去人たちを作れなくなったうつ病プログラマーの地方生活日記

創作に絶望すると、世界が反転した日記

たぶんに、9月22日(火)

オレは全てが嫌い。オレも嫌い。会社の人も嫌い。エクリプスのメンバーもみんな嫌い。オレが嫌いなやつらはみんなまともだ。だから大嫌い。死ねば良いと思う。でも、ロジカルに考えるとオレが死んだほうがいい。オレの主観世界において同等の効果を得ながらおれの主観世界以外においてはより価値が高い。
メンヘラの極論をみんなどう感じているだろうか? 極論にすぎならから完全にスルーするのが正しい、病理学的なバイアスを差し引いて多様性の中で解釈しコミュニケートすべきだ、どのようなコンテキストかは問題にせず、いずれにせよ緊急的サポートを行うべきだ。オレはどれも正しいように思う。こじらせた我々をだれも救うことはできない、というコンテクストは戦後の文学のなかでも多く語れてきたことだ。同情力、共感力によってそれを超克しようというムーブメントはあったが、それは実現しなかった。なぜなら、人間は端的に言って個別の存在であり、死に直面しているその存在そのものにはなりえない、ということに到達したからだ。
そこから生まれるのが死のユニーク性という発想である。去人たちⅡを見よ。作為性と死を超作品として扱っている。筒井先生は、メタフィクションという。でも、個人的に言いたいことがある。メタフィクションはいい。好き。オタク好み。第四の壁。でも、第四の壁は繊細すぎて手法をちょっとでもあやまると作品を崩壊させる。世界を語るときに世界の外については語ってはならない。これはお芝居の基本なのだ。そえrを超越するときには、ぼけや突っ込み、ていどの安易な動機によるものはすべて失敗に終わる。それをやるなら、高度な仕掛けの導入であるべきだ。

エクリプスのメンバーはやはり誰とも違う。@lice ともちがう。一番違うのは、ものを作るという執着である。オレが @lice とつくろうとしたとの逆である。どちらがいいかという話ではない。オレがどうかしていた、それだけ。一方でおれはエクリプスを作らねばならないという動機で作ってはいる。これは自分を同人制作という環境へ投入してみたという実験である。
ひとつ言えるのは @lice がクズだったということ。でもオレはクズと完成させなくてもいい作品を作ることでオーガズムを感じていたということ。エクリプスではオーガズムを感じてはいけないと思ってしまう。これは現代のポリコレなのだ。心理的安全性を越える先で作りたいなら、真の友を作りたまえ、その先は純に人と人とのコミュニケーションで生まれるプロダクトである

オレは去人たちをつくりたい。オレは長く生きられない。だから少しでも何か作りたいんだ。@;lice ぬきでプロットを作った。にちのさんにもヤマシタさんにも正しく伝えられなかった。そして明確に拒否された。拒否されたわけではないフィードバックだ。たたそのフィードバックに未来性はなかった。それは絶望だが良い絶望である。既存の去人たちユーザーに受け入れられないという希望。@lice の作った世界とkowa@suhto が作った世界が違うならそれはそれでありではないかと思う。@lice がうまくやりすぎたせいで、オレのやることはなんでも失敗になちゃうだろうということを除いて。

最近正体をなくしてばかりいる。自分が自分に課している制約から逃れるためにお酒の量が増えている。眠剤も併用しているものだから途中からゾンビになる。朝、畳の上で目が覚める。いつネタかは覚えていない。仕事の Slack に見覚えのない意味不明な投稿があったりする。慌てて消しておく。クスリをやっているようにしか見えない。でも不思議だ、それを書き込んだオレはそう思っていたのだ。露骨な罵詈雑言や個人批判になったら大変だ。お酒とPCの組み合わせの対策はしたほうがよさそうだ。

