kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

8月4日(火)

仕事で我慢した日はお酒飲みすぎ問題が多発している。仕事でがんばって疲れたわけではない。ただ、嫌なところをぐっと抑えて、それが組織の一員として正しいとわかっているが、個人的には納得できないことをするときに、オレは適応できないらしい。でも、それは多くの人々が割り切ってできている。なぜオレはできないのだろう。仮説を立てる。オレは一貫した世界を生きている、ということはないか。逆に。いわゆる分人といわれるようなコンテキストスイッチをうまくやることが「社会的適応」と呼ばれているのではないかという仮説だ。仕事を仕事と割り切る、というのは代理パーソナリティやイマジナリーコンパニオンではないだろうか。公私混同しない、といったときに人はどこで「分別」をしているだろう。自意識が強ければ強いほど分別は明確な意識レイヤーで処理される。かりに代理パーソナリティがいるとすれば、スイッチすればあとは無自覚に正しく処理される。オレが仕事を始める前に植木等を憑依させると問題は解決かもしれない。そうそう、無責任艦長タイラー面白かったもんね。

二日酔いではないのでまだ酒量は破綻までいっていない。だがこのまま対策を講じなければ時間の問題。うつ性の倦怠感と飲み過ぎの倦怠感を抱えて仕事を開始する。Slack の未読消化をする。朝早く勤務開始すると新規メッセージがなく、心移りせず自分が判断が必要かどうかを落ち着いて判断しながら消化しやすい。それが終わると、カレンダーを確認して今日のイベントを確認して、今日の仕事のリズムを確認する。スクラムマスターとして担当しているプロジェクトチームのドラッカー風エクササイズの準備をする。スクラムどころかアジャイルの概念が浸透していない組織だ、スプリントプランニングですら紛糾した。HRT原則のためのドラッカー風エクササイズももちろん成功循環モデルを使うために大事だが、直近のプロジェクトタスクのなかでどんどんメンバー間の断絶を生んでいる状況を改善しなければならないのではないかと考える。心理的安全性は大事で急ぎ、現状のタスク進捗におけるコミュニケーションミスは大事で大至急。これをドラッカー風エクササイズ形式ばったエクササイズで公平、比較的に安全に議論したい。自分が何を期待されて、どこまで任されているかをはっきりさせて、メンバー内、POとのコミュニケーションロスを防ぎたい。間違っているとか、不快に思われるのを怖がって何も言えなくって居るチームメンバーに発言をつながして認識の差異に気づいてもらうチャンスにしたい。
オレはアジェンダをつくる。オレはドキュメンテーションが下手だ。どうしても些末なことまで網羅したくなる。本質じゃないけど自分が苦労していること。馬鹿らしいけどこんなことで苦労しているんだとどうしても伝えたいのだろう。メンヘラの悪いところだ。ドキュメントは読みやすさ、不偏さ(=変更の少なさ)は大事な因子だ。詳細な How や一時的な How を怒り狂って書き連ねるのは勇気がない。書かない勇気はそこだ。逆に白紙の頭の新人がきたときに知って欲しいのは WHY でありいまの How に正しい疑問をもってもらうことが大事だし、お叱りをうけてしかるべきだ。ドキュメントで言い訳して時間をかけている場合ではない。「ただし」「現時点では」と書きたくなったら書かない。
アジェンダが書き終わったあと、オレはこのプロジェクトのスクラムマスターのしんどさを感じ始める。リソース的にあいているメンバーが集められたメンバーたち、チームとなる蓋然性はなくたまたまそこに居合わせたエンジニアたち、価値観も行動様式も異なる。可能であれば、エンジニア個人のWHYが近しい人たちが集まっていて欲しいが、変化が激しいこの業界でそんなことをいってはいられない。とはいっても当社全体のミッションやビジョンにある程度は共感する何かがあってほしい。贅沢はいわない、少しで良い。正直、どういおうとエンジニアは生きるために、成長するため、自分のスキルが活かせる少しでも多い報酬を支払ってくれるスポンサーを探しているだけだ。それらはトレードオフで働いてみても良さそう、働いてもらった当社によい成果をもたらしそうというお互いの利害が一致したところで働くだけだ。合わなければ辞めるだけ。でも、この利害関係を考えられる人は少ない。従業員を企業のために活動すると決めてしまえば、その人は活きない。採用するときに活きるポジションを考慮するのが互いが幸せになる方法だ。採用する側が求職者に期待することと、求職者が入社後に望むポジション、キャリアパスのズレが大きければお断りする。その点、うちの会社はまだ試行錯誤だ。技術偏重は不安の証拠だろう。技術さえあればなんとかなるだろう。いや、スタートアップ企業なのだから、出来る人、ではなくて投資できる時期でもある。ポテンシャル採用を重視すべきだ、オレはそう思っている。離職率が高くてもいい、あくまでもビジネスの点で興味を失うという意味で。エンジニアがスケールする体制を構築しビジネスチームがいまのビジネスをスケールしてもらえればいい。
定時で仕事を終える。

