kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

たぶん、9月21日(月)

誰かの気持ちになって考えることが苦手なのです。情動的な共感しかオレにはない。うつ病になってもオレは喜怒哀楽が多い方だった。それは理屈ではなくて自動的だから。論理的には共感ができない。葬儀にいくといつも泣いてしまう。誰かが泣いているから。でもなんで泣いているかは分からない。前にも言ったとおり、自閉スペクトラムのドナは親しい近親者が死んだときに自分に意地悪をするために死んだのと思ったのだ。その文章をみたときほっとした。共感とは複雑だ。オレに共感して欲しいと思うなら、記号学や文学理論をつかわないと伝えられない。@lice もその感覚があってのではないだろうか。オレは盛り上げ役であれたのかもしれない。それが理解できる人間として。幾夜も酒を吐き倒し、できあがった作品は逆みたいに稚拙だと笑いあった。自分の世界の中だけで喜びあえる希有な時間だった。今になって思えば、ペアワークによってつくったシナリオであった。シナリオの打ち合わせを標榜してただ飲むだけだ。猥談だ、文学の話や、学校の話や、プログラミングの言語の話や、南条あやの話。当時、南条あやは存命していた。lain のようにアイドルとして。@lice 自身も慢性化したうつ病を患っていた。@lice は基本的にお酒を飲んでいる分には快活であった。オレは @lice が皿を割って暴れたり、自殺念慮がどうしようもなくなって119番したが、そのまま警察に連行された。こっぴどく叱られたし、悩み相談を交番の署員とした。@lice とおれはそれを肴にして大いに飲んだ記憶がある。OD してから救急車を呼べばよかったね、と笑いながら酒を飲んだ。自殺念慮だけで救急車を要請してもだめなのだ。オレは @lice のことや文学部唯野教授のことが気になってフロイドの本を読み始めた。精神医学の教科書も読んだ。知識を得ると世界のビューをいじりたくなる。何も変わらない現実を別のビューからみたくなる。
今、思えば、オレは何故をれを @lice の配置されている世界でやろうとしてしまったのだろうか。手段ばかりが先行し、その目的が適合しない。手段の濫用は関係性を悪化させる。最終的にオレが @lice を追い返し玄関を無碍に閉めることになる。オレが悪い。オレが @lice を拒絶した。でもそれはオレが死ぬのが怖かったからだ。オレが @lice を批判的に分析すると @lice は冷静にオレの心に土足で踏み込んできた。そこには礼儀がある。オレは間違ったことを気づいたのはそのときだ。
初対面ではただの見知らぬ二人が、「友達だよね?」と問うこともなく「友達」になり、「不都合な現実」が付随した @lice をオレは拒否した。そのとき @lice は苦笑いを浮かべ、オレは冷徹だった。オレは病院に通っていて、@lice から離れるように指示された。共感や依存は良くない、と彼らは口々に忠告する。去人たちを作れる人とは距離を取るように、というアドバイスはどうかしている。でも去人たちを作る必要はない。オレは @lice と離れることになる。
@lice を失う。でもこれもまた一時的なことのように感じている。家族や友達がそうであるように、原因には角をたてずに時間をかけることでやりすごす。時間が経つ。でもオレは @lice への連絡をすることはない。@lice からの連絡もない。おれはずっと気になってはいたが、携帯の機種変更をするときにアドレスを引き継がなかった。消えていった人々は、今においてすらもっとも心通わすことができた人々だ。でもオレはリセットをしたい。リセット癖のオレにこれまでの高い価値ががあるアドレス帳をリセットさせない手はない。
オレはたった一人で時間を過ごして学校を卒業した。ポンコツ頭と政治力をつかってぎりぎりの突破をした。学内の掲示板も見ない、単位だけに命がけの学生が得たのは卒業証書という肩書きだけだった。就職? なに? それ? おいしいの? 

目覚ましが鳴る。祝日対応ができていないのだからしかたない。オレは布団から出る気がしない。死なないためにやるべき良い方法は寝床でずっと居ることだ。寝床にずっといるやつはそこで死のうと思わないということを何故か知っている。あるコンテクストにおいては死は晴れになる。

みんなの話を落ち着いて考えよう。何も不幸なことは起こりえない。あるのはちょっとしたタイミングのミスだ。多分、オレたちの科学力はその瞬間の幸福量を最大化することが出来る。でも、それらが新しい何かを生み出すのかは知らない。知らなくても、まずは、それを率先すべきだ。それが生物であるのだから。適切なメッセージは、適切なタイミングでなければ逆効果だ。適切なタイミングでも適切な相手に伝えなければ逆効果。それらのコミュニケーションの発端であるオレが適切な心理状態であり動機があるのか。それが適切でないと結果世界が適切ではなくなってしまう。適切な世界で適切な自分で適切な対象とかかわりあえる適切なコミュニティでなんの苦労もなく適切に自殺したい。