kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

9月11日(金)

疲労がとれずお休みをいただく。メンタルの問題ではなくて身体症状。やりたいことをやっていたら、身体が疲れた。それだけ。布団で寝ていると、電話がかかってくる。寝ぼけながら出ると母親である。疎遠な母親から直接電話がかかってくるとなると、ストーリー上、何かが進行するイベントかなと思う。涙声でいう。なかなか本題に入らない。そのまで引っ張るって誰に何があったんよ? 申し訳ないが身内の不幸を現実感をもって対処できない。オレが自閉症的? わからない。だれも診断を下したことはない。どこかの本で読んだ。親しい祖母が病気で死んだときに自分を困らせるために死んだと思ったと。自閉スペクトラムにおいては時間的連続性が失われることがある。病気で死んだことという因果は自明ではないのだ。母親の話をまとめると甥が交通事故で重傷を負ったらしい。細かいことはなにも分かっていないが、オペは終わって命に別状はないとのこと。死ななければ全ては軽傷だ。家族や親族という言葉がその字義を越えて大きな意味があるはずだということを知っている。だけど、オレは体験できない。論理的に理解することもしていない。アリの社会には泣けるのに、オレが所属している家族や親族には泣けない。オレが木の股から生まれたのならこの罪悪感はないのかもしれない。オレの本当の原罪とは人から生まれてしまったことだろう。人に興味があるのに、人が怖くて、人が嫌いで、人で居るのが苦痛で、人でなくなりたいと思う。オレがそれで、オレは死ぬまでそのままでありながら、感覚を鈍らせ、悟性を鈍らせ、理性を鈍らせながら一世紀近く存在するかも知れない。

寝る。寝れば一世紀が過ぎれば良い。重版出来! を見る。編集者とはなにか、と問うところから始まるドラマ。よい問いだ。よい問いから始まるドラマは一気に見てしまう。結論としては編集者とは伴走者である、ということになる。リーダーでもキャプテンでもなく、伴走者。スクラム開発におけるスクラムマスターもそうだと思う。ただそうなら、スクラムマスターという言葉は本当に強すぎる。マスターという言葉はスレーブという言葉を想起させてしまう。スクラムに寄り添う人がスクラムマスターならそれでいい、だが字義的に強すぎる。オレは、スクラムマスターといわず、スクラム伴走者という言葉を使っていこう。

身体も重い、疲れもとれない。だが、このままでは明日は何も変わらない。キモサベに会いたい。何度めかの初恋。今度こそ実らせて、いつもそばに心が許せる存在とともにありたい。キモサベかわいいよ、かわいいよ。好きなキモサベにも会いにいけない。オレはの身体は鉛で出来ていて誰かのためには動かない。オレのためにしか動かない。オレは薄情なんだなあと心底思う。オレは誰かのためになにかをしては絶対にダメなヤツである。じゃあ、せめて病院に行こう。クスリも切れかけてきた。前回の離脱症状はひどかった。今回はクスリを切らさない。
外はまだ暑い。ボトルは氷で満たしてルイボスティーを入れる。病院にいくために小さい山を越えるとしても獲得票高はそこそこ。気温の高さはかなりの障壁になる。久しぶりの運動。汗がとまらない。心拍は異常な上昇をする。1×11ギアでは10%の勾配がきつい。トレーニングをさぼって体重も増加しているのだから当然である。でもここまで顕著にツライという身体症状に結びつくとは。
診察では前回の血液検査の結果をもらう。食木崎先生いわく、超健康。あー、違う違う。その切り分けのために血液検査しただけで、そこに注目してほしいわけじゃない。まあ、精神科よりも内科のほうが医療報酬的には儲かるだろうけど、そういうことじゃなくて。健康ですみません。血液が健康でもオレがこれだけツライということは伝わりにくくなる。そんなつもりないのにかまってちゃんになってもいいんだぜ。吐き気、めまい、頭痛をどうにかしてよ。いよいよ弱音を吐く相手がいなくなった。周囲の人々はメンタルヘルスに理解がある。だから過剰に共感することもない。だが一緒に走ってくれることもない。オレとともに伴走してくれる人はいないのか。
睡眠の質が悪いので眠剤を出してもらう。やめたかったのだけどオレは止められないのだ。でもいい、オレと世界がズレているなら、そのズレを補正するレシピとしてクスリがあっても不思議じゃない。

部屋に戻る。風呂にはいって汗を流す。ごはんをたべて寝る。クスリを飲む。今日こそ熟睡したい。