kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

07月08日(金)

仕事にモチベーションがあがらない。会社のお偉いさんが悪いんだと、テキトーに非難できれば気が楽なのだけど。
無反省に誰かに責任を押しつけられるほど簡単な話ではない。個人的な評価は永遠に個人性から逃れられない。

全社タウンミーティングが開催されたが、お偉いさんは達成できない目標に、納得できる回答をを続ける。想像の範囲をこえない。理解もできるし共感もできる。そんなのは5分も説明してもらえれば十分だ。では、次の打ち手はなんなのか、という話をしよう。でもその話もいつもどおり決まっている。不確実だから試行錯誤してやっていく。なるほど。でもそれは基本的な行動指針っていうだけで一生言い続けていい。直近、具体的に、我々は、何をしたらよいのか。
良いことは何でもやろう、という方針はいつも達成不可能な目標になる。

そうそうに退勤、サイクリング。脳みそが過活動。脳みそ優位の状況になっている。身体感覚が希薄。もっふりとした薄い繭に覆われて思考だけが自意識を無視してぐるぐるしている。
こういうときには瞑想するか、サイクリングするか。今日は比較的涼しいし、サイクリングしよう。
2時間ほどペダルを回す。アップダウンの激しいルートを選んだ。脚に披露が蓄積していておもだるい。勾配10%になるとケイデンスがさがってトルク勝負になる。右膝に痛みがあり、ふくらはぎ、ふとももは負荷をあげるたびに拒否反応をみせる。思考は鈍磨する。肉体優位に入れ替わる。汗は延々としたたる。頭のなかはまっしろ。ただ、道があるからペダルを回す。

汗でべとべとの服を洗濯し、風呂に入る。
たぶん、いまのまま、何にもしなくても、何にもしないまま、あたりさわりなく一生を終えることってできるんじゃないかって、楽観的に想像する。それは相当恵まれているとすら思う。
とはいえ、どんな状況でも死ぬのは怖いんだろうなと想像するし、怖いのはいやだなあとおもう。
今一番興味があることが、死ぬまでの過程がどれだけ心理的に平穏であるかだけっていうのも変な話だ。そんな生き方やめちまえばいいのに。