仕事終わりで頭が切り替わらない。間違ってスマホで Slack を見てしまう。いけない、と思いすぐにログアウトする。自転車で伊花多ヶ浜に向かう。夕暮れ。まだ空気は熱気と湿度を抱えている。夏本番というところだろう。日暮れからが自転車の楽しみの時間だ。出勤時間をずらすがの良いかもしれない。十七時あたりに退勤して、十八時ぐらいからライドすると気温的にちょうどいいかもしれない。夕闇にライドは本当に癒やされるし。だれかオレの私生活にアジャイルコーチを入れて欲しい。なぜオレが活きているか、活きていて楽しいことは何かのWHYから一緒に問い直したいんだよね。あや、お前はダメだ。お前は扇動家じゃないか。そのてへぺろをやめなさい。海辺は日暮れにもかかわらず海水浴客がまだいる。海の家、海水浴客、潮の匂い……でもなぜかぜんぜん風情を感じない。見ていても心が癒やされない。コロナのはなしとリア充の話が混じるかも知れない、結局オレはそれを自然に受け入れられなかったということらしい。人混みが苦手。

家にかえって風呂に入る。なぜか風呂も今日は先客が多く四人。共同浴場で狭くはないし四人が多すぎるとは思わない。ただいつもが少ない分、窮屈だとは思う。ストレッチで身体をほぐして早々にあがる。

今日は買い物もしなかったので冷凍食品をやっつけておこうとおもう。冷凍庫のスペースを空けたあとに一気に買いだめ。冷凍お肉を大量に焼いて燃やし炒めを作る。中華だしでもやし炒めを作る。お肉は濃厚なエバラソースで煮詰めた状態にしてもやし炒めとからめる。ごはんにも合う濃い味だが、濃い味なのでお酒にもあう。ハイボールなんかは最適である。お酒を飲む。ハイボール
執筆作業をする。日記文学は好きじゃない。「朝のガスパール」がどうもうまく読めなかったという事例もたった一つの偏見ではある。いっぽうで日本が私小説というジャンルがあるぐらいに「私」に対して寛容、受容しやすい文化であると認識している。オレはこの日記が「誰かに読まれる可能性があるもの」と認識するか、この日記は「オレがオレのために書いた日記」として残すべきか? 直ぐには答えられない。恐怖。オレはこれをどのように書いているのだろうか? 世界が滅びれば良い、今にも、と本心でオレが思っているときにそんなことを書けないだろう。誰かに読まれる可能性があるときに、オレはきっとそれを許容しないと思う。とくに「読まれる可能性」などという荒唐無稽な想定をしてしまえば、極端な話、オレ以外の、オレが死んだあとも含むすべての人たちとなってしまう。永遠の未来に責任を持て、といわれるときに、責任をもつための方法は、今この時点においては、という前提をつくることだ。オレたちが日本書紀が書かれた時点においては、とか竹取物語が書かれた時点の文化では、という前置きで考えるのと似ている。オレは何をも書かないべきだと、思う。未来において過去のがこうであったろうという想定は正しく行われる可能性は担保されていない。その上で誤解を恐れずに書くというのはリスクが高すぎる。
リスク? それはあなたが死んだあとのことの話?
そう。だがその一方でその「仮の思考段階」に捕らわれたくない。フロイドが「夢の理論」についてそういったように。
わからない。おれはあやを睨む。パフォーマンスとして。あやは笑う。パフォーマンスとして。OK、状況は大局的に理解されたとオレは認識した。

明日は会社を休もう。疲れた。仕事を終わって、自己と仕事を関連させて日記を書いたのだ。明日は体調不良でお休みも仕方ないだろう。むしろ労働として対価を払って欲しいぐらいだ(うそ)。

薬をのんでねる。