はない。結局オレがやることになる。引き受けたくはないが、半死人のオレは社内で居場所がない。居場所が欲しいのでつらい選択。このチームが次のプロジェクトで何かスクラムの収穫をえてくれるだろうか。スクラムメンバーとしては多すぎる。パーソナリティもユニークで、スキルもバラバラ。共通点はプロジェクトにメンバーになったというだけ。全部はできない、スクラムのなにかエッセンスだけに絞らなければならないだろう。とすれば、ふりかえりだろう。プロジェクトがどうなろうとオレはかまわない。ただ、ふりかえりから成果を感じてもらうこと、関係性の改善を感じてもらうこと、そこだろう。
仕事を終える。疲れた。頭が過活動になっている。強烈な倦怠感。横になる。

二十一時からエクリプスの打ち合わせ。なにかファシリテートばかりしている。憂鬱すぎて吐きそうになるがお酒を飲んで気合いですすめる。企画会議、どのようなプロットにするかを勧める。こちらはメンバーの河合さん、行方さんともにモチベーションが違うのでリードは最小限ですむ。その分、自分も議論に参加へエネルギーを注ぐことができる。議論に参加するのは楽しい。リビドーの枯渇をお酒で代替しながら議論を続ける。熱意だけではなく深い洞察から作りたいもの正体を浮き彫りにする協働作業。ノベルゲームでどこまで行けるのだろう、と思う。テキスト、画、音楽……原始的だからこそ時代をこえて普遍的な要素はある。でもオレは錬金術師ではない。それら組み合わされたものの以上の何かをつくれるわけではない。一つ一つを磨くことがまずは必要だろう。死ぬほど時間をかけたからといっていいテキストはできない。フォーマルな場ではあまり好まれない考えだが、読書量や個人的な体験がテキストの一部を構成するとオレは思っている。こういうことを言うといつも誰かに嗤われる気がするが、誰かに強制しているわけではない、個人がそう思う分にはかまわないだろう。テクストに個人史は不要、とすればそれはそれで別にかまわない。でもオレがそれを歓迎するのは読者が自由である場合においてだ。まあいい。細かいことは去人たちをみよ。@lice が何かを試したような気がする。
エクリプスは企画に時間がかかっている。河合さんも行方さんも遅れは理解している。オレは死んだも同然の時間を過ごしている。計画通りでないという課題を機械的に問題に感じる。創作を完成させるということを最優先においているプロジェクトだ、当然だと思う。ノベルゲームというプロダクトを完成させるのはそれほど難しくない。ノーコードの時代だ、サードパーティー製のマルチプラットフォーム開発環境もある。なんの根拠もないが最低限なら技術的にはなんとかなる。個人的には妥協した結果、たいした手応えのないものを作り続けるとして、モチベーションを維持できるかが気になる。フリーゲームになろうがカンパウェアになろうがペイできるものを作っていない。作ることで何かを得、作ったものから何かを得る、それができたら最高だ。両方がとれないとするなら、オレは作ることで何かを得たい。ただ作ることと、作って完成させることはオナニーとセックスぐらい違う。まったく別物とといっていい。そしてオナニーのためのオナニーなのか、セックスのためのオナニーなのか。これもそれぞれ意味が異なる。そしてどちらが正しいというわけではない。ただエクリプスにおいてはセックスであり、オナニーもそこに向けた準備運動のプロセスとして捉えなければならない、ということだろう。
エネルギーをすべて放出してミーティングを終える。

クタクタ。眠いし倦怠感もひどい。でも頭は回っている。熱燗とつける。松前漬けでのんびり飲む。薬を飲んで寝る。