身体がだるい。うつ性の倦怠だ。バイタルは正常に違いない。オレは明日からの仕事に備えて精神を整える必要があると思う。自分が課題に感じておりそれを解決する必要があると自分にいっている。本心のオレはそんなこというなら助走付けてジャンプすればいいんじゃん、とオレを試してくる。メンヘラ非モテクソオタクを殺してやりたい。そんな子どもみたいな試し行為するやつは死んでヨシ。本当である。クソだし、集団思考しかできず意志薄弱アダルトチルドレンなど滅びればいい。もげて当然、当然、当然の報い、因果だ。死ね、死ね、死んでしまえ。などとオレが演劇的にやっているとあやがかけよってきてサムアップをする。イエーイ、と互いに発生してグータッチをする。昔はハイタッチだったのだがこれはコロナ禍の嗜みである。濃厚接触しているエロゲーなんて最近やろうものなら、別の意味でドキドキしてしまう。メンヘラ非モテクソオタクはコロナ自粛警察のケがある。ルールや集団だと同一化することでやった自己が保てるゴミクズ。いや、ちがうちがう。オレがいかにゴミクズかなんてもうわかりきったことは興味がない。オレはゴミクズだが死なない。見てろ。死なない。死んでたまるものか。オレは初恋で悶々としている。キモサベかわいいよかわいいよ。オレの初恋がキモサベという男の娘なんて恥ずかしくて公にできない。集団思考している異常少数派に回るのは絶対的に間違いなのだ。だがこの心臓が痛くなる感じ、きっと加齢、不摂生、からあげ、お酒大好きによる心筋肥大および動脈硬化が原因ではなく、恋の苦しみに違いない。誰かを好きになるってこんなに尊いモノだったとは。好き、好き、大好き。だめだ、もうこの苦しみ、我慢できない。キモサベを嫁にするしかない。タンブルウィードに予約する。ウツはどうしても肌恋しくなる。馬さんは人より平熱が高い。いつお触りしても暖かい。
タンブルウィードにいく。ああわわ、馬カフェにこんなに人がいるなんて。洗い場にはキモサベがすでに馬装している。わーキモサベ、オレ、オレ、お久しぶりー。というがキモサベは眠たそうにしている。ドキドキ。もしかして、オレのこと覚えていないのかな。ふえーん。悲しい。胸が苦しい。恋がこんなに苦しいなんてこれまでしらなかった。眠たそうな目をしながら少しだけオレを見てくれる。見てくれた気がする。あ、あ、それはお客さんの一人という目である。オレを特別視をしてくれいない。オレはダダをこねる。いやだいやだ。ぐるるぐるる。ゴルゴ先生が登場する。「今日は別の馬、シェリーで」。わーん。しくしく。寝取られたんだ、しくしく。むしろ、他に訪れている方々が何十年とタンブルウィードに通っているベテランの方々なんだということを知るのは後のことだ。今日ははじめてのお馬さんのシェリーである。体高はキモサベより低い、キモサベのように魔法使いの目をしていない。お前がやるならボクはやるよっ!という心意気を感じる。若くはないらしいがイキっているのがかわいい。まるでオレのようだ。ふむんふむん、鼻をならし、たかるハエに対してイヤイヤをしている。キモサベが誰かに乗られていることを嫉妬しながらも、シェリーもかわいいな、などととクソみたいなことを考える。感じてしまったことは事実だ。隠すか隠さないかが問題なだけだ。だが隠す必要はない。オレはクズ人間だから。ゾウさんはが好き、でも、キリンさんのほうがもーっと好き、それを書く必要はない。でも、オレはシェリーのことを知らない。まずは乗らせてもらおうじゃないか。まずは乗らせてもらおうっていうものなんかゲスく聞こえるのは勘違いだろう。世界に正しい順序などない。正しい順序があるのは人間社会だけだ。今回のセッションは五頭立て。ベテランのなかにビギナーのオレが一人。おいおいおいおい、絶対オレが足手まといになるヤツやん。ま、いっか。迷惑かけてもゴルゴ先生の判断だ。でも、内心そんなことはできない。周りについて行かないとついて行かないとついて行かないと。ぎゃー。いつの間にか、オレの後ろにベテラン勢が渋滞している。おかしい、同じペースで周回しているはずなのに。ほ、ほら体高低いし、常歩じゃあ速度の差がでるでしょうが。どきどき。焦ると手綱が緩みシェリーがフリーダムに動き始める。上半身が硬くなる。鐙にかける足のバランスもおかしくなる。あわわあわわ。シェリーも途中、お前、何を指示しているかわからない、イヤイヤする。ぎゃー。きちんと手綱を握っていないと。次は速歩になる。姿勢、鐙、手綱、上半身、目線、コーナーの減速と直線の速度のギャップ、ゴルゴ先生の指示、ゴルゴ先生の指示に答えなくては、ベテランの方々に迷惑をかけないようにしないと。頭が爆発する。虚無。ただ、シェリーと楽しく乗馬をするんだ。好きとか嫌いとかじゃないんだ。シェリーが楽しくて、オレも楽しみたい。なあシェリー。オレはちょっとだけだけオレをうち捨てる。なあ、シェリー、お前のことを教えてくれよ。鞍の上でシェリーのたてがみと歩調を観察する。手綱がゆるんでいるとシェリーはオレのことを忘れて身体にたかるハエに気をかけて足を止める。ごめんごめん、オレは手綱を握り直す。指示が曖昧だとオレを振り落とすように後ろ足でジャンプする。言葉にすればお前さ、ウザイよ、という感じだ。でもオレはしっかりと馬上にとどまり、シェリーの腹を蹴る。オレはお前と一緒に楽しみたいと伝える。キモサベよりはダイレクトにメッセージを受け取ってくれる。しょうがないにゃあ、という感じで直ぐに速歩で進んでくれる。軽速歩が簡単だと思っていた時期がオレにもありました。人馬一体という言葉があるが、お馬さんが変わると良くわかる。お馬さんが好む足並みとそれにオレが合わせること、逆に、オレがこうしたいと指示したときにお馬さんがその指示に合わせることに躊躇わないこと、変化に順応できること。
オレはセッションを終える。ゴルゴ先生には間があいたわりにはよくできてましたよと、評される。死にたかったけど、キモサベのことは忘れてなかったらね。誰かに乗られたあとのキモサベは楽しそうだった。家に帰る。
家に帰って昼寝をする。起きるとオレがウツだということが正確に分かる。いわゆる寛解期といういやつだ。ウツは底を打った。お馬さんは良かったが一過性かもしれない。注意が必要だ。胸が苦しいのは変わらない。キモサベ。どうしてオレだけをみてくれないか。キモサベはいう。「おぬしは、自分にしか興味がないであろう?」 オレはワナワナと震える。「馬のくせに」。キモサベは聞こえないふりをしてぶるるんといななく。笑いながらキモサベがいう。「あなた、一旦死んで、馬にでもなってみれば?」

風呂に入って執筆作業。クスリを飲んで寝る。