kowさんは天ざる大好き

創作に絶望すると、世界が反転した日記

07月16日(土)

毎日まいにち、お茶碗すり切り一杯ほどのお薬を飲んでいると、自分の多少の問題を微調整する薬物的調整とは思えなくなってくる。
お薬がオレの振る舞いを決定する実体のような気がしてくる。
頭の中では理屈はわかっている。ある点での障害によってシステム全体の機能が低下している。だからその障害点を改善してやることで全体は自律的機能を快復していくだろう。

閉じて越境しない自律的システムとしての自己は目的がない。

他者に問いかけられ、働きかけられる自身と、他者に問いかけ、働きかける自身が同時並列に行われる状況が嫌いだった。解決したい問題は解決しようと思案している内に別の状況へと移行する。状況を固定してじっくり考え対処したいと思う。今の問題の背景は〇〇であり、真因は〇〇だと確信できる、だから自分は〇〇という対策アクションを実行する。線分AB上を等速移動する点Pは問題を単純化していると気づいたとき、もう14歳ですらなかった。15歳になると、線分AB上を等速移動する点Pは、どこにも存在しないが、誰かが、自分がそれを点Pと設定してよい、ということに気づく。だから、点Pには興味がなくなった気がする。

だからなんだっていう話だけれど、「線分AB上を等速移動する点P」を否定し続けても疲れるという話かなとおもう。
「線分AB上を等速移動する点P」なんて知らなければよかったと嘆いていてもどうしようもないし。