kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

9月12日(土)

前日の酒が残っている。すこし悪心がある。雑炊やおかゆが食べたいが、オレにはそんな能力はない。料理を作れる人はエラい。
身体は疲れている。だが疲れ切っているわけではない。寝て寝て寝ていると身体は疲れる。動的な回復が必要なタイミングというのは分かっている。でも身体はうごかない。オレはオレによって部屋に軟禁されている。あやですらオレになんども警告をしたものだ。外に出来れば嫌な思いをするけど、わずかな可能性で新しい発見をするかもしれない。その発見も良いものとはかぎらない。むしろ悪いことのほうがおおい。悪いことがないと部屋に籠もる理由がない、それがここ何年かの動機だ。実際、部屋の外に出たあとなら当分、部屋の中に籠もっていられた。困ったことに、オレは外にでると素敵な異性に目移りしてしまう。だれもがオレに興味は持たないが、たまに興味を示してくれる人もいる。オレはゆっくり間をちじめていくが結局最後はオレの本性をしって去って行く。オレの見識は狭い。定員は一人。みんながみんなオレの世界の定員が一人だといって去って行く。オレの問題で定員を二人にすればよいだけなの。つまりそれは、オレが理解できず常態的に予測不可能な世界である。それはオレが怪我しようが死のうがどうでもいい世界とはまったく違う。生まれてきたことに瑕疵があるし、まだ生きていることにも瑕疵があるオレは、他者へ必要以上の奉仕をしてしまう傾向がある。スタートから関係は異常な状態である。この状態で定員メンバーが何を考えているかは予想が難しい。ただ強烈な攻撃に備えて頭を低くしていることしかできない。相手に近づきたいと感じても猛獣と対峙しているかのように何をすることもできない。
f:id:kowasuhito:20200913022148p:plain

日が暮れてサイクリングに出かける。最近は気温もだいぶ下がってきた。湿度もさがってきて景色も遠くまで見通せる。伊花多ヶ浜にいくと夜空がきれい。この気持ちを共感してくれる人はいない。共感してくれる人は必要なのか? たぶん必要なのだ。手鏡をいつも持参して、鏡に向かっていえば良いかもしれない。手鏡の自分と話すことはただ単純に性欲の問題ではないかと思う。必要なのは共感してくれる他者なのだ。性別はなんでもよい。男性でも、女性でも。ただ存在論として、半分性欲の向き先として必要な隣にいる誰かは本当にかけがないのないものだと思う。性的な倒錯はオレにとって替えの効かないものだ。フレディのように執着し固着したグロテスクなフェティシズムが本当に本当に好きで、エロくてエロくてたまらない。

帰ってお風呂に入る。腹はぼよほよしている。胸が垂れ下がってきている。加齢と共に肉体が衰えている。脳みそもそうなんだ。しわしわの手をみて思う。外形的に時間はたったのに、未だに世界の時間はゆっくりゆっくりと進んでいる。自分の脳みそを書き出してぐちゃぐちゃにまぜて戻したらいいのではない。時間ががっつり進んで、肉体に捕らわれない新しい考え方がすんなり受け入れられるかもしれない。オレは筒井康隆の「敵」が好き。十四歳になってからはじめて読んだ本かもしれない。十二歳のときに「敵」をブックオフで買って、あまり気乗りせずずっと放置して、オレは一四歳のときに初めて「敵」を読んだ。十二歳のときに読んでいたら何にも感じなかっただろう。十四歳のオレは「敵」が本当に良い作品だなあと心にしみた。

ハイパーマートでかった半額のお惣菜で晩酌をする。ウイスキー、日本酒、肉、刺身。アルコールで意識レベルが低下していく。朦朧としながら途中にクスリを飲む。すべては後回しだ。自意識がなくなってから一時間程度オレはすこしだけ夜を歩く。罪悪感を覚えながら、気絶する。