kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

7月23日(木)

休みか、十時に覚醒する。倦怠感。うつ性の倦怠感が混じっている気がする。違いは胸部全体の気づきにくい圧迫感。自然とため息が漏れる。起きて、シリアルを食べる。圧迫感が背中の肩甲骨の中心線にまで及ぶ。ああ、これはよくないうつ性の倦怠感である。朝のルーチンワークもする気がしない。気合いを出すという発想はあるが、それをすぐに諦める。エネルギーはたぶんある、問題は、そこに希望がない。それをやったからといって何がよくなるのか。なにもかもがどうでもいい、なにもかもが面倒くさい。布団に横になる。
二十時。長い間寝ていた。意識が飛んでいた間、オレは楽だった。起きると直ぐに面倒くさいすべてがのしかかってくる。生理的欲求を満足させるためのすべて。面倒くさい。長い排尿、水を飲む。お湯を湧かして麺を茹で冷やし中華を食べる。ネットニュースをみながら世界と同期する。新型コロナウイルス関連のニュース。経済と死者のバランスを試してみようという思惑が失敗している。不確実性については小さく俊敏に試す必要がある。それをやるためには全体最適が前提となる。不確実性を理解しながら、大きな施策を拙速に試そうと検証を開始しそれを部分最適しかできていない社会に指示する。そんなつもりはなかったのに、と全員が思っているだろう。そこに悪意がないのがむしろ呆然とする。
きつい。寝て意識を飛ばしたい。でも寝たらもっと悪化することを知っている。あやが無理せず休んだほうがいいよとにやにやと笑っている。オレは目をそらして外をみる。暗い。新月、それかそこに近いのだろう。自転車に乗ろう。ナイトライドをしたくて田舎に来たのにあまりしてない。この暗さならアドベンチャー感も満載だ。期待は気合いを呼び出す。着替えてボトルに水を用意。自転車をこぎ出す。
点々と街灯が連なる通りを進む。風はほとんどない。湿度は高い。照らされたライトはうっすらと円錐形に靄を捉えている。チェーンの音、虫の声、水路の水の音、夜の信号。人家がなくなると街灯もなくなる。海沿いの山道。電灯のないトンネルを抜けると別の世界に来た気がする。異様な空気、虫の声の静けさ、うっすらとした靄。坂を登るオレは不思議な感覚。何度も走ったのに今までに来たことがない道に思える。オレの身体に脚が生える。自転車にはペダルがつく。手が生えてきて、自転車にハンドルがつく。ダンシングで坂をのぼる。喉と肺が生まれる。呼吸ができるようになる。身体をもって世界とつながりながら生きていると感じる。暗闇の谷沿いの道は異様で不気味に感じるがオレが正しくそこに居れる場所。岬にでると小休止。海には小さな灯りが点々としている。ああ、やっと一人きりになれた。満足する。岬の先が崖になっていても飛び出したいと思わない。オレは部屋にいる限りに安全地帯で守られている。でも部屋に守られていたわけではなかった。あやがオレを守っていた。たった一人の部屋はいつも二人きりだった。狭い部屋で気がつかないうちに場所を取り合い、互いに主導権をとろうとし、プライベートをつくろうと互いに隠れ合い、互いに相手の秘密を暴き合っている。オレはそれに疲れて一人になりたいと感じていたんだと気づく。オレは本当に一人っきりにならなきゃならない。オレだけが使える誰にも盗聴されない耳と、誰にも盗撮されない目を取り戻さなきゃならない。帰り道、コンビニでポテトチップスを買って帰る。
部屋にもどると誰も居ない部屋に向けてただいまという。あやがおかえりと迎えてくれる。汗だくの服を洗濯し風呂に入る。このまえお手入れしたデリケートのおけけの伸びがすごい。陰茎が埋もれてしまって何も見えない。この状態ではライド時によくないことがおこる。またお手入れしなければ。誰も居ない共同浴場でぶつぶつと独り言をいう。一人っきりになったときの開放感を忘れられず、また一人を感じたい。でもそうはうまくいかない。仕方なく黙って湯に浸かる。湯は気持ちいい。
湯上がりにホームランバーを食べる。ハイボールをつくって少しだけ執筆作業をする。あえてあやに声をかける。なんなら添削してもいいんだぜ、というが、よくわかんないといってポテトチップスをたべながらKindleで本をよんでいる。というか、そのポテトチップスはオレが買ってきたヤツじゃないか。ため息が漏れる。明日の予定はない。今日のように死にたい一日になるだろう。でもどうしようもない。

薬をのんでねる。