去人たちを作れなくなったうつ病プログラマーの地方生活日記

創作に絶望すると、世界が反転した日記

9月7日(月)

いやなことがあると、忘れようとして仕事をしてしまう。そして土日はいつものようにずっと寝ているる。傷口をほじくり返されているみたいな不快感。自分を責めるのは得意。しかも必要以上に責めるのが得意。遺伝的素因、環境的素因がどうあれ、生まれてきてすみません、という無意識の前提は変わらない。誰かに許されようと、認められようと、ある時点において均衡が保たれるだけで、ただそこにいるだけのオレはつねに生まれてきてすみません。力と力で均衡し緊張感を持った水平は、いずれ無秩序になる。エントロピーの法則とはそういうことだ。生まれてきてすみません、でもそれが自然なことなのだからと受け入れるほかない。

今日も仕事に打ち込む。土日で脳細胞は死んでいる。コーヒーを飲んで無理矢理まわす。社内勉強会の資料をもくもくと作っていたがやっとできあがる。成長のための投資ができる環境にいるなんて奇跡だ。もちろん快く思っていない人もいるだろう。でも、今の会社に飼い殺しにされるぐらいなら叱られて解雇されてもいい。いま、会社の価値は社員に成長できる環境を用意できるかである。会社としてはその社員の成長を通じてビジネスを成長させられるかどうか、という基準で採用を進めている。気づきを得てプロセスを変えられるスキル、環境の変化に応じて自分を変えることでチームを成長させることができる人材がもっとも大事だ。正しいことがいくつもある、あるいはほとんどない複雑な現実界において、変化を受け入れられなければ中長期的には価値を生み出せない。
昔までは組織を作る人はハードウェアと考えられていた。与えられたモデルを達成するために高スループットをたたき出す性能が評価された。組織は一種の超精密集積回路を作ろうとしていた。しかし、勝ち筋のモデルがコロコロと変わるようになった現在、人がハードウェアであると仮説検証型のモデルのボトルネックになってきた。そこで人がソフトウェア化が求められるようになる。環境を正しく理解し、柔軟に変わることが出来る人材だ。そのためには自分を「わかる」必要があり、世界を「わかる」必要がある。そして「わかる」ということを「わかる」のはとても難しいという前提を知っていなければならない。オレもよくはからない。ただ存在と時間は分厚いからきっと難しいことがあるんだろうということぐらいは分かっている。
会社の勉強会が終わると一段落。むしろ次は何をやるんだっけ。コードも書かずにこんなことをしていたらまたどやされる。運用保守。運用保守。明日のためにバグフィックス対応の予定をいれて退勤する。

仕事をあがったがやることはない。虚無。生きるのめんどうだなあと思う。あれほど躁気味だったのだ、ウツになってもしかたない。生きてて楽しいことってなにかないのだろうか。頑張って生きてみたら、きっと生きてみたい生きがいみたいのができるんだろうと、のんべんだらりとやってきてもう何年たったろう。ゆっくり首を絞められているみたいだ。強烈に死にたいわけでもなく、ただ生きているのが面倒だなあという程度のけだるさは、あらゆる生命にたいして申し訳なくも思う。オレはほんとうにダメなヤツだと思う。ダメなヤツでも死なないのは、本当にダメなヤツだと思う。そういった後ろ向きの考え自体が作られたものであり、それに洗脳されておるのだ、けしからん、というヤツもいる。お気楽なヤツらである。そんなのは知っている。オレはオレの考えをわかっていない。論理的だとも思わない。生まれてきてすみませんという、あたかも生得的な厭世的パーソナリティを備えておりそれは修正することが不可能だ、ということを、オレは事実誤認だとわかっている。オレにはその誤認が最後の救いで、その誤認を誤認だと認めてしまえばあとはあまりにも人間的で実存的な課題に直面するしかない。寒い夜に「夜と霧」を燃やして暖をとったオレにとっては生きることも死ぬことも何も真剣に考えたくない、やろうとやるまいと死にはしないがやらないと厄介なことになる冬休みの宿題と同じ。オレは夢の中で死ぬときいつも後悔する。

寝